或る都市のネオンブルー

「――本部から〈イータ〉巡回Aチームへ。東四南三の宝石店に窃盗犯が入ったとの連絡があった。至急現地へ確認に向かってくれ」
 朝から派手な事件が起こってくれた、と思いながら〈アンダーライン〉第三部隊副隊長の松本山次は事件が起こった【住】地区七番街〈イータ〉を巡回しているチームへ連絡を入れた。
『了解しました』
 現場付近を巡回していたチームはすぐに応答し、指定された場所へ向かった。
「朝から派手な事件が起きましたね」
 日勤隊員の櫻井が松本に声をかけ、どうぞと言って茶を置いた。彼はかなり年下の上官である松本にも物腰柔らかく接する。松本は礼を言って茶を受け取った。
「宝石店から何が盗まれたかわかりませんけど、少額被害ではなさそうですし、今日はこれにかかりきりになりそうですね」
 やれやれ、と肩をすくめた松本に、櫻井も苦笑しながらがんばりましょうね、と声をかけた。
 彼らは、都市国家〈ヤシヲ〉に設置されている自警団〈アンダーライン〉の隊員である。〈アンダーライン〉は国の警察任務を請け負う組織であり、二十四ある【住】地区の警備と治安維持を四部隊が分担して努めていた。今、松本が所属しているのは第三部隊であり、通報のあった【住】地区七番街〈イータ〉は彼らの担当地区であった。

 現場の隊員たちがもう一度本部へ連絡を入れてきたのは、彼らが店に着いたすぐ後だった。曰く、盗まれたものが高額すぎて自分たちの手には余るとのことだった。
「俺が行ってもいいのはいいですけど」
 通信を切った松本はちらり、と横目で第三部隊長の六条院真仁を見た。六条院も松本を見つめ返し、やがて小さくため息をついた。
「わたしが出た方が都合がよいだろうな」
「俺も梶も櫻井さんも、庶民ですからね」
 隊長の名前、こういうときに便利ですね、と言う松本の言葉に「こういうときに使うための名ではないぞ」と六条院はすかさず反論した。都市国家〈ヤシヲ〉の【貴賓】地区にある貴族家出身の名があれば、高額な盗難品の事件も任せてもらえるはずだが、その推論は六条院のお気に召さなかったらしい。
「適宜、状況報告の通信を入れる。それに合わせて動けるか」
「動かします。他の地区からの通信にもひとまず俺が対応しますので、よろしくお願いします」
「それと梶を借りる」
 六条院が指名したのは日勤隊員の一人だった。指名された本人が一番驚き、
「え⁈ 僕っすか?」
 と、すっとんきょうな声を上げた。まだ幼いといっても過言ではなく、第三部隊最年少の彼は今年で十八歳だ。せっかくなので社会勉強をしてこいと松本は言った。
 お気をつけて、と松本と数名の日勤隊員に見送られて六条院は梶と共に隊舎をあとにした。

 現場に着いた二人が見たものはショーケースのガラスが派手に割られた店舗だった。梶はそれを見ながら首を傾げた。
「これだけ派手に壊して警報鳴らないものっすか?」
「普通は鳴るだろうな。だが、昨夜はシステムの定修があって一時的にシステムの電源が落とされていたらしい」
 宝飾品を扱う店のセキュリティがあまいという話は古今東西耳にしたことがない。だが、昨日は運悪く、システムの定修のため、侵入者への警報はおろか監視カメラの録画機能もオフになってしまったようだ。出費はかさむが、セキュリティシステムを二つに増やすしかない、と店主は嘆いていた。
 そんな店主に六条院が名乗った後(それまで〈アンダーライン〉隊員を警戒していたのが嘘のように店主の態度が変わり、梶はわずかに眉をひそめた)、何が盗まれたのかを訊ねると、店主は端末の写真をふたりに見せた。そこに写っていたのは濃いブルーが美しい宝石だった。宝石は高価なもの、くらいのイメージしか抱いていなかった梶が何の気なしに値札を見ると、【貴賓】地区の一等地を買って別荘を建てられる程度の金額――一億――が記されており、目を白黒させるはめになった。
 宝石の名前も確認すると《パライバトルマリン》と書かれており、見慣れないその名前に梶はまた首を傾げた。
「昨夜はこれをどこに置かれましたか」
 だが、六条院は見慣れたものを見ていますと言わんばかりの態度で、特に目立った反応は見せなかった。店主は六条院の問いに「いつも通り、鍵付きのショーケースに入れていました」と答える。
「? 金庫に保管するようなものではないのですか」
「そんなことしてたらうちの商品はすべて金庫行きですから」
 一つ一つ金庫への出し入れをする方が大変で、とてもではないが管理しきれない、と店主は言った。梶が店内をくるり、と見渡すとどこもかしこも、まばゆい宝石の光に満ちていて、確かにそうだろうなと思った。
「わかりました。では、すみませんが、捜査のために先ほど見せていただいた写真をいただけませんか」
 六条院の言葉に店主は素直に端末の写真を送信した。六条院は店主に礼を述べると、店を出た。
「え、もういいんですか」
「システムがほとんど機能していない時間帯での犯行ゆえ、わたしたちが訊けるのはここまでだ。あとは科技研(科学技術研究局)の調査と店の外の監視カメラに頼るしかあるまい」
 六条院は現場から連絡を入れてきた隊員たちに「付近一帯の監視カメラの映像をできる限り集めて送ってほしい」と指示をし、梶とともに〈アンダーライン〉の本部へと帰還した。

 〈アンダーライン〉に戻った梶は早速、科技研への連絡と周囲の監視カメラの記録映像の解析に当たった。その間に、六条院が事のあらましを松本と櫻井に説明する。
「今回盗まれたものは《パライバトルマリン》。数十年前に発見され、わずか数年で採りつくされてしまった幻の宝石だ。宝飾品としての利用価値が高いものは自ら発光するようなネオンブルーをしているらしい。出回る量が少ないゆえに、今でもどんどん値上がりしていて、最近ではダイヤモンドよりも価値がある、とまで言われている。宝石はいわゆる相場がないが、今回盗難されたものは……まあ、【貴賓】地区の一等地を買える値段だな」
「……ちょっと庶民の俺たちには想像つかないですね」
 パライバトルマリンは小粒なものが多い中で、盗難されたものは五カラットもあり、比例して値段も高い。
「あの、トルマリンってあれですよね。隊舎の大浴場の浴槽にも使われている素材じゃなかったですっけ?」
 風呂釜と宝石がいまいち結びついてこないんですが、と言わんばかりの顔で質問した松本に対して六条院は答える。
「そうだ。『トルマリン』という名のつく石は三十種類以上あると言われているが、身近なところでは松本の言うように、工業利用されるものが多い」
「なるほど」
 六条院の解説に松本はわかりました、と言って口をつぐんだ。
「――話を戻すと、需要に対して供給がかなり少ない宝石であるため、粗悪な偽物も多く出回っているらしい。有名なところだとアパタイトだ」
 そう言って六条院は端末の画像をディスプレイに映し出した。そこにも美しいブルーの輝きをまとった石が映し出される。
「写真じゃ全然違いがわかりませんね」
「そうだ。だが、硬度と組成が全く違うので、鑑定をすればすぐにわかる」
 とはいえ、騙されてしまう人も多いようだが、と言って六条院が小さくため息をついたところに梶が息せき切って戻ってきた。松本がのんびりと訊ねる。
「おかえり、なんかわかった?」
「わかりました! 周囲のカメラにばっちり写ってたっす!」
 鼻高々といった様子の梶に、松本は苦笑した。梶に案内されるがまま、映像解析室(文字の通り監視カメラの映像を解析する部屋。映像内に顔が写っていれば、国のデータベースに保管されている顔情報に照会をかけることができる)に移動した。梶が得意げに見せる映像に松本は苦笑した。
「……こいつら監視カメラの存在を知らないのか?」
「知らないってことはないはずっすよ。さすがに僕でも知ってますし」
 監視カメラは夜間でもきちんと記録できるように、周囲の光量に合わせて暗視モードに切り替わる。そのため、顔をまったく隠していない犯人たち――二人組の顔面はしっかりと映像に記録されていた。幸いデータベースに登録された顔の持ち主だったようで、名前と年齢も判明した。成人したての若い男女だった。
「本格的に欺くならカメラに強い光を当てたらいいんだが、そういうこと思いつくようなやつらじゃないのか」
 ということは、昨夜システムメンテナンスによって宝石店のセキュリティが切れていたのもたまたまだったのだろう。変なところで強運のやつらだな、と松本は呆れてため息をついた。
「とりあえず逮捕に向けて動く感じっすか?」
「ああ、必要な準備は俺と隊長でやるから、梶は逃走後の足取りも調べてくれるか。必要なら他の監視カメラ映像や【住】地区間のゲート通過記録ももらってくれ」
 松本はそう言って、記録入手のための認可章を梶に手渡した。認可章があれば、副隊長以下の隊員でも【住】地区間のゲート通過記録を手に入れることができる。
「了解しました!」

 梶がデータ分析を再開し、松本が書類の準備を始めたおよそ二時間後、犯人の居場所特定ができた。監視カメラとゲート通過記録をたどったところ、盗みを働いた二人組は【中枢】地区を堂々と歩いており、顔すら隠していなかった。木を隠すなら森、ということわざは〈ヤシヲ〉にもあるが、あまりに堂々と歩いていたため、梶は画面を二度見した。だが、挙動不審であった方が簡単に見つかっただろうとも思うため、おそらく度胸のある人間たちなのだろうなと、彼らの為人を分析する。
「――度胸だけは褒めてやろうか」
「いや、だめですよ」
 映像を見た松本と六条院はそろって渋い顔をし、六条院の発言に松本がつっこんだ。六条院は少し考えたあとに指示を出す。
「松本、櫻井と一緒に今からこの映像で示された場所まで移動して確保にあたれ。移動にあってはわたしと梶で指示を出す」
「了解しました」
 松本は返事を残して映像解析室を出ていった。彼らを見送って、六条院は梶に一つ問いかけた。
「さて、梶」
「はい!」
「この犯人たち、今でも宝石を持っていると思うか?」
「え?」
 六条院の言葉に梶は首を傾げた。
「どこかに隠したってことっすか?」
「あるいは既に換金したか」
「それは、ちょっと早すぎませんか? それに換金するような足取りはありませんでしたよ?」
 梶の言葉に六条院は切れ長の目を細めた。
「監視カメラも完璧ではない。映らなくなった一瞬の間に誰かに預けたり、隠したり、ということは十分に考えられる。そして今わたしたちは、彼らが犯人だと疑っていないが、彼らも誰かに命じられて動いたにすぎないかもしれない」
「……」
 六条院の多様な想定に梶は黙ってしまった。その様子を見て六条院はほろ苦く笑う。
「すまない。せっかくの調査結果に水をさしたな。だが、このような想定が必要になることも、ある」
「はい。僕たちは、そんな仕事を求められているんですよね」
 梶は〈アンダーライン〉に入隊した日にかけられた言葉を思い出しながら言った。視野の狭さが命取りになる仕事だから、広い視野と柔軟な発想を持ちなさい、と言葉をかけたのは、六条院だった。
「ゆくゆくはそなた自身に様々な発想ができるようになってもらいたい」
「努力します」
 梶がかしこまって返事をすると、六条院はわずかに目尻を下げた。松本が見ていれば「隊長、最年少だからって梶に甘いですよ」と言っただろうが、残念ながら不在だった。
 ザザ、と小さな音がして、現場に向かった二人からの通信が入る。
『――聞こえますか、こちら櫻井です』
「ああ、聞こえる。近くに着いたな?」
 通信が入った瞬間、六条院は二人が持っている端末の位置情報を地図上に表示した。
『はい。偶然、被疑者の背後を歩いていますので、このまま追尾します』
「了解した。見失った場合や二手に別れた場合はこちらで誘導する。今はそのまま、逮捕できるように追尾を続行せよ」
『わかりました』
 櫻井からの通信が切れる。あとは二人が確保してくれるのをサポートするだけだ。
「梶、念のためもう一つ端末を起動しておいてくれ」
「はい」
 確保に向けた追尾をサポートするのは少し緊張するけど、やりがいがありそうだ。そう思って、梶はひそかにぎゅっと拳を握りしめた。

 松本と櫻井が捕まえた男女二人組は、年齢こそ成人したてだったが、取り調べに対して落ち着き払っていた。それもそのはずで、どれだけ調べても二人の身体および所持品からは盗品が発見できなかった。
「俺たちは持ってねえよ」
「どこにあるかも知らないの」
 何回も言わせるな、と捕まえた二人――カエデとミナト――はうんざりしたように言った。その様子をゴーグル型端末で記録していた科技研所属の花江まり果が首を傾げながらコメントをした。
「うーん、嘘じゃないのは確かですね」
「嘘じゃない……。本当でもないってことか?」
「はい」
 花江はそう言って、装着していたゴーグル型の端末を外した。
「これの精度もまだまだですかねえ」
「精度というよりは、範囲のような気もするけど」
 花江が開発したその端末は『ウェアラブルうそ発見器』だ。相手にYES、NOで答えられる簡単な質問をいくつかすることで、嘘をついたときとそうでないときの反応パターンを分析・記録する。今回のように嘘でも本当でもないことを言われたり、黙秘をされたりしまえば無効だが、それでも以前よりは格段に話を引き出しやすくなった、と松本は思う。
「とはいえ、このまま話しても埒があかないでしょうし、一回終わりましょう。ここってお菓子食べてもいいんでしたっけ?」
 そう訊ねる花江に、それは取調室の外に出てから! と松本は強く言い聞かせた。
 とはいえ、単に休憩をするわけにもいかない。松本は隊舎にいる梶に、二人組が監視カメラの外に出た回数と時間を教えてほしいと言った。映像解析室で解析をした映像はきちんと結果が記録される。
『え、えーっとですね。監視カメラでの連続追跡が途絶えたのが五回っす。そのうち単純に監視カメラの範囲外になって、すぐに別のカメラでとらえられたのが二回で、残る三回はどこかしらに行ける可能性がある途絶え方してます。時間は長いものから十五分、八分、五分っす』
「ありがとう。その十五分と八分の映像を用意しておいてほしい。俺も見る」
『了解っす! 用意しておきます』
 ふう、と小さくため息をついて松本は腕を回した。それを見て、疲れていると勘違いしたのか、花江がチョコレートを差し出した。
「どうぞ」
「どうも」
 疲れる作業はこれからなんだけどな、と思いながら松本は小さなチョコレートを口にいれた。

「あ、そこ! ストップ!」
 松本と共に再度映像を見返していた梶は、松本の指示にあわてて映像の再生を止めた。常人よりもはるかに優れた五感を持つ松本は、単純な視力だけではなく、動体視力もよい。動いているものをとっさにとらえられる視力は映像解析でも重宝されている。欠点としては、電子的な刺激に弱く、長時間映像を見るのは難しいところだろうか。
「え、なんか写ってましたか?」
「画面右下の犬。少し大きくできるか? 特に首輪のあたり」
 松本の言葉に梶は素直に従う。松本の違和感を解消すべく右下の犬をピックアップした。この犬は二人組が消えて行った方角から出てきたが、犬に証言を求められるわけでもないため、特に関係ないだろうと気にされていなかった。映像の犬は元気に尻尾を立てて歩いている。
「……迷子犬ですかね?」
「どうだろう」
 首輪はしていたが、その犬を連れている人間は見当たらず、奇妙な印象を与えた。どこかの家から逃げ出したのだろうか、と梶が考えていると、松本の指が首輪のある一点を指差した。
「これ、なんだ?」
「……?」
 首輪には、小さな箱が取り付けられていた。通常であれば見慣れない姿に松本はもしや、と一つの可能性に行き当たった。
「――この犬、あいつらが消えて行った方から来たよな?」
「はい」
「この首輪の箱、盗まれた宝石入れるのにちょうどいい大きさだと思わないか?」
「え、あ、ええっ⁈ でもそんなことしたら、どこに行くかわかんなくなりますよ?」
 梶の疑問に松本は答える。
「いや、わかる。〈ヤシヲ〉では愛玩動物の脱走、迷子防止にマイクロチップ入りの首輪装着を推奨している。それをつけていたら、位置情報の把握だって端末で容易にできるはずだ」
「確かに……」
「だからさっき、『持ってないし、どこにあるかも知らない』って答えたんだなあいつ。嘘ではないが、本当でもないってそういうことか」
 松本は思いがけない周到さにため息をついた。そして、最初に監視カメラ映像で見たときの印象と現在の印象がちぐはぐだとも感じる。
「俺はもう一度取調室に戻って、彼らと話をしてみる。梶は隊長と話をして、本当に彼らの単独の犯行かどうかを洗ってほしい」
「? よ、よくわかってないっすけど、了解っす」
 とりあえず、映像からわかったことをちゃんと伝えたら隊長に俺の意図は伝わると思うから、と言って松本は梶を第三部隊の執務室に帰した。
 松本はそのまま取調室へと戻り、カエデとミナトに端末を見せてほしいと伝えた。
「どうして盗品を持ってなくて場所を知らないのか、分かった」
「……」
「犬に持たせたんだな?」
 松本の言葉に二人は目を伏せ、悔しそうに唇をかんだ。あともうちょっとだったのに、と言うカエデを松本はじっと見つめた。
「もうちょっと?」
「もう少し私たちが時間を稼いで、依頼人に宝石を回収してもらうつもりだったの。そうしたら捕まっても成功報酬として、二割程度もらえる予定だった」
「おい、」
 依頼人という言葉にミナトがカエデをこづく。
「なによ、もうバレてるんだしごまかしてもムダでしょ」
「そうだけど」
 ミナトを黙らせたカエデは松本にロック解除をした端末を手渡した。
「その位置アプリに入ってるのが、オコメの居場所」
「オコメ?」
 松本が首を傾げるとカエデが答える。
「犬の名前。捕まえに行くと思うけどオコメにケガさせずに捕まえてね」
「わかった。オコメに罪はないしな。お前らの事情と依頼人については、あとでしっかり聞く。端末借りるぞ?」
 松本の言葉にカエデはうん、と首を縦に振った。ミナトは不貞腐れたまま黙っていた。
「……あの、」
「ん?」
「ごめんなさい」
 小さな声で謝ったカエデに松本は首を横に振る。
「それは俺じゃなくて、あのお店の店主に言うべきだ」
 ちゃんと返せるように回収するからな、と言う松本の言葉にカエデは小さく頭を縦に振り、ミナトは黙り込んだままだった。

 松本が借り受けてきた端末を元に、オコメの現在地を割り出し、数人で現場の【住】地区七番街〈イータ〉の郊外に向かうことになった。現場に向かうのは我こそはと名乗りを上げた犬好きたちである。
「……行かずともよかったのか?」
「はい。昔、犬にかまれたことあって、苦手っす」
「そうか」
 六条院と梶は隊に残り、オコメの捕獲のためカメラ映像からサポートを続ける。
「あ、」
 オコメの姿を最初にとらえたのは松本だった。オコメは、全力で駆けてくる松本をしばらく見ていたが、そのうちに尻尾をピン! と立てると元気よく振り始めた。そして松本とは反対の方向へ元気よく走り出した。
「……完全に、遊び相手だと見なされているな」
「そうですね」
 捕獲、大丈夫ですかね、と心配そうにつぶやいた梶の予感はあたり、オコメの捕獲は難を極めた。
 オコメは自分を追いかけてくる人間のことを「自分と遊んでくれる人だ!」と認識してしまったようで、人間たちをおちょくるかのように走り回った。少し走って人間の姿が見えなくなると止まり、人間が追い付いてくるとまた走り出す。そのあまりの小賢しい様子に音を上げた隊員がエサで釣ろうとしたが、知らない相手から差し出されたエサには見向きもしなかった。
 それでもオコメの体力にも限界がくる。
 走り回ってヘトヘトになった瞬間、松本によって捕獲された。隊員たちも汗だくだ。
「まったく、お前、上手に逃げたよ」
 オコメを抱きかかえたまま松本は言う。オコメは身長が一八〇センチもある松本に抱え上げられた高さが怖いのか、尻尾を丸めた状態で情けなく鳴いた。その隙に隊員の桑原が素早く首輪を外し、箱を開けて中を確認した。
「あっ、入ってます!」
 その場の全員が安堵のため息を吐いた。走り回っている最中にうっかり落としていたら、責任の取りようがない。
「よしわかった。じゃあその首輪はそのまま持って帰ってくれ」
「副隊長はどうするんですか?」
「俺は、こいつをひとまずケージに入れて一緒に本部に帰る。桑原は、隊長立ち合いで持ち主に中身を返却したあとで、首輪のマイクロチップを調べてほしい。おそらく二つあるはずだから」
「あれ、あの二人の飼い犬じゃないんですか?」
「そうじゃないらしい。数日前に自宅の敷地に迷い込んできたところを保護していただけだと言っていた」
 調べたところ、ミナトの名義で出されていた迷子犬の預かり証明があった。その犬を今回こういった形で利用するには、彼らが自由にできるマイクロチップが不可欠だ。
「わかりました。チップの個数の確認とデータ確認を依頼します」
「ああ、よろしく」
 お前、これからしばらくどうする? と松本は腕の中のオコメに話しかけたが、オコメは「きゅーん」と小さく鳴いただけだった。

 数日して、二人組へ窃盗を教唆した人間とオコメの飼い主が判明した。教唆した人間は防犯システムの運営元の会社の社員だった。社員であればシステムメンテナンスの日程の把握も容易だ。日々の仕事に嫌気がさしていたその社員は「宝くじを当てるより簡単に金持ちになれると思って」窃盗の計画をしたようだった。
 ネットワーク上で依頼を受けたという二人の端末のアクセス記録から割り出した結果に、第三部隊では「だから、計画が穴だらけな割にはそこだけうまく潜り抜けられたのか」と呆れの声が上がった。その社員は、教唆罪《きょうさざい》で裁かれた上に、会社から情報漏洩による信用失墜の責任として賠償を求められることになった。
 実行犯となった二人は器物損壊罪と窃盗罪で裁かれる。この二人は駆け落ち同然でパートナー生活を始めてしまい、家も借りるのがぎりぎりで生活が苦しかったのだと言った。
「もうやるなよ。次はやる前にちゃんと行政に相談」
 松本と梶はカエデとミナトの二人に今後困ったときの連絡先を教えて、更生施設へと移送されるのを見送った。二人は松本と梶に深々と頭を下げて、更生施設へと向かって行った。その後ろ姿を見ながら松本は梶に問う。
「お前の名刺も渡したか?」
「はい。渡しました。困ったらいつでも頼ってほしいって言ったっす」
 僕じゃまだ、頼りないかも知れないっすけど、と言う梶に松本は首を横に振る。
「あの二人が更生施設から出て、職業訓練始めるころにはお前も立派になってるはずだ」
「……あんまり自信ないっすけど」
「俺と隊長がしごくから大丈夫だよ」
 弱気な梶の肩をぽんぽんと松本は叩いた。最年少で隊長・副隊長を務める彼らにしごかれたならば大丈夫だろうか、と梶は思う。
「それより問題はオコメだな」
「あー」
 調査の結果、オコメの飼い主であった老人は数か月前に亡くなっており、オコメの飼い主は不在だった。老人の子に連絡をしてみたが、動物アレルギーがあってどうしても引き取れない、と断られてしまった。
「隊舎で飼います?」
「それをさっき隊長に言ったら即却下された」
「捜査補助犬として訓練を受けさせたらどうですか?」
「それをさせるにはちょっと遅いらしい」
「えー、他になんか案ないんですか?」
 僕の言うこと全部だめじゃないっすか! と抗議する梶に、俺が言ったことも全部隊長に却下されたんだよ、と松本は言い返した。
「命の行き先って難しいなあ」
「……そうですね」
「誰か飼える人、探すか」
「お手伝いします」
 松本は梶に「いい飼い主探してやろうな」と言って、隊舎内の執務室へと引き返して行った。

 幸いにもオコメの飼い主はその後すぐに見つかり――夫婦二人暮らしをしている隊員の妻が日中寂しいので飼いたいと希望した――引き取られていった。しばらくオコメが居た隊舎にも静けさが戻った。
「うわ、俺の服、まだオコメの毛がついてる!」
 何回洗濯しても、コロコロかけても取れないんだけど、と嘆く松本に櫻井が言う。
「副隊長、一番長い時間接してましたもんね。洗濯ボール、買ったらどうですか?」
「洗濯ボール?」
 毛みたいな細かい汚れを取ってくれるんですよ、という櫻井の言葉に松本は素直にうなずいていた。そんな二人のやりとりをぼんやりと見ていた梶の視界にスッと六条院の手が入る。
「うわっ!」
「ぼんやりするな」
 きっと今日も忙しくなるぞ、と言う六条院に「なるべく平和な一日であってくださいって祈っとくっす」と梶が言いかけた瞬間、事件発生を知らせる通信が入る音がした。

0202-08-11