第五話 暗愁の決意 - 2/2

 次に満碧が意識を取り戻すと、変わらず香のにおいがしており、目隠しも外されないままだった。どうやら場所は移っていないようだ。硬い木の床に身体の右側を下にして寝ころんでいたせいか、若干肩が痛い。意識を失った振りをしていたつもりだったが、どうやらそのまま眠ってしまったらしい。思ったよりも自分の神経は太いようだ、と気づいて内心で満碧は苦笑した。
(まだおれがここにいるということは、誰もおれが松白家にいることに気づいてないってことだ)
 加えて、満碧は昼過ぎから現在にいたるまで拘束こそされているものの、身体に危害が加えられることはなかった。ますますどのような意図でかどわかされたのかがわからない。
 下敷きにしていた右肩が痛み、満碧がもぞもぞと体勢を変えようとしていると、不意に部屋の襖が開く音がした。
(誰だ……?)
 すり足で歩く音がして、満碧は耳を澄ませる。残念ながら足音で誰がある音なのかまではわからない。
「気づいたか」
 やや嗄れた声が響いた。満碧も耳にしたことのあるその声は、母の兄である伯父の声だった。普段、本家であるこの場所に出入りすることはほとんどなく、祭事のあるときに手伝いにくるだけであるはずなのに、なぜここにいるのか、と満碧は身を硬くする。満碧自身は伯父と話したことはほとんどない。思い出すのは母と話しているのを遠目に見ている記憶ばかりだった。
「なぜ、伯父上がここに……?」
 満碧が思わずつぶやくと、それに答える声があった。
「相変わらず察しが悪いのですね、お兄様」
 満碧を蔑むようなねっとりとした声はトモ子のものだった。その声に長年虐げられてきた記憶が蘇って満碧は身体を硬くする。
「家を出られて、松白家の男性の役割まで忘れてしまったんですか? ああ、いえ、お兄様はご存じなくて当然ですね」
 足音は一つだとばかり思っていたが、知らぬ間に、トモ子も来ていたらしい。母ではなく、トモ子であることを一瞬不思議に思いかけ――トモ子の婚姻が最近あったことを思い出す。婚姻後すぐに当主の座はトモ子に譲ると母は昔から言っていた。
「役割?」
 種馬のごとく女児を生せと言われることだろうか、と皮肉が満碧の口をついて出る前に正が続きを口にした。
「万難を排し、御霊と巫女の守護者たれ――そう言われるものです。不幸なことにお兄様には縁のない話でしたけど」
「……縁がなくてよかったと今心の底から思ってるよ」
 元身内であるが、すでに他家に嫁いだ満碧に対し、誘拐、監禁といった罪を犯しているのだから。万難を排する、という行為がそんなことまで含むのならば、この家に男手などない方がいい、と満碧は心の底から思った。
 だが、伯父とトモ子は呵々と笑った。表情が見えなくともわかる。嘲笑だ。
「縁がない、と本気で思っているのか。だとしたらとんだ間抜けよな」
「この家の人間である時点で多かれ少なかれ縁があるものですわ。お兄様がご存じないだけで、手助けされたことはたくさんありますから。一人だけ無関係でいられるなんて思いあがらないでくださいな」
 口々に言う二人に、満碧はぼんやりと実父と妹たちの父のことを思う。表向きは離縁、自死となっているが、もしかすると彼ら二人もこの定められた役割をまっとうすることができない良心の持ち主だったのかもしれない。満碧の実父に至ってはその可能性は非常に低いが。
「それで、万難を排することと、おれをここに閉じ込めておくことがどう結びつくんだ?」
 訊ねてから満碧はハッと気づく。これまで松白家にいたときの満碧は誰かの為すことに対して疑問をぶつけることはなかった。疑問をぶつけてもすぐに「お前は黙って言うことを聞けばよいのです」と母に頭ごなしに押さえつけられていたからだ。しかし、汀夏と出会い、共に過ごすことで、すっかりその心配はなくしてしまっていた。
「知りたいのならば教えてやろう」
「……よろしいのですか、伯父様?」
 これまで従順だったトモ子の声がやや疑念を含んだ。
「ふん、教えたところで何もできまい」
「それもそうですね」
 ふふ、と意味ありげな笑いをこぼした二人に一体何を言われるのかと満碧は身構える。
「おぬしは松白家が神職を務める神宮で祀っている御霊がどのような由来を持つものか、知っておるか」
 急に話が変わったことに困惑したが、満碧は黙ったまま首を横に振った。ただ、浄化の儀に従事すればいい、と言われ育ってきた満碧にはそれ以外の松白家の教育はなされていない。当主が就くと言われている神職の座にも一時興味を持ったものの、当主が何をしているのかを教えてもらえることはなかった。
「あれはな、遠く神代の世から在る荒ぶる御霊だ。一部のものには大蛇に見えるらしいがな。そのほんの一部を我らの宮で祀って鎮めておるのよ。だからこそ、松白家にはおぬしのような〝浄めの力〟を持った子どもが生まれる定めになっている」
 〝浄めの力〟の本来の用途は荒魂を鎮め、慰めることにある。しかし、時代は下り、その用途で使われることは極めて稀になってしまった。そして、満碧には聞き捨てならないセリフがあった。
「ほんの、一部、というのは一体……」
 大蛇のような形をした神代から在る荒魂、という言葉が頭の隅に引っかかった。つい最近、似たような言葉をどこかで目にしたはずだ、それはどこだ、と満碧は考え――今日見たばかりの汀夏の高祖父の日報だと思い出す。その瞬間、どっと心臓が早鐘を打ち、冷たい汗が背中を流れた。
(――もしかして、)
 考えうる中で、一番よくない可能性を満碧が導き出す前に、伯父が口を開いた。
「そう。今祀られているのは一割にも満たない御霊の末端だ。残りの九割は百年ほど前に、ある人間を呪う形になった」
「……」
 その先を聞いて確かめたい気持ちと、聞きたくない気持ちのはざまで満碧はじっと伯父の声に耳を傾けた。
「その人間は、我が家が祀る由緒正しい荒魂をヒトには制御できないものであるとして、不敬にも斬ろうとしたのよ――まあ、返り討ちにあって、今もなおそのときの報いを受け続けているがな。ここまで言えば、いくらおぬしが鈍くともそれが誰か分かるだろう」
「……」
 満碧が言うまでもなく、百年ほど前に呪いを受けたのは、汀夏の高祖父であり、今もなお続く呪いを受け続けているのは汀夏である。これまで調査をした中で、その根源が自分の生家にあるという可能性には思い至らなかった。だが、まだなぜ満碧がここにいるのかという問いに対する答えは出ていない。
「そして何の因果か、荒魂が呪った人間の玄孫のもとにおぬしが嫁いでしまった」
 あの阿呆め、金にしか目がないのか、と伯父はぼやいた。その言葉にトモ子は肩をふるわせて笑う。
「伯父様、あんまりお怒りになりますとまたお医者様に叱られますよ。お母様が金の亡者なのは今に始まった話ではないではありませんか。……私もまさか、そんな因縁があるとは存じませんでしたけど。お母様もご存じなかったのでしょう? 責めるのは可哀そうですわ」
 トモ子が母に向ける言葉には憐れんでいるように聞こえるが、トゲがあった。どうやら二人の仲も、一枚岩ではないらしい。
「そうだ。この話はわしを含めた松白家の男性がずっと秘匿にしてきた。松白家が続くにはこれしかなかった。これからもずっと秘めておくつもりだったのだがな」
 やれやれ、と伯父はため息をついた。
「さてここからが本題だ。満碧、おぬしは菊名橋家で解呪もしくは浄化を絶やさぬようにと言われたであろう? それをされては困る。我らが祀り、お仕えしている荒魂の九割を消すことになっては、松白家全体ひいてはおぬし自身も命の保障はない。それほどまでに荒魂というのは扱いが難しいものだ。いくらおぬしが強い〝浄めの力〟を持っていても抵抗することはできぬ。……だから、満碧、おぬしにはここにいてもらわねばならん」
「そ、れは……」
 汀夏を見殺しにすることと同義ではないかと問いかけて満碧は口をつぐむ。それを訊ねたところで是と返ってくるだけだ。
 そのため、別の角度から切り込んでみることにした。
「神祇省が、斬るべしと定めたものをこれからも祀り、菊名橋家に呪いを押しつけるつもりだったということですか? 罪を認め、罰を受けるべきではありませんか」
「ふん、百年前の罪など誰が裁くのだ。現にわしがこうして話をするまで、おぬしも菊名橋家の連中もまったく気づいておらんではないか」
 伯父の言葉はもっともだった。反論できずに満碧は黙りこむ。
「……ッ」
「とにかく、菊名橋家にはわしの方から離縁を申し入れる。おぬしは、このままここにおれ。なに、心配はいらぬ。取って食おうというわけではない」
 そう言って伯父は満碧の目隠しと手の拘束を解いた。
「……おれをどうするつもりですか」
「どうもしない。この祓殿からは出られないが、命の保障もしよう。望みも叶えられる範囲で叶えてやろう。トモ子もそれでよいな?」
「ええ、構いませんわ、伯父様」
 満碧は目を細めて伯父を見つめた。満碧を軟禁し、外に出て菊名橋家に戻ることを阻止したいのだと直感した満碧は、一旦、伯父の申し出に従うことにした。――時間が多く残されているわけではないが、ここで満碧が抵抗をすれば、拘束期間も長引く。それは望むところではなかった。
「わかりました。……離縁の話はおれからも一筆したためてよろしいでしょうか。中身はご覧になって構いませんので」
「いいだろう。そちらの方が都合がいい」
 あくまで家の意向ではなく、満碧自身の意思だということを強調したいのだな、と満碧は思う。
 だが、満碧自身は汀夏との離縁をまったく望んでいない。もう一度この家を出る機会を狙いながら生活をするのだと心に決めた。
(――それまでどうか、汀夏様が無事でありますように)
 懐の護符に祈りを込めて、満碧はぎゅっと拳を握りこんだ。