五、
急いで自宅に帰宅した汀夏を迎えたのは驚いた様子の恩加島だった。帰宅の挨拶をする間も惜しんで「満碧は帰っているか」と訊ねる汀夏に恩加島は目を白黒させた。
「いえ、まだお戻りではございませんが……喧嘩でもなさったのですか?」
事情を知らない恩加島の問いかけは至極全うである。常日頃から、一人では出歩きたがらない満碧が一人で菊名橋邸に戻るのはよほどのことであると恩加島もよくよく理解してのことだった。
「……」
しかし、恩加島の答えに汀夏は表情を険しくする。家にも戻っておらず、神祇省内にもいないとなると、彼の行動範囲外に何らかの理由で出ざるを得なかった、という結論になる。嫌な予感が嫌なかたちで当たってしまった、と汀夏は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「旦那様」
恩加島に無作法を咎められ、汀夏は深呼吸をした。
「……取り乱した。すまない」
「いえ、ご心配はもっともでございます。わたくしどもも動きましょう」
「ああ。今から神祇省で待機してくれている同僚に連絡を入れる。それが終わったら動いてくれ」
「かしこまりました」
恩加島は恭しく一礼した。汀夏は邸宅の洋館部分にある電話室に入り、神祇省へ電話する。交換手が取り次いですぐ、西園寺の太い声が聞こえ始めた。どうやら電話の近くで待機していたようだ。
『どうだった?』
「いや、家に帰ったわけでもなさそうだ。使用人たちも姿を見ていないと言っている」
『だろうな。こっちでも、今日神祇省を訪れた人間を調べたら、興味深い話を聞いたぜ。今日は松白家の当主が交代するからって、当主含めた何人かが、その申請をしに来省してたらしい。当主が交代して、満碧さんを松白家に戻そうって動きが出る可能性は?』
西園寺に訊ねられて汀夏は言葉に詰まった。汀夏が満碧との婚姻を進めるにあたり。直接話をしたのは満碧の母であり、現時点で先代となる当主だ。汀夏が知っている限りでは、次代は満碧の妹になるはずだが、彼女が満碧を頼る可能性は低いと汀夏は思う。家族の話をするとき、いつも満碧の口は重たく、また、汀夏が接触した限りでも松白家の人間は満碧に対して積極的に話をしたいという雰囲気ではなかった。
「ない、と完全に言い切れるわけではないがかなり低いと思っている」
そしてそうであれば汀夏に断りがないのは、道理に反する。
『まあでも、神祇省にもいねえ、家にも戻ってない、他に思い当たる交友関係もねえときたら、一回実家の方に行ってみるのもありなんじゃねえのかな』
「そうだな、満碧が進んで行くとは思いづらいが……」
汀夏の言葉に西園寺は『それは違うと思うぜ』と言った。
『確かに自発的に行くとは俺も思わねえが、お前のことを引き合いに出されて、脅しをかけられたら満碧さんは嫌でも実家に戻るんじゃねえのか』
「……」
あまりにうぬぼれがすぎる、と思って汀夏が無意識に頭の隅に追いやっていた可能性を突き付けられて、汀夏は思わず黙り込んだ。西園寺がそう思うということは、汀夏のことで満碧を脅せば容易に連れ去れると別の第三者が思ってもおかしくはない。
『いずれにせよ、早めに見つけられることを祈ってる。俺にできることがあれば何でも言ってくれ』
「ああ、ありがとう。恩に着る」
『後で返せよ』
そう言って西園寺の方から電話は切れた。汀夏は後ろに控えていた恩加島に言う。
「全員に捜索をさせる前に、一度、松白家を訪ねてみる。運転を頼んでもいいか」
「ええ、もちろんでございますよ。表に車を回してまいります」
恩加島は軽く会釈をして車庫へと車を取りに行った。汀夏がその後を追いかけようとすると、藤世に「旦那様」と声をかけられる。
「こちらを」
藤世が差し出したのは小さなつつみだった。
「これは?」
「軽食とお水でございます。お役立てください」
「ありがとう」
二人分あると思われる包みを汀夏はありがたく受け取った。藤世は深く頭を下げて言う。
「お二人でのお戻りをお待ちしております」
「ああ。心配させてすまない。行ってくる」
汀夏が声をかけると藤世は「いってらっしゃいませ」と言って、ますます深く頭を下げた。