八、
満碧が菊名橋家に戻って一週間が経過した。警察署での聴取も完了し、ようやく日常が戻ってきた。
一方汀夏の解呪はというと、そちらも満碧が荒魂から授けられた札を使うことで、順調に完了した。解呪の最後に、満碧は荒魂の感謝の声を聞いたような気がするが、きっと気のせいだろう。
汀夏の身体にあった黒い呪詛の後はキレイに消え、これには満碧よりも恩加島や藤世が喜んだ。
解呪のあと、満碧は自分の見た目も常人と同じものになると思い込んでいたが、実際には変わらず、真珠の髪と燐葉石の目を持つままだった。加えて、少し力は衰えたものの、〝浄めの力〟も残ったままだった。汀夏の見立てでは、菊名橋家に籍を移しており、護符を大事に持っていたことが影響しているのではないか、ということだった。
満碧自身は、見た目が常人と同じようになれば少し暮らしやすくなるかと期待していただけに、満碧はやや落ち込んだが、汀夏は逆に『美しい目と髪がそのままであってくれてよかった』と喜んだ。やや複雑な気持ちながらも、汀夏が喜んでくれるのであればよいか、と満碧も受け入れた。
そして本日は、西園寺と千代子を菊名橋家に招き、礼を伝えるための昼食会を開く日だった。角倉侯爵にも声をかけたものの、先約があるから西園寺と千代子を行かせる、と返事があった。
玄関で出迎えた西園寺はモーニングコート、千代子は振袖に織りの袴と正装の出で立ちだった。出迎える満碧と汀夏もそれぞれ黒紋付に袴である。
「見違えるな」
「うるせえなあ」
西園寺の服装に汀夏がからかい半分の感想をこぼす。西園寺も慣れない洋装のため、あまり似合っていないという自覚があるようだが、横から千代子が言う。
「よくお似合いでしょう? わたくしが見立てましたの」
にこやかに言う千代子に汀夏は先程の軽口が嘘のように「ええ、とても」と返答した。許嫁のお願いを断れないところは西園寺の可愛らしい点である。
すっかり盛り上がっている三人に、満碧は声をかけた。
「立ち話では申し訳ございませんので、こちらにどうぞ」
その声掛けで千代子と満碧の目がぱちりと合う。意志の強そうな切れ長の目がぱちぱちとしばたたかれた。満碧は千代子が何かを言う前に礼を言う。
「先日は当家へのお力添えをありがとうございました。おかげで、こうして無事に生活ができております」
千代子は満碧の謝礼に首を横に振った。
「いいえ、わたくしは何も。今日はお友達としてお話に参りましたので、硬いことはおっしゃらないでくださいまし」
千代子の申し出に満碧は困って汀夏をちらりと見たが、汀夏は黙ってうなずいた。
「ええ、わかりました。よろしくお願いします」
満碧が是と言うと、千代子は満足そうに目を細めた。
四人のみの昼食会は和やかに進み、中盤に差し掛かろうかというところで西園寺が口を開いた。
「そういえば、最終的な沙汰が出るのはまだ先だって話だが、昔の事実隠匿と満碧さんのかどわかし関わっていた人間には処罰があるってよ」
「……そうですか」
警察に対しては、松白家に関することを逐一知らせずともよい、と汀夏が断っていたが、西園寺はこうして時折、必要と思われる情報をくれる。
「あとは……処罰を受けなかったもんも地方に身を引くことになるらしい。まあ……事実上の家の解体だな」
西園寺はやや言いづらそうに満碧を見ながら言うが、満碧は逆にホッとしていた。松白家の解体には、少なからず満碧も絡んでいる。今後顔を合わせることはできれば避けたいため、物理的に離れた場所に親族がいる、というのはある意味で安心だった。
「それとこの件に関してもう一つ、早瀬川が神祇省を辞める」
「?」
なぜここで早瀬川の名が出てくるのかと汀夏と満碧は顔を見合わせた。満碧としてもいけ好かない人間ではあったが、どう絡むのか……と考えて一つだけ思い当たるところがあった。
「もしかして、省内の満碧の居場所を松白家に漏らしたのは」
なぜ省内でもあまり人の出入りのない場所にいたはずの満碧が見つかったのか、ずっと疑問だったが、その謎がようやく解けた。
「ご明察。ここは俺も調査を手伝ったんだがな。あいつが絡んでいたらしい。動機はお前に対する私怨。あいつも能力あるやつなのに損な性分だよな」
「……」
汀夏自身も早瀬川を能力的には評価していたため、複雑な面持ちだったが、千代子が箸を置いて言う。
「同情は不要でございますよ。満碧さんを危険な目に合わせるきっかけを作ったことはきちんと償わなければなりませんから」
汀夏相手でも物怖じせず、きっぱりと言い切る千代子は警察署長である角倉の正義感をきちんと受け継いでいるのだろう。
「辞めてどうするか、聞いてるか?」
「いや、特には聞いてねえ。一応、表向きは自分の都合で辞めるって話になってるからどっか働き口でも見つけるんじゃねえか。性格はあれだが……経歴と仕事ぶりからすると引く手数多だろ」
いくら角倉から情報をささやいてもらえるとはいえ、西園寺もすべてを知っているわけではない。知らないものは知らないのだろう、と汀夏も早々に見切りをつけて話を変える。
「そういえば籍を入れる日取りが決まったと聞いたが、いつだろうか?」
汀夏の問いかけに、千代子がさっと顔を赤くした。つやつやと輝く林檎のような頬を満碧は可愛らしい、と思った。今まで妹たちと過ごしていた影響で、同じ年ごろから少し年下の女性がすっかり苦手になっていた満碧だが、千代子はそんな満碧の否定的な気持ちを解消してくれる。
「今年の十一月だ。籍を入れるにはいい日取りなんだと。まあ、俺が角倉家に本格的に世話になるのは来年の三月以降だな」
「今年からお住まいになってほしいと再三お願いしましたのに……」
いくら可愛い婚約者からのお願いといっても、正式な婿入りは来年の三月であり、それまで同じ屋根の下で過ごすのはよろしくない、と西園寺が固辞したらしい。千代子も口では文句を言っているものの、硬派な勇様はやっぱり素敵です、と顔が物語っていた。
「式を挙げるときにはぜひ呼んでくれ」
「ああ、もちろんだ。二人で来てくれ」
満碧と汀夏の方はどうなんだ、と訊かれたことがある。互いに呼ぶべき身内はほとんどおらず、知人・友人も多くないため、特に行わない、と決めていた。
「おれは誰かのお祝いの場に行くのは初めてなので嬉しいです。ありがとうございます」
たくさんの人に対して浄化の儀を行ってきたが、純粋に誰かの門出を祝うのは初めてだった。きっと白無垢に身を包んだ千代子は素敵なのだろう、と満碧は思う。
「あら、そうなのですか……。では、うんと素敵な式にしなくてはなりませんね、勇様」
「……ああ、そうだな」
張り切る千代子に西園寺はやや遠い目をした。おそらく今すでに千代子に要望に応えるべくあれこれ走り回っているのだろう。
「楽しみにしていますね」
きっとこの二人の結婚式であれば、非常に素晴らしいものだろう。今からその日が待ち遠しい、と思いながら満碧は、食後にと出された水菓子に手をつけた。
昼食会が終わって、西園寺と千代子が帰路につくと、満碧はホッとしながら黒紋付から薄物に着替えた。汀夏があつらえてくれたものは、まるで満碧が着ることで完成するかのようにぴたりと身体に馴染んだ。
「着替えたか?」
同じように着替えを済ませた汀夏が満碧の部屋に顔を出した。
「はい。汀夏様もお疲れ様でございました。気心が知れた方と、家での食事ではありますがやはり緊張しますね」
西園寺と千代子の結婚式に招かれるまでに慣れておかなければ、と満碧は決意を新たにする。
「じきに慣れる。特に今日は心配するようなことはなかったと思うが」
汀夏はそう言って、満碧の黒紋付を片づけていた藤世を見る。藤世も「ええ、問題ございませんでしたよ。ばっちりです」と言った。藤世に太鼓判を押されたことで満碧はようやく安堵した。
「ところで、何か御用でしょうか?」
「ああ、少し庭に出ないか。虹が見える」
「本当ですか!」
満碧はわくわくとして汀夏についていった。縁側から庭に出ると確かに、遠くに虹が見えた。すでに消えかかっているが、それでも虹があることはわかった。
「きれいですね」
「ああ」
「でも少し寂しゅうございますね」
虹は儚いものである。一瞬の水と光の加減でその姿を見せて、すぐに消えてしまう。
「だが……そうであるからこそ、次の虹を追って私たちは生きるのだろうな」
「はい」
汀夏の次の虹はなんだろうか。生きることに対して怯えなくともよくなった彼が、力強く生きる、と言葉にしたことが嬉しく、満碧は汀夏の手をそっと握った。握り返された力は強かったが、決して痛みを感じさせない力だった。
二人の目の前にはすべての憂いを吹き飛ばすような青空が、広く蒼く広がっている。この空がどこまでも遠く続きますように、と満碧は祈った。