一、

「不審物を取得したのですが」
 その日の午前中の入電は少し変わっていた。
 延々と、不審物を取得したのですが、とだけ無機質に繰り返す女性の声だった。通常であれば拾得物は近くの巡回に出ている交替班の人間か、場所が近ければ本部に持ってきてもらう。もしやいたずらではないだろうか、と思えるほど機械的な音声がずっと聞こえる状態に音を上げたのは電話を受けた志登だった。端末のマイクを手で押さえて志登は補佐である雷山に指示した。
「埒が明かねえから今から行ってこい」
 そう言って志登は通話を受けながら場所を記載したメモを差し出す。
「え? もしかして俺が行くんですか⁈」
「他に誰がいるんだよ」
「いやですよそんな得体のしれない電話の先に行くの」
 通報者との通話が続いているのにそんなことを言うな、と志登は雷山を叱った。だが、そこで女の言うことが変わった。
「だめです、あなたが来てくれないと。あなたでないと渡せません」
「は?」
 次は志登が来ないとだめだと延々言われ、志登は「わかりました! 俺が行きますが、規則上同伴者をつけます!」と電話の先に向かって怒鳴りつけていた。

「ったくなんだったんだよ」
 災難だった、と言いつつ、電話の女が言った場所までやってきた雷山と志登はあたりを見回す。しかし、女の姿はおろか、不審物と思われるものは見当たらなかった。
「いたずらですかね」
「それにしちゃ様子がおかしかったんだよな……」
 このあたり一帯を少し見回って帰るか、と言って志登は雷山を連れて歩き出す。不審物らしきものがありはしないかと思いながらしばらく巡回していると、ふと足先に何かが当たった。恐る恐る志登が足元を見ると、人形が落ちていた。
「あ! 蹴っちゃだめじゃないですか。かわいそうに」
「いや蹴ってねえよ。当たったんだって」
 咎める雷山に志登は言い訳をする。
「傍から見たら一緒ですよ。どうするんですか、落とし主がもし見てたら」
「俺とお前以外に誰もいないだろうが」
 雷山は志登の足元の人形――いわゆる着せ替え人形だ――を拾い上げた。
「預かっておきましょうか」
「そうだな。まあ、不審物はなかったってことで帰るか」
 雷山と着せ替え人形の組み合わせは非常にちぐはぐだったが、志登はそのまま雷山に人形を持たせて歩き出した。その場から〈アンダーライン〉本部まで歩いて二十分程度である。二人で歩いていると途中で「お兄さんたち」と声をかけられた。ふと横を見ると、黒い装束を身にまとい、フードで顔まで隠している老婆がいた。占い、と書かれた古ぼけた看板を傍らに置いていることから流れの占い師のようだ。
「俺たちですか?」
「そう、あんたたちだよ。女難の相が出てるから気をつけな。ババアからの忠告だよ」
「? はあ、それはどうも」
 あまりに唐突に声をかけられて戸惑う志登に、占い師の老婆は「信じていないね?」と笑った。
「あんたの同僚には水難の相が出てるよ。帰ったらあんたと同じ色の腕章をしている男を訪ねてみな」
 老婆の言う特徴が当てはまる男は現時点で一人しかいない。まさかな、と思いつつ志登は「そうします」と答え、老婆に軽く会釈をしてその場を通り過ぎた。
「なんだったんでしょうか?」
 ひそひそと雷山が志登に耳打ちをする。志登は肩をすくめて答えた。
「さあな」
「あの占い師が言っていたのって松本副隊長のことですかね?」
 〈アンダーライン〉部隊のうち、同じ本部で仕事をしているのは四部隊だ。第二・第四部隊の副隊長は女性であり、老婆の言う特徴が当てはまるのは第三部隊副隊長の松本だけだった。
「……特徴に当てはまるのは松本だけだな。それも戻ってみたらわかるだろ」
 頼むから外れていてくれ、と願いながら志登はやや重たい足取りで〈アンダーライン〉本部へと帰還した。

二、

「副隊長ですか? 少し前にずぶ濡れで戻ってきたので風呂に行きましたよ」
 帰還した志登が第三部隊の執務室を訪ねると、第三部隊の日勤隊員である櫻井が迎えてくれた。まさか、と思ったことが当たっていて思わず志登は天を仰いだ。
「ずぶ濡れって、今日晴れてますけど」
 雷山がつぶやくと、櫻井は苦笑しながら答えた。
「いやなんでもね、調査の手伝いに出ていたんですけど、家の前で花に水やりしていた老婦人に水をかけられたって。まあ、不幸な事故ですね」
「……それは朝から災難でしたね」
 老婆は水難だと言ったが、女難でもあるだろう、と志登は思いつつこの場にはいない松本を哀れんだ。
「ええ。隊長に風呂場へと叩き出されてましたね」
 櫻井は思い出し笑いをしつつ言った。ずぶ濡れのまま戻ってきた松本を見た六条院は容赦なく「風邪を引く前に風呂に行け。乾くまで戻るな」と叩き出したらしい。〈アンダーライン〉本部には共同の風呂場およびシャワーブースが設置されている。
「で、何かご用でした?」
「いや、特にあったわけじゃないんで、俺たちはこれで」
「? そうですか」
 不思議そうな顔をする櫻井を置いて、志登と雷山は第一部隊の執務室に戻った。
「副隊長、どうするんですか? あの占い、当たってますよ」
 興奮気味に言う雷山を志登は諫める。
「一回当たったくらいで信じようとするな。ああいうのは確率なんだよ。俺たちが腕章してたのを見て適当言ったんだっての」
 何としても老婆の言うことを信じまいとする志登に今度は雷山が反論する。
「水難だけならまだしも、個人が特定できることまで言ってたんですよ? 思い過ごしならそれでいいですけど、用心するに越したことはないじゃないですか。俺イヤですよ、志登さんが刺されたりしたら」
「……それは俺もイヤだ」
 現場に出るときは防刃ベストを着た方がいいかもしれない、と真剣に検討していると風呂上がりでつやつやとしている松本が第一部隊に顔を出した。
「どした?」
「それはこっちのセリフ。なんか探されてたって櫻井さんから聞いたんだけど」
「まあー……探してたっつうかなんつうか」
 志登は手短に午前中にあったことを松本に話した。松本はやや引き攣った顔でそれを聞いてちらり、と雷山の机を見た。
「それがその、拾ったって人形?」
「ええ、そうですよ」
「うまく言えないけど……多分それ、早く処分した方がいいと思う」
「え? どうしてですか? 普通の人形じゃないんですか?」
 雷山の言葉に松本は少し考え込んだのちに言い放った。
「普通の人形に見えるのは見えるけど……俺の勘」
「……勘か」
「なんかイヤなものを感じるんだよね。人形を『誰か』や『何か』に見立てる文化はあちこちにあるし、無病息災や子の健やかな成長を願う風習が多いとはいえ、誰かの不幸を願うことにも使われるじゃない?」
「あー確かにあるな、そういうの。俺のばーちゃんがそういうの結構信じるタイプだった」
 志登は松本の言い分に納得したが、雷山は納得がいっていないようで、
「でも一応落とし物でしたし……」
 と落とし物を処分することを気にしていた。
「多分その落とし物、落とし主は名乗り出ないよ」
 まあ俺だけの言い分じゃちょっと足りないか、と松本は言う。
「隊長の方が『視える』人だし見てもらう? それとは別に科技研でもX線検査もしてもらった方がいいと思うけど」
 松本の場合は五感のよさで見ているが、六条院は第六感というべき感覚がある人間だった。この手のことに詳しい人間への伝手もあるはずだ。
「いや、六条院隊長のお手を煩わせるのはちょっと」
 逆に六条院が『視』て本物だった方がイヤだ、と雷山は思った。
「普通には処分しづらいものだろうし、うちの隊長の伝手で処分してもらった方がいいと俺は思うよ」
 都市国家〈ヤシヲ〉には四つの貴族の家が存在しており、それぞれが国の文化保護、基礎研究の実施、資料蒐集などを一手に引き受けている。知識があるものに預ければそれなりの対処と適切な処分をしてもらえるだろう、という見立てだった。
「じゃあ、一旦お預けしましょうか?」
「それはイヤだ。写真撮るからここに置いたままにして」
「おい、お前が言い出したんだから最後まで責任持てよ」
「元はといえば志登さんたちが拾得物として持って帰ってきたんだから責任取るのはそっちでしょ!」
 押し問答の末、第一部隊で拾得したものを他部隊の人間に押し付けるのはよくない、ということで松本が写真を撮影し、現物は科技研で検査をされることになった。

三、

 翌日、科技研から検査結果を知らせる連絡がきた。第一部隊のサポートをする科技研の職員は数人いるが、今回連絡をしてきたのは元岡だった。たまたまX線を使う検査をするタイミングがあり、ついでに志登の持ち込んだ人形も検査をしたらしい。
『一見普通の人形でしたし、X線検査の結果に異状はありませんでした。けど……』
「けど?」
『看過すべきではない点もありました。口で言うより画像を見ていただいた方が早いと思いますので、そちらに画像をお送りしました』
 軽快な音がして志登の端末が画像を受信する。その画像を開いて志登は「うわ、」と思わず声を上げて端末を取り落としかけた。
「なんだこれ」
 人形が着ていた服の裏側に一枚の紙が縫い込まれており、その紙には男性に向けられたと思しき呪詛の言葉が手書きでびっしりと書き込まれていた。画像越しでも感じる狂気にゾッとする。
『私にもわかりませんが、少なくとも気持ちのいいものではないですね。松本副隊長がおっしゃった通り、六条院隊長の伝手で処分してもらった方がいいと思います』
「わかりました。ちなみに筆跡の鑑定ができますか?」
『ほかに筆跡のサンプルがないので難しいというのが羽根戸さんの見立てでした』
 元岡は第一部隊担当の職員の名前を出した。ベテラン職員である羽根戸の人当たりのよい顔を志登は思い浮かべる。彼が難しいと言うことは不可能と同義だ。
『あ、最後に。この検体はお返ししてよろしいですか?』
「はい。あとで引き取りに行きますので、よろしくお願いします」
 志登はそう言って通話を切った。緊張から額に滲んだ汗を拭い、松本に「何見てんだよ」と言う。傍から見ればニコニコと、志登からすればニヤニヤと見守っていたが、
「いや微笑ましいなあと思って」
 と答えた。
「ほっとけ」
 志登が元岡に恋愛的な意味で好意を持っているのは松本の知るところだった。元岡からも状況を聞いているため、時折こうして状況をうかがっていた。
「悪くない感じだってこっちでも聞いてるから気になるんだよ」
 志登は松本の言葉に「仕事中にそんな話するわけないだろ。いいから結果の話をするぞ」と強引に話を元に戻した。
「お前の懸念通りだった。ただの人形じゃない」
 志登は元岡から送られてきた画像を松本に見せた。志登と同じようなリアクションをしつつ腕をさする松本にやはりこれは気持ちのいいものではない、と思う。
「それと六条院隊長の力を借りた方がいいと言われた」
「だろうね。元岡さんならそう言ってくれると思った。隊長には昨日のうちに話をしておいたから、人形を引き取るのは俺が行くよ」
 別件の検査結果を取りに行く必要もあるから、と松本は付け加えた。
「助かる」
「いいよ。顔色悪い人に取りに行かせるのは気が引けるから。体調悪いなら休んだ方がいいと思うけど、大丈夫?」
「……ちょっと寝不足なだけだ」
「ホントに?」
「あー……まあちょっと夢見が悪くて」
 言い訳するように小声で言う志登に松本は単刀直入に言う。
「女に首を絞められる夢?」
「ッ! なんでそれ知ってんだ!」
 思わず叫んだ志登に松本は「やっぱり当たり?」と訊ねた。
「志登さんは気づいてないかもしれないけど、首周りに薄く痕が見える。多分見えるのは俺の目がいいからだと思うけど、手の大きさ、指の感じからして女性に見える」
「……」
「志登さん?」
「まあ、その夢が妙にはっきりしてて気になったんだ。鬼みたいな形相の女だった。どこかわからない場所で『お前のせいで人生がめちゃくちゃになった』って詰めよられて抵抗できないまま首を絞められた。もう死ぬだろうな……ってとこで目が覚めたけど、それ以降は眠れなかったよ」
 志登が目を覚ましたのは午前三時のことであり、それ以降出勤までは横になってはいたもののとても眠れなかった。松本は黙って話を聞いていたが、しばらく考え込んだのちに口を開いた。
「志登さん、俺には正直に言ってほしいんだけど」
「なんだよ」
「二股かけてな……イッテ!」
 最後まで言葉を発する前に志登の手刀が正確に松本の脳天を捉えた。身長差を元ともしない正確な攻撃を受け、思わず頭を抱えてうずくまる松本を見下ろして「そんなわけねえだろ!」と志登は声を上げた。
「なんで口より先に手が出るかな……。わかってるよ。志登さん、多分あの人形の影響受けてるんじゃない? 昨日拾ったときに何かおかしなことなかった? 気になることでもいいけど」
 そう言われて昨日のことを思い出し――二つ心当たりがある、と志登は言った。
「二つもあるの?」
「うるせえよ。一つ目は拾ったときだな。その、まあー……落ちてるもんに気づかなくてちょっと足の先が人形に当たった。二つ目はそのあと変な占い師のばあさんに声をかけられた。女難の相が出てるとかって言われて、ついでにお前には水難の相が出ていると言われた」
 志登の言葉を聞いた松本は呆れたように言う。
「……それ、絶対に人形からは蹴ったって思われてるよ。志登さんよりもずっと長い時間あの人形持ってたはずの雷山にもさっき会ったけど、いつも通り元気だったし」
「あれが意思を持ってるってお前は言いたいのか」
 志登の問いかけに松本は答える。
「意思というよりネズミ捕りみたいなものかな。おびき寄せられたネズミが餌に触ったら捕まえるって仕組み。さっき見せてくれた画像からして『男性が』『自分に危害を加えたら』『やり返す』みたいなイメージだと思うけど。だから普通に持って運んだだけの雷山には何も起きていないんだろうね」
「どうすりゃいいんだよ」
「まずは謝ればいいんじゃない? 許してくれるかはわかんないけど」
 至極まっとうな提案をされ、志登はパチパチと目をしばたたかせた。
「それも、そうか。そうだな」
「うん」
「……科技研に行くの、俺も一緒に行っていいか」
 志登は松本に訊ねる。もちろんだ、と松本は答えたのち、
「でも運転は俺がするから少し寝ていいよ」
 と付け加えた。
 科技研にあった人形に謝罪をしたその夜、志登の夢見は穏やかだった。だが、昨日は般若の形相で志登に迫っていた女が目の前で泣いていた。どうしたのか、と訊ねようにも身体は動かず、声は出なかった。無力だと思いながら志登はずっと女の前に立ちすくんでいた。

四、

数日後、〈アンダーライン〉本部にひとりの女が訪ねてきた。手は血にまみれていて、頬にも返り血が付着していた。真っ白なワンピースも赤く染まっていた。その異様な雰囲気に誰も何も言えなかったが、志登だけがその女に声をかけた。
「……あんただったんだな」
 その言葉に女はその場に座りこんで泣きだした。その泣き声はこの数日、志登が夢の中で聞き続けたものと同じだった。
――わたしはひとを殺しました。既婚者の男に騙されて、不倫だと知らずに五年も無駄にした。慰謝料も払われず、あまりに虚しく時間が過ぎたことがどうしても納得できなかった。わたしはこの虚無をどうしたらよかったの――
 訊ねる女に志登は「これからどう罪を償うか考えろ。あんたは、その手で誰かの愛した人間の命を奪ったんだ」と答えた。同情はできなかった。だが、女が人を殺す前に止める手立てはなかったのか、と深く考えた。
「おや、浮かない顔をしているね、お兄さん」
 ふと、数日前にも聞いたしわがれた声が志登の耳に届いた。驚いて横を見ると、先日の占い師の老婆がいた。〈アンダーライン〉本部に立ち入っているのは一体どうしたことか、と思っていると老婆は豪快に笑った。
「六条院の坊ちゃんに頼まれてこいつを引き取りにきたのさ」
 老婆の手には志登が拾った例の人形があった。六条院の頼みである、ということはこの老婆は貴族とつながりのある人間だ。
「あ、それ」
「ったく馬鹿な女だね。こんな不出来なまがいもん作るなんて。挙句の果てに法まで犯しちまった。あんたもこんな女に同情なんてするんじゃないよ」
 老婆の言葉は強かった。彼女がどこまで何を知っているのかは志登にはわからなかったが、妙に強く響いた言葉に「はい」と首を縦に振った。
「かしこまらなくてもいいよ。それと……ああ、あんたの女難は一過性のものだったんだね。よかった。ただこれからも気を付けるに越したことはないよ」
 老婆は目を細めて言う。礼もろくに伝えていなかったことを思い出した志登は老婆に「お礼が遅くなってすみません。先日はありがとうございました」と言って頭を下げた。
「素直な若者は嫌いじゃないね。ま、ババアにどうしても礼がしたいってんなら、酒飲ませてくれたほうが嬉しいねえ」
「……それは、また後日に」
「冗談を真に受けるんじゃないよ。じゃあね、お兄さん。次はこんなもん見つけても拾うんじゃないよ」
 老婆はそう言ってさっさと〈アンダーライン〉本部を出て行った。志登はその背中に頭を下げる。
 ――知らないところで何か言われる前にきちんと礼をしておこう。
 そう決意した志登が六条院に老婆の連絡先を訊くまであと数分。罪を犯した女に対する妙な罪悪感は老婆と話したことによってずいぶんと薄れていた。

「そういえば副隊長、最初に電話かけてきた人って誰だったんですかね」
「せっかくいい感じに終わったんだから蒸し返すなよ。わからねえままにしておいてもいいもんがこの世にはある」

 

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