能面の女

一、

 ――連絡が取れなくなった部下がいるから探してほしい。
 都市国家〈ヤシヲ〉の自警団〈アンダーライン〉第一部隊にその依頼が来たのは初夏のある日だった。通常の通報ではなく、直接依頼者が〈アンダーライン〉本部にやってくるのは非常に珍しいことだった。やや憔悴した小太りの男は額に滲む汗を拭きながら第一部隊副隊長である志登に話をした。
「うちの部下がもう一週間も無断欠勤しとるんですわ」
 最初は体調不良を疑って自宅を訪ねてみたがもぬけの殻。また以前の伴侶であった女性にも連絡を取ってみたが「私があんな人のこと知っているわけないでしょう」と取り付く島もなく電話を切られたという。
「それで……その、大っぴらに調査を依頼できんのには理由があって」
 そう言って失踪した男が残していたという一枚の紙を差し出した。紙には『譛亥■■螟■遉■』と不可思議な字が並んでいる。志登は黙って紙を受け取った。
「これ以外にも何かあるんですか」
「その、肝試しに行くっちゅうことだったようで。別の部下が聞いとったんですわ。男が行くと帰れんようになる神社があるとかなんとか」
 その部下の証言を頼りに上司である男が見つけ出したのは一つの動画だった。心霊スポットに行ってみよう、というテーマで女性二人が山間の寂れた神社を訪れて帰ってくるだけの動画である。特に女性二人が騒ぎ立てたりするわけでもなく淡々と動画は進み、最後に鳥居の前で頭を下げた彼女たちを写して終了した。再生回数が取り立てて多くもない――平たく言ってしまえばつまらない動画だった。
「なるほど」
「……信じられんでしょう」
 素直に話を聞いた志登のリアクションに男は苦笑した。
「……いや、職業柄ですかね、不可思議なことに遭遇することもあります」
「これがただの悪ふざけならいいんですけどね、その、やはり寝覚めの悪い結果になると社としても対応に困るっちゅうわけで」
「そうでしょうね」
 肝試しをした、という男の安否はやはり会社の信用にも関わるだろう。志登は男から部下の写真と動画のURLを受け取り「こちらで調査しますのでご連絡先を記載いただけますか」と書類を差し出した。

「それでなんだってうちに来たんですか」
 自警団〈アンダーライン〉第三部隊執務室にいた副隊長・松本が訊ねる。志登は先ほどの男とのやり取りをかいつまんで説明しただけであり、なぜ第三部隊にやってきたかは明かしていなかった。
「この動画の神社、管轄が第三部隊だろうと思って。【住】地区十九番街〈タウ〉の山にある『月山大社』じゃねえの?」
 志登は動画の最後にある鳥居に書かれている文字を指さした。松本は動画を覗き込んで「ほんとだ」とつぶやく。
「依頼は俺のとこに来たけど管轄外の場所にヅカヅカ入るわけにいかねえだろ。だから同行協力を求めに来た」
「えー志登さんが持ってくる山がらみの案件、ろくなことにならないと思うんだけど」
 まだ消えてないですよあのアザ、と言って松本はズボンのすそをまくった。
「いいよ見せなくて。ていうかあの案件は隊長の横暴で俺じゃねえよ」
「……そういえばそうだった」
 志登と松本が二人で話をしているところに所用で席を外していた第三部隊長・六条院が戻ってきた。彼は志登の端末の画面を見るなりぎょっとしたような表情を見せた。
「どうしました?」
 表情を変えることが珍しい上司の姿に松本が訊ねる。六条院は志登の端末を指さして「ソレはなんだ」と訊ねた。松本と志登はそろって画面を見つめるが、無人の神社以外に映っているものはない。
「画面の中央に巫女装束をまとって能面……小面だったか。それをつけた何かがいるが、もしや見えぬのか?」
「えっ⁈」
 慌てて志登と松本は画面を食い入るように見つめたが、六条院のいうものは見えなかった。
「志登さん、俺も一つ言いたいことがあるんだけど」
「なんだよ」
「この動画、再生してる間ずーっと鈴の音がしてて耳が痛い」
「は?」
 俺には聞こえねえんだけど、と志登は言った。動画を持ってきた男自身も特に気にしている様子もなかった。試しに続きを再生してみたが、視聴した六条院も聞こえないと言った。
「……どういう条件なんだこれ」
 厄介な仕事を引き受けてしまった、と思わず志登は天を仰いだ。しかし、まずは調査をしないことには動きようがない。
「まず、この行方不明になった男性――呼びづらいからA氏とするか。A氏と似たような状況に陥っている人間がいるかどうかを調査する。それから、俺たちも現地調査だな。人間によって見えるもんが変わる場所なんて気味悪いだろ」
「それ、俺も行かなきゃだめ?」
「ダメに決まってんだろ。俺ひとりで行かす気か⁈」
 俺も行きたくないです、と松本は助けを求める視線を六条院に送ったが、彼はそっと目をそらすと「志登を単独で行動させるには危険だ。そなたもついて行ってやれ」と言葉を返した。
「そんな!」
 悲痛な声を上げる松本の横で志登はガッツポーズをした。
「とりあえずここ最近の【住】地区十九番街で起きたことの記録調査は任せた。俺は科技研で不審死がないか調べてくる」
「……わかった。調べとくからそっちはよろしく」
 事件・聴取の記録はそれぞれの部署で作成されて全体で共有されるようになっているが、全体共有までにはわずかにタイムラグがある。隊員が作成した記録は副隊長→隊長の順で確認する手筈になっているため、調査をするのは松本が適任だった。
「何か追加で調べることがあったら連絡くれ」
「了解」
 松本は志登を送り出すと、最近の記録を調べるべく、端末を操作し始めた。

 数時間後、志登と松本は改めて情報の突き合わせをしていた。
「まず俺から。事件までになっている記録はなかった」
「含みのある言い方だな」
「あの神社に関するネット上での書き込みやニュースを集めたら、いろいろ出てきたけど、まあ……あんまり気持ちのいい話じゃなくて」
 松本はそう言うとホログラムディスプレイに週刊誌の記事と思しき情報を映し出した。要約をすると〝参拝した男性ばかりが消える神社がある〟というものだった。
「それで一応この記事に上がってる男性の名前を調べてみたら背景に色々あって」
「色々って例えば?」
「この短時間かつ〈アンダーライン〉のデータベースで調べられた範囲だと、離婚歴があってそのあと前妻に付きまとい行為をしたり、性犯罪歴があったり……とかかな。今調べた範囲で分からなかった人たちも多分『女性に絡んだ』何かがある」
「気味悪いな」
 そう返してふと思い出す。依頼を持ってきた男は確か失踪した部下の元妻にも連絡を取ったと言わなかったか。
「……気味悪さが増しただけなんだけど」
「仕方ねえだろ……。ともかく次はその女と別れた経緯に問題がないか調べる、だな。俺の方は一応あの山付近で見つかった遺体で不自然なものがなかったかどうか聞いてきた」
 これもあんまり気持ちのいい話じゃねえぞ、と釘を刺して志登は端末を操作した。
「うわ、」
「これが何にどう関連するのかは知らねえけど、生殖器を切り取られた男の遺体がいくつか見つかってる。しかも遺体の周囲からは一切血痕が見つかってないときた」
「……やっぱりこの案件、深入りしない方がいいんじゃないの?」
 絶対にろくなことにならないって、と言う松本に志登はため息を吐く。
「それは俺も思ってる。ただ調査するって言った手前、ポーズだけでもやらなきゃだめだろ?」
「俺たち二人まで危険な目に遭ってたら本末転倒だって。一応訊くけど、志登さん今までに女性から恨み買ったことある?」
「ない……と思いたい。少なくともイチモツ切られるほどやばいのはない」
 先日街ですれ違った胡散臭い占い師の老婆に「女難の相が出てるよ」と言われたことをなるべく思い出さないようにしながら志登は答えた。
「いや待て俺よりお前だろ。女の一人や二人、泣かせてんじゃねえの⁈」
「どうだろ……少なくともここ十年ちょっとは違うと思う」
「怪しすぎるだろ」
 どうするかなあ、と志登はぼやく。女性関係で浮いた話を聞かないのは六条院だが、彼の場合は女性と関係を持たないことを徹底しているだけであり、陰で失恋をしたという女性隊員の話は尽きることがない。そのうちの誰かが恨みに近い感情を抱いていない、とは言い切れなかった。
「誰か女性隊員連れてく? それか既婚の隊員」
「どっちも責任取れないから却下。俺たち二人で行くのが最善だ。六条院隊長に見えたもんがいつ出てくるかわかんねえけど、とりあえず例の動画と同じくらいの時間で試すぞ」
「人探しするなら昼間だと思うんだけど」
「何が起きたか知ってからでも遅くねえだろ。探せるかどうかもわからねえ案件なんだからな」
 夜に向けて準備するぞ、と言う志登に松本は渋々「わかったよ」と答えた。

二、

 同日、夜十九時。
 日が落ちてから約三十分後に【住】地区十九番街〈タウ〉の月山大社の鳥居の前にやってきた二人は互いの装備を確認した。ヘッドライトのついたヘルメットと蚊取り線香を装備してきた志登に松本が顔をしかめた。
「なんで蚊取り線香?」
 松本が志登のベルトからぶら下がっている蚊取り線香を指さして訊ねる。
「この季節、虫も出るだろ。備えあれば憂いなし」
「俺、蚊取り線香のニオイ苦手なんだけど……」
「虫に刺されるよかマシだろ、我慢しろ」
 志登はそう言ってラバー軍手を手にはめた。
「俺からも訊きたいんだが、そのでかいヘッドフォンは?」
「念のため防音用に持ってきた。あの動画だとすごくうるさかったから」
 境内に着くまでは外しとくよ、と言って松本は懐中電灯を握った。LEDが一筋の光を作り出し、境内へと続く石段を照らし出した。百段以上あろうかという石段を見て、思わず志登は顔を引きつらせた。
「こんな時間にこんなとこまで来て階段上るなんて全員正気じゃねえな」
 いくら肉体労働が多い職場に勤めているとはいえ、時間外の労働でまできつい思いをするのは避けたい。
「この時間に行くって言ったのは志登さんでしょ。行くよ」
 ともに石段を上る。夏の前を感じさせる虫の声ばかりが聞こえた。だが、石段の途中にある鳥居をくぐった瞬間、耳が痛くなるような静けさが訪れた。
「静かすぎる」
「……ああ、そうだな」
 心なしか気温も下がったような気がする、と志登は思った。たった数十段の石段を上っただけでは標高が変わるとは思えない。何かが起きていると直感的に思った。
「あ、見えた」
 境内と石段を隔てる鳥居が懐中電灯で照らされた。動画で見たものよりも随分傷んでいる木材で造られた鳥居の足元をよく見ると、〈世界を滅ぼす〉大戦よりも前に建てられたものだった。
 しん、とした境内からは星がよく見えた。特に嫌な気配もなく、ただ清涼すぎて肌寒い、という感覚があった。松本は腕をさする。
「ちょっと寒、……ッ⁈」
 ちょっと寒いね、と言いかけた松本だが、その言葉は最後まで発せられなかった。
 ――音はなく、ただソレはそこにいた。
 六条院が動画を見たときに口に出した〝巫女装束をまとって小面をつけたなにか〟が松本にも見えていた。だが、ソレの身体自体は見えない。巫女装束と小面だけが宙に浮いているように見えた。併せて耳鳴りのように鈴の音が聞こえる。ヘッドフォンをするのも忘れて思わず志登にも見えているか、と横を見る。志登もわずかにうなずいた。
『何者か』
 ソレは言葉を発した。頭の芯を揺さぶるような音を聞くだけで、乗り物酔いをするような感覚があった。だが、問いかけには答えるべきだ、と先に判断を下した志登が言葉を返す。
「お邪魔して申し訳ありません。この近くで行方をくらませた人間を探しています」
『そうか』
 ソレは静かに答えると志登に近づいた。面をつけているはずなのに、値踏みされているような視線を感じた。ソレは志登を頭の先から爪先まで一通りねめつけたのち、すっと離れていった。離れたあとのソレの面はお多福に変わっていた。
『そなたの思い人を大事にするがよい。合格だ』
「恐れ入ります」
 ソレの言葉の意味はわからなかったが、面が変わったことと合格だ、という言葉で赦されたのだと安堵した。
 ソレは続けて松本を見た。
『して、其は何者か』
「同じく、この近くで行方がわからなくなった人間を探しに来ました」
 ソレは少し離れた位置から松本を見つめた。お多福だった面が小面に戻る。そして次に見た瞬間には金色の角と牙を生やしていた。生成の面だ、と松本が気づいたときにはすでにソレとの距離が半分ほどに縮まっていた。隣にいる志登が身体を強張らせる気配を感じた。
『其は何者か』
 再び問いかけられる。その問いに対する答えを松本は探すが見つからなかった。答えがないことにしびれを切らしたソレは角と牙を伸ばし、般若と化した。
『答えぬならば、こちらから示そうぞ。――神をも畏れぬものよ』
 気づくと松本の眼前にはソレがいた。面からは耳が失われ、蛇と成ったソレはただ松本を見ていた。
「神をも畏れぬ……確かに俺は自然の理に反している存在ではあります」
 自らの出自の話か、と解釈した松本はソレの言葉を肯定した。志登はただ黙って二人の問答を聞いていた。
『それだけではない。其の身体には残っている。他の神の痕跡を我が領域に持ち込むとは不敬であろう』
 ソレは松本の下半身を指さすようなしぐさをした。それか、と松本は足に残ったアザを思い出す。確かにこれは他の神の領域に足を踏み入れるにあたって不敬以外のなにものでもない。松本は頭を下げる。
「申し訳ございません」
 松本の素直な謝罪にソレは少し考えるようなそぶりを見せ、そしておもむろに音を発した。
『其の意思はないか。然らば謝罪を受け入れ、赦そう。ただし一度だけだ』
「寛大なお言葉、ありがとうございます」
 頭を上げた松本が見たソレは小面をつけていた。微笑むような気配がして最後に一言を告げられる。
『仕事熱心の其らに免じて教えよう。其らが探している不敬な人間はそこだ。すでに罰は下した。あとは煮るなり焼くなり好きにするがよい』
 するり、と上がったソレの右腕の先には崖があった。おそらく捜索を依頼された男は既に絶命しているのだとわかった。
 松本と志登はソレに深く頭を下げると崖の方へと駆け出した。
「……」
 崖から身を乗り出して下を見る。崖の途中の岩場には頭がつぶれた男の遺体があった。ソレの怒りに触れれば罰として命を差し出すことになるのだといやでも理解できた。ふと松本が後ろを振り返ると、ソレはすでに姿を消していた。ドッと疲れが出てその場に座りこむ。
「アレは一体何だったんだ」
 志登が力なく訊ねた。
「一つしかない。この月山大社の御神体だ。まあでもよかったんじゃない志登さん、元岡さんとのお付き合いを祝ってもらえてたし」
 月と山、どちらも女性の神が司るものだ。その二つを名前に持つ神社の御神体であったために〝巫女装束〟と〝女性を示す能面〟を身に着けていたのだろう。
「あれそういうことだったのか。緊張して全然わかってなかった」
「……言わなきゃよかったかな」
 松本は冗談めかして言いつつ、もう一度崖下を覗き込んだ。
「引き上げは明日にするしかないよね」
「ああ、明るくなってから空から引き上げよう。夜勤の班にレスキューの申請出すように頼んでくれ」
「わかった。ふもとに下りたら連絡しとく」
 この場所にあまり長くとどまりたくなかった。気まぐれによって滞在を赦されているが、いつアレの気が変わるかわからない。
 二人は鳥居の外に出ると深く頭を下げ、ここからしばらくはこの神社に訪れる用事ができないことを強く願った。

三、

 翌朝。
崖下から引き上げられた男の遺体は科技研で解剖され、これまでの不審な遺体と同様、生殖器が無くなっていると判明した。
「……じゃあやっぱりこれまでの不審な遺体も、」
「恐らくアレの下した罰だろうな」
 人間ができることじゃない、と志登は言った。捜索の依頼主には足を滑らせて崖下に落ちた事故だと説明する方向で落ち着いたらしい。
「とはいえ俺たちは真相を知っておくべきだろうな。男の持っていた端末のデータを復元したら、正体不明のメールアドレスから例の動画が送られていた。おそらくこの男以外にも受け取った人間はたくさんいるはずだ」
 その中で動画を開いてしまった人間だけがあの神社におびき寄せられたとでもいうのだろうか。寒くもないのに鳥肌が立った。
「あとな、そいつと元妻が別れた理由がわかった。……とんだDV野郎だったようだぜ。別れに至ったのは女が額を十センチ縫うケガしたからだ。その治療のときに日常的な暴力が明るみに出て別れたらしい」
「……それってさ、」
「気づいても言うな」
 志登の強い制止によって松本は口をつぐんだ。男の遺体は頭部、特に額の部分にひどい損傷があった、と解剖結果の報告を受けていた。因果応報、自業自得、という言葉が頭をよぎる。
「あと、俺にだけ聞こえた鈴の音なんだけど、多分警告だったんだと思う」
「警告?」
「あの音はきっとアレの怒りを表現してたんだよ。多分、動画を開いた時点で聞こえるひとには聞こえるようになってるんだと思う。だから、特に怒りを買う要因がなかった志登さんや隊長には聞こえなかった」
「なるほどな……」
 志登は大きく息を吐いた。
「じゃあ、六条院隊長にだけアレが見えた理由は?」
「それはわかんない。隊長の勘がいいだけだと思うけど」
「急に雑になったな」
 志登は苦笑して、大きく背伸びをした。凝り固まった肩甲骨がパキ、と小さな音を立てた。
「……もう一つだけ気になることがあるんだけど」
「あ?」
「あの動画、わざわざ撮った女性二人って何者なんだろうね」
「……知らない方が、いいんじゃねえか」

 その後、数か月して動画は投稿者ごと消えていた。投稿元のアドレス開示をしようと科技研で奮闘したらしいが、ことごとく機器の不調に見舞われて、ついに解析は不可能だと判断されたという。

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