第二話 Moonshiner - 4/7

朝陽が昇るころ、松本と志登は病院から隊舎へと戻っていた。仮眠をとる暇もなく夜通し活動して疲れはピークに達していたが、妙に目がさえている。

「ただいま、戻りました」
「戻りました」

第一部隊の隊舎に入る二人を稲堂丸と六条院が出迎えた。どちらも夜通し仕事をしていたのだろう、目の下にはうっすらと隈ができていた。

「ご苦労。報告はさっきので全部か?」
「はい。あとは隊員の回復を待たないとだめです。個人差があるので三日から一週間程度は治療にかかるようですが、医師の許可があればその合間で聴取をしてもよいとのことです」

志登の報告に松本も補足をいれる。

「一応、全員が摂取から数時間しか経っていない状態で処置を施されたので、復帰に影響はない見込みです。桑原だけは、アルコールで皮膚がやられる体質だったらしく、口腔内と手足のやけど症状が完治するまでにほかの隊員より少し時間がかかりますが、意識ははっきりしているので聴取は可能です」
「わかった。桑原の聴取ができるまでの範囲であのエリアの酒の仕入れについて調べよう。少し長引くかもしれん。お前たちは一回家に帰って数日隊舎に泊まれる用意をしてこい」

お疲れ様、と稲堂丸にねぎらわれてその場は解散となった。
松本も一度家に帰ろう、と思いながら自分の荷物に思いをはせる。気温も湿度も高い今、星野が持たせてくれた握り飯はおそらく食べられない状態になっているだろうな、と思って少しだけ気分が沈んだ。

「松本」
「! はい!」

六条院の呼びかけに驚いて勢いよく返事をすると、今度は六条院が驚いたように松本を見た。羞恥心を覚えながらも松本が六条院に目を向けると、大丈夫か、という心配の言葉が彼の口からこぼれ落ちた。

「あー……大丈夫です。眠れば、治ります」

情報量の多い場所に長時間いた弊害は、解散した瞬間から松本に襲い掛かってきた。きりきりと目の奥が傷み、目の前がチラチラと点滅する。まるで遅効性の毒だ、と思いながら軽く頭を振る。
そんな松本を気遣わしげに六条院は見る。通常であれば六条院や稲堂丸といった隊長の前では外すはずのサングラスがかけっぱなしになっているのが痛々しい。

「悪いが、そなたが置いて行った荷物から食品だけ出させてもらった。外に名を書いて隊舎の冷蔵庫に入れてある」
「あ、ありがとうございます。あとで、食べます」

食べられる状態で残っているとは思わず、松本は礼を言う。まさか自分が考えていたことが読まれたのだろうか、と思うが、疲れた身体には単純に嬉しかった。
だがその嬉しさも、他の隊員のことを思えばすぐに霧散してしまい、松本は小さく息を吐いた。

「夜通しご苦労だった。仮眠を取ってから帰ることを許可する。次の集合時刻は追って連絡するゆえ、しばらく待機だ」
「はい」

すみません、と小さな声で松本は付け加えて六条院に背を向けた。六条院はその背中にどう声をかけようかと迷って、結局声をかけることができなかった。

 

シャワーを浴びたあと、松本はロッカーに置いていたアイマスクを引っ張り出して装着し、仮眠室の布団にすっぽりとくるまった。視界を強制的に暗くしてしまえば少しだけ目の奥の痛みが軽くなったような気がした。ただ、松本の脳内にあるこれまでの情報の整理が終わっておらず、混乱する。
誰がどのような目的で密造酒を作っているのか。
隊員たちはどうして捕まり、酒を飲まされる羽目になったのか。
そしてなによりも、どうしてもっと早く助けてやれなかったのか。
最後の一つは考えれば考えるほど、松本の脳内をむしばんでいくようだった。第五部隊にいたときとは違う。部下の命を預かる重みをようやく実感した。拳の中にしっかりとつかんでいるような気がしていたが、それはいとも簡単にこぼれ落ちていってしまう可能性をはらんでいる。

「……しっかりしろ」

ぼそ、と松本がつぶやいたのと、静かに仮眠室のドアが開いたのは同時だった。思わず布団の中で身体をはねさせる。隊長および副隊長の仮眠室として用意されている小部屋は部屋の真ん中を衝立で仕切っているだけだ。

「もう寝たか?」

六条院の潜めた声がした。起きていると言ってもいいが、今の松本に六条院と会話する元気は残っていなかった。

「そなたがいたから、彼らは支障なく復帰してくる。――彼らもまた、救われた者たちだ」

六条院の潜められた声は松本の耳にやわらかく響いた。数か月前にかけられた言葉がよみがえる。

そなたに救われる人間が、きっとたくさんいるはずだ――わたしでは、救ってやれなくとも、きっと。
彼なりの祈りの言葉を叶えることができただろうか、と松本は思う。部隊長である彼は基本的に本部に留まることしかできない。現地に行く者を送り出す彼の方がきっと松本よりも何倍も覚悟を決めている。
そう思うと、無視ばかりしてもいられなかった。
松本はのろのろと枕から頭を上げてアイマスクを外した。衝立越しに六条院と目が合う。

「……隊長がそう思ってくれるなら、俺はもうこれ以上考えるのをやめます」
「それがよい」

考え事をやめて早く眠れ、と声をかけられて松本はぼんやりとしたまま返事をした。

「少し忙しくなるぞ」
「……はい」

頭の中で吹き荒れていた嵐はほとんど収まって、今なら眠れるような気がした。

同日夕刻。
仮眠およびしばらくの泊まり込み準備を終えた松本と志登は共用会議室に集まっていた。仮眠をとった頭は幾分かすっきりとしており、無事に星野が持たせてくれた夜食(実際には昼食になってしまったが)も食べることができた。気づかわしげな顔をしていた六条院も、顔色をよくしてきた松本の様子に安心したように見えた。

「これまでに調べたことまとめた。まず、密造酒については〈ゼータ〉の酒類を一括で管理している長峰流水という人物がいた。……こいつが食えないやつで性別不明の上、大還暦を迎えるだとか、元は政府のお偉いさんだとか、実業家でどえらい金持ちだとかいろんな噂がある」
「ややこしいですね」

志登のコメントに稲堂丸は苦笑した。

「まあ少なくとも金持ちなのは間違いないだろう。だが、無類の酒好きで酒類の取り扱いに関しては誰よりも公平な人間だった。つまり、ピンハネしたりだとか、新規参入業者に不正な金銭を要求したり、というようなことはなかったらしい。あと、密造酒の製造は許していなかった」
「あれ、でもこれまでもたまに出回ってましたよね、密造酒」

定期的に密造酒の話は上がってくるため志登が首を傾げる。

「ああ。まあそういう不届き者もたまには出てくる。だが、俺たちアンダーラインや政府が介入したことはない。全部〈ゼータ〉内で始末がついている。――これも、長峰の力が大きいと言われている」
「……本当に酒が好きなんですね。ちょっとその情熱怖いです」
「だからこそ、その秩序が保たれていたともいえるだろう。酒に関する不正や密造を許さない街の裏ボスがいたからな。そんな人間に逆らうのはリスクがありすぎる」

稲堂丸の話をふんふん、と聞いていた松本だったが、引っかかることがあり挙手をする。

「なんだ?」
「さっきから稲堂丸隊長のお話を聞いていると過去形が多いんですが、長峰はもう死んでるんですか」

松本の疑問を稲堂丸は肯定する。

「おそらく。これは長峰が偽名だったことが原因で、本当に死んでいるかどうかは不明だ。なにしろ表舞台には顔も出さない、しゃべるときは変声機を使う……といった徹底ぶりだ。だが、例の密造酒に加え、ここ数週間で酒の値段が三割くらい上がったという話があった」
「原材料高騰ではなく?」
「それならもっと堂々と値上げを発表するだろうが」

それもそうか、と納得して松本は黙る。密造酒が作られるのは時折あることだが、今回はおそらく要石であった男がいなくなったことが大きいと推測された。酒の値段が上がったのも、これまで禁止されていた中抜きが行われるようになったからだろう。
六条院が会議室に設置されている電子ボードに『密造酒の製造原因:長峰の死?』と記入した。続けて六条院が口を開く。

「昼に、桑原に話が聞けた。当日の状況について彼の話を元に時系列でまとめる。【住】地区七番街〈イータ〉巡回中に、〈ゼータ〉に続くゲート前にいた男たちの挙動が不審だったため、声をかけようとしたところいきなり液体をかけられた。この液体がおそらく密造酒だ。桑原は一緒に巡回をしていた坂本の後ろにいたため、この時点ではほとんど密造酒をかぶっていないが、アルコールだということに気づいて、怯んだところを背後から殴打されて意識を失ったと証言している」

六条院は言葉を一度切って、ちらり、と松本を見た。

「……密造酒を運んでいた男たちは〈アンダーライン〉の巡回に見つかる可能性を考えて行動していた?」

松本が考えを述べると、六条院は「そうだ」と言ってうなずいた。

「ただ、その後どうするかまでは決めていなかったのだろう。ゆえに、中途半端に放置する結果になった。人を殺せば後処理も大掛かりになる。おまけにその相手は巡回中の〈アンダーライン〉隊員だ。したがって隠すよりは見つけられることを選んだ」

〈アンダーライン〉の人間が巡回中に行方不明になり、挙句の果てに殺されたとなれば厳戒態勢が敷かれる。その包囲網から逃げることはおそらくできないだろう。それよりはある程度存在をにおわせておいて、姿をくらませた方が安全だと言える。
六条院はそれらのことを簡潔にまとめて電子ボードに記載した。

「桑原は、人相を見たって言ってるんですか?」
「いや。暗かったのと、全員顔を隠していたそうで見えなかったと言っていた」
「ですよね」

密造酒を運ぶのに堂々と顔を晒している人間がいたら見てみたい。特にこれといった手がかりはないと考えた方がいいだろう。
はあ、と誰からともなくため息をつき、重苦しい雰囲気になるがそれを打ち消すようなカラッとした声を稲堂丸が出した。

「さて、これから追加捜査のためにお前たちにはここに行ってもらう」

彼の太い指で挟まれていた店の名刺を志登が受け取った。後ろから覗き込んだ松本は首を傾げる。

「? どこですかここ」
「〈アンダーライン〉の中では有名だぞ。……あ、そうかお前行く機会なかったのか」

志登は松本に解説をする。

「ここは〈アンダーライン〉のOBがやってる店なんだよ。繁華街だからな。人が多い分、犯罪も増えがちな場所にOBがいればちょっとは違うだろうって。十年前くらいからでしたっけ?」
「そうだな。ちょうどそれくらいからだ。あとは怪我なんかで〈アンダーライン〉で働けなくなったやつらの受け皿にもなってるな。俺の同期もひとり、働いてる」

稲堂丸は同期の顔を思い出したのか懐かしそうな顔をした。

「へえ」

そんな場所があったのか、と松本は名刺をしげしげと眺める。『飲み処 多久』というらしいその店は〈ゼータ〉の中央付近にあった。

「ここで酒の値段を最初に上げたのはどの卸業者か、あとは最近新しく参入した酒蔵や卸元がないか聞いてきてくれ。そのほか、話を聞いて気になったことはなんでも訊いてこい。後輩無下にするような店主じゃない」
「了解です」
「悪いな、昨日も休みのところ引っ張り出しておいて。わかったことはこの会議室で共有するから、電子ボードに残しておいてくれ」

稲堂丸の指示に志登が承諾の意を伝える。

「じゃあ、さっそく行ってきます。あ、俺たちは戻ってきたら適当に食って寝るんで、隊長たちも一度家に戻られませんか?」

松本と志登が仮眠をとって支度をしている間も彼らは活動していた。そうでなければ背景や桑原との話までできているはずがない。志登と松本の気遣いに二人は苦笑しつつ「その言葉に甘えようか」と言った。

「気をつけて行ってこい」
「はい、行ってきます」

会議室を出たところでかけられた言葉に二人で返事をして、松本と志登は隊舎をあとにした。