エウレカ

――え、地球に行く? 万が一にも地球人に惚れるなよ。やつらとの恋を成就させるのは難しいんだ。

留学星となる前、同じ星で仲良くしていた同類が僕にくれたアドバイスはどうやらかなり的確だったらしい。

時は西暦二五〇〇年代。僕たちが住む星と同程度の環境をもつ惑星――地球が発見された。言語こそ違うものの、文明の発達程度および住環境が近いということから互いの文明交換が盛んになるのにそう時間はかからなかった。互いの星を行き来する者は「留学星」と呼ばれ、学生から社会人まで幅広い年代に渡る。かくいう僕も「留学星」であり、現在三年、という期限付きで地球、日本の高校に留学中だ。
そして、留学初日に僕は運命的な出会いを果たしてしまった。

「――さんの席は星さんの隣です。わからないことがあれば、彼に訊いてくださいね。もちろん、私でも構いません」

僕の名前は地球では発音できない。そのため適当につけられた名前が呼ばれた。初日ということもあって、僕はその名前に馴染んでいなかったが。

「――さん、よろしく」

隣の席の星に名前を呼ばれた瞬間、馴染む馴染まないということはどうでもよくなってしまった。星《ほし》カナメというらしいその地球人は僕に向かって手を差し出した。地球人はこうして親睦を深めるのだと知ってはいたが、僕は妙にドキドキとしたまま、彼と握手を交わした。
なんと驚いたことに、カナメの周りにはキラキラと何かが光って見えた。これは僕だけに見えているのか、そうではないのか。僕はそんなことに悶々としながら留学初日を終えた。

留学星には、留学星専用の寮があり、そこでタイミングが合えば同郷の仲間と話をすることができた。僕はさっそく留学一日目の出来事を寮の先輩に話し――盛大に顔をしかめられた。

「どう考えてもその地球人に惚れてるんじゃねえか」
「え、いや、ちょっとその地球人だけが他と違って見えるだけの話で、」
「それは恋の入口って言うんだ」

彼自身は故郷に素敵な恋人がいる。「こんな何光年も離れた場所で超がいくつあっても足りない遠距離恋愛なんてやってらんねー」と言いつつ、星間通信料金が許す範囲で連絡をしているのだからマメだと僕は思っていた。

「いいか、人生の先輩の話はちゃんと聞け。俺もあいつと恋人になる前から、あいつのことが特別に見えてた。だから恋の入口っていうのはそういうもんだ」
「……ソウデスカ」

単なる自分たちの惚気ではないか。
途端に興味を失ってしまった僕は先輩の話を八割聞き流していた。だが、次の一言は否応なしに僕の耳に飛び込んできた。

「なあ、お前も留学する前に聞いたと思うが、一応言っておく。俺たちのやり方では、地球人といわゆる〝オツキアイ〟できないんだからな。お前がつらくなる前にちゃんと気持ちにけりをつけろよ」

そう言って先輩は、左右で色の違う眼球をきゅっと細めた。僕らの星では、誰かとオツキアイしている証拠に、身体の一部を交換することが古くからの風習だった。それはもう地球人における〝プチ整形〟(身体の一部を交換する僕たちが言うのもなんだけど、身体の形を変えられる技術はすごいものだと思う)くらい気軽に実行されている。たまたま先輩は恋人と眼球を交換しているだけで、薬指だったり、はたまた婚姻関係に相当する関係であれば心臓を交換していたりする。

そこまで考えて僕はふと、思いついたことを口にした。

「先輩、あの、僕たちと地球人ってそんなに体組成は変わらないんですよね?」
「お前が何を訊きたいのか大体想像がつくから答えるが、俺たちの星に連れて帰れば地球人相手であっても身体の一部を交換することは可能だ。だけど考えてみろ。お前ここに来るのにどれだけ時間かかった? 今家族と簡単に連絡が取れるか? 似ているようで違う文化がいくつあった? ……連れて帰るってことはそういう生活を相手に強いるってことだ」

――もし本当に惚れた地球人ができたとしても大事にしたいと思うならあきらめろ。

厳しい口調で言い切った先輩に、僕はわかりました、と答えるほかに選択肢を持ち合わせていなかった。

それからの僕はきちんと先輩の言いつけを守って、留学星でいる間の三年間を過ごした。もちろんその間、やっぱりカナメの周りだけはいつでもキラキラと輝いていた。朝も昼も夕方も、視界に入る前からキラキラとしている。それを目で追いかけない方がおかしい。誰しも美しく輝くものには惹かれてしまうものだ。

「ちょっと、いいかな」

高校三年生も終わり、カナメから声をかけられた。ほとんど全員が進路を決めて自由登校が主になっている今、わざわざ出てくるクラスメイトはほとんどいなかった。僕は寮にいても特にやることがないので惰性で出てきている状態だ。カナメの方の理由は訊いたことがなかったが、似たり寄ったりだろう。

僕とカナメは結局ずっと同じクラスだった。それは僕がカナメの後を追いかけていたからでもあるけど、悪い選択ではなかったと思っている。

「――は、卒業したら故郷に戻るの?」

出会った当初はさん付けで呼んでいたカナメだったが、三年間のうちにすっかり呼び捨てが定着した。もちろん僕も彼のことを「カナメ」と呼ぶ。

「戻るよ。遠隔受験で向こうの大学も受けて、今は結果待ち」

受かっていようが落ちていようが僕が地球を離れるのは確定だ。明日、帰星《きせい》することになっていたが、それは先生たちだけしか知らない。

「最後に、ボクに言っておくこと、ないの?」

カナメの声に、僕はドキッとする。三年間のうちに僕はカナメのことが恋愛的な意味で好きであると自覚していた。僕よりも前に故郷に帰っていった先輩の「やっぱり恋の入口だっただろ」という声が勝手に脳内に響く。

「そりゃあるよ。当たり前だろ。三年間ありがとう。カナメが最初に隣の席にいてくれてすごく助かった」
「それだけで、いいの?」

カナメはこれ以上僕になにを求めるというんだろうか。僕だって本当はカナメが何を言いたいのか分かっている。でも、この三年間考えた結果、やはり留学初日に先輩に言われたことが正論で、相手のためにもなるというのが僕の結論だった。

「本当にいいの? これから先もう会えるかわからないんだよ」

言わせようとしないでほしい。それならカナメから言ったらいいじゃないか、と僕は思った。意気地なしと誰からなじられても構わない。
カナメはしばらく僕を睨むように見つめていたが、おもむろに口を開いた。

「……じゃあボクから言う。――の星での文化のこと、知ってるよ」

カナメはそう言って、制服のネクタイをほどいた。この時僕はカナメの顔が真っ赤になっていることに初めて気がついた。彼の周りのキラキラは今日も変わらないから、先ほどまでは気がつけなかった。

「ボクじゃ、――たちみたいに身体の一部を交換することはできないけど、これなら交換できるから、代わりに――のネクタイをボクにちょうだい」
「……ネクタイ」
「せっかく留学してきたんだから、ちゃんとボクらの文化圏のこと知って帰ってよ」

カナメは僕にぐいぐいとネクタイを押し付けてくる。僕はカナメからネクタイを受け取り、自分のネクタイをほどいてカナメに渡した。

「地球では、こういうことは好きな人としかしないんだよ」

カナメは眦《まなじり》から零れる涙を制服の袖でぐいぐい拭いながら言った。そんなカナメを見ていたら僕もたまらない気持ちになって、思わずハンカチを差し出していた。カナメはそれをひったくるとまたもや顔をゴシゴシと擦った。

「ありがとう。大事に持って帰るよ。ハンカチはあげる」

そう言って僕はカナメのネクタイを大事にたたんで鞄にしまった。カナメはその僕の動作をじっと見ていた。

「じゃあ、また」
「……うん」

カナメは僕があげたハンカチをぎゅっと握りしめたまま、首を縦に振った。僕はカナメに一度手を振ると彼に背を向けて歩き出した。
また、なんて日がいつ来るかも知らないまま、無責任な言い方をしてしまった、と後悔したが、そう言わずにはいられなかった。

あれから幾年も経った。幸いにも故郷での大学には受かっており、新しい日々を過ごすうちに留学をしていた三年間のことはだんだんと薄れていった。だが、カナメがくれたネクタイだけはどうすることもできず、今も自室のクローゼットの奥深くにしまわれている。時折眺めてはまた戻す、ということを繰り返している僕は、まだ誰とも身体の一部を交換していない。

「……ん?」

仕事を終わらせようと端末を閉じかけた瞬間、端末がメッセージの着信を告げた。差出人欄には〝KANAME,H〟と書かれていた。

「え、」

僕は恐る恐るメールを開く。

『来週から仕事でそっちに行くからよろしく』

久しぶり、という枕詞もない素っ気ない文章に、僕は脱力する。再会にかこつけてご飯を食べよう、なんて誘い文句は書かないんだな、と思いながらメッセージを読み返していると、それに続きがあることに気がついた。

『追伸:長いことハンカチ貸してくれてありがとう。また会えるのを楽しみにしてる』

そして再会して開口一番に「あのときはよくも黙って勝手に帰星したな!」と怒られるのだが、そんなことを知らない僕は、能天気にカレンダーへバツを書きこみながら希望の再会に向けたカウントダウンを始めていた。

【END】