After a Thousand Nights

「えっ、どうしたんですかその頭」
「似合わないか?」
「いや、そんなこと、ありませんけど。ただちょっと見慣れないだけで」
 ある日突然、ばっさりと短く切られた髪に、思わず松本が訊ねると六条院は何でもないことのように流した。対する松本はといえば、出会ってから二十年近く見慣れていた髪型が変わったので戸惑いが大きかった。
「なんでまた……あ、もしかして常仁さんに合わせてですか?」
「……そうでは、ない」
 六条院は何かを躊躇うように言うので、松本は首を傾げた。
「じゃあ、どうして?」
「六条院家の代がかわった。常仁様はまだ健在だが、少しずつ次の代に譲る準備をしたいそうだ……常仁様のときは何もかもが急だったから」
「そうですか」
 松本はそれだけ言うと黙ってしまった。六条院は松本の手を見て苦笑した。彼の癖はずっと変わらない。
「そんなに握りしめたら怪我をする」
「……」
「言いたいことは我慢をせずに言うと決めただろう?」
 六条院の促しによって、松本はしばらく考えたあとに口を開いた。
「代替わりってことは、今度こそ何にも縛られずに真仁さんが生きられるってことですよね」
「そうなるな」
「……………この、俺とのパートナーシップ契約はどうするんですか」
 パートナーシップの契約も、今や六条院に結び続けておくメリットはない。あるのは松本の方だけだった。
「解除も継続も自由でしょう? 今のあなたが俺と契約を続けるメリット、あるんですか」
 松本の言葉に六条院は随分と長い間、考えていたが、やがてゆっくりと首を横に振った。
「短期的には、ない。だが、長期的にはある」
「例えば?」
「本当に、たとえの話だが、そなたが死んだときにわたしが看取って、どんなふうに送ってやるかを決められる」
「それは、俺のメリットじゃないんですか」
 松本の問に六条院は否、と答えた。
「……もし、今ここでパートナーシップ契約を解除すればどうなると思う? おそらく火葬もされず、骨も拾われず、ただ地下街に捨てられるだけだ。きっと誰もそなたを悼まない」
「……」
「わたしは、それに耐えられない」
 六条院の言葉に松本はぎゅっと握りしめた拳をそのままに口を開いた。
「……俺は、自分が死んだ後どうなってもいいんですよ」
「そうだな、知っている。普通の人間よりも長く生きたそなたがそこに拘るとはわたしも思っていない。だからこれはわたしのわがままだ。わたしがそなたよりも長く生きられたら、叶えたい」
 松本はようやく拳を少しだけ緩めると、小さく息を吐いた。
「真仁さんは、ただの部下だった俺にそこまでしてくれるんですか」
「いまさらそんな寂しい関係を持ち出すのはずるくないか?」
 法的には家族の枠にいる。もちろん離れて暮らしている時間の方が長かったが、六条院にとって松本のいる場所が帰るべき家だった。いつかの松本が星野のもとへ帰っていたときのように。
「もうずっと、わたしは山次を家族だと思ってきたが」
「……はい」
 松本はぐい、と目元を手でぬぐった。
 松本が六条院と過ごした時間は、いつの間にか星野と過ごした時間をはるかに上回っていた。逆もそうだ。六条院が実家で過ごした時間よりもはるかに長く、松本と過ごしている。
「どちらが先に逝くかはわからないが、残されたわたしを助けると思って、どうしたいか少しだけ死後のことを考えてほしい」
「わかりました。少し、考えてみます」
 松本はあとからあとからあふれる涙をぐいぐいと拭った。六条院が苦笑しつつハンカチで目元をとんとんと軽く抑えた。ハンカチを握る手は、昔に比べてずいぶんとしわが増えて、乾いた手になってしまった。年月が経ったことを実感させられる。
「ちなみに、真仁さんは、死んだ後どうしてほしいんですか」
 すんすん、と小さく鼻をすすりながら松本は六条院に訊ねた。
「……骨をこの家の畑に撒いてほしい」
「わかりました。それ、ちゃんと文書にして六条院家に送っておいてくださいね。俺が手続きをするってなったときに遺骨泥棒にされたら困ります」
「そうだな」
 そうなった場合のことを想像したのか、六条院は肩を揺らして小さく笑った。
「俺も、今思いついたことを一つ言っていいですか」
「もちろん」
「俺が死んだあとは、絶対にすぐ焼いてください。解剖をさせてほしいと言われても、誰にも俺を絶対に渡さないで」
「約束しよう」
 地下街に捨てられるだけなら、まだいいけど、俺きっと死んでも研究に使われると思うんです、と松本は言った。言われて、六条院もその可能性は高いと思い直す。
「もう、俺みたいなのが居る世界はいらないでしょう」
「ああ」
 苦労して長く生きてきた松本を二十年以上見てきた。死後まで好きにされないよう守りたいと強く思う。
「それもそのうちに文書にしてくれるか。不届き者の撃退に使う」
「わかりました」
 松本は笑いながら承諾した。
「ずっと看取るばかりだったんで、誰かに看取ってもらえる未来がくるなんて思ってもいませんでした。ありがとうございます」
 松本の言葉に、六条院は小さく首を横に振った。