稲垣が家に帰ると、部屋には既に久世がいて、ソファに我が物顔で座っていた。パートナーの仮契約をした際に稲垣は久世に合鍵を渡していた。久世は合鍵を使うことにあまり抵抗がないらしく、稲垣が留守にしている間にもするりと家に入っていることがあった。
「おかえり。どっかで燻されてきた?」
わかるよ、と朗らかに笑われて、稲垣は毒気を抜かれる。いくら無煙を謳うロースターでも店全体に煙が充満していたらニオイはつくだろう。
「気になるか?」
「ん? いや?」
別にいいよ、と久世は言った。その彼に稲垣は単刀直入に問いかける。
「――さっき一緒にいたのは、誰だ?」
その問いに、久世は「え、」と小さく声を漏らしたが、稲垣はそれを無視して続ける。
「言ってくれ」
その言葉を聞いた瞬間、久世はパッと顔を赤くした。プレイ中によく見せていたその顔に稲垣は首を傾げ、久世は顔を手で隠しながら「少しだけ待って、」と言った。
「ごめん、ごめんなさい。ちゃんと答えるから、ちょっと待ってて」
久世はパタパタと掌で頬の火照りを静めるように自らに風を送った。稲垣はその一連の動きを不思議な気持ちで眺めていた。先ほどまでの荒々しい気持ちはどこかに行ってしまったようだった。
「あー、ごめんね。ちょっとびっくりしちゃって。彼女は俺の学生の時からの友達」
「友達、」
「もしかして、疑ってる?」
久世はどこか嬉しそうに稲垣に訊ねた。その意図がわからず、稲垣は困惑する。
「どうして少し嬉しそうに訊くんだ……」
稲垣の言葉を聞いた久世がハッとしたように「ごめん」と言った。
「あの、それをちゃんと話そうと思って今日は来たんだよね。帰ってきたばっかりのところで悪いけど、少しだけ俺の話を聞いてくれる?」
「わかった」
稲垣も久世の隣に腰を下ろす。久世は右手で落ち着かなさげにインナーカラーを入れている部分の髪を触りながら話し始めた。
「まずはじめに訊きたいことがあって、稲垣さん、ちゃんと満足してる? 俺、遠慮されてる気がするんだけど」
「……それは、同じ会社にいるのに関係が破綻するとお互いに気まずいだろう」
「だからセーブかけてくれてたの?」
久世の問いに、稲垣は首を縦に振った。
「あのさ、そういうことちゃんと言ってよ」
「言えるか」
これのせいで今まで何人にパートナーを解消されていると思っているんだ、と稲垣が言うと、
「……ま、稲垣さんがそう決めてるならいいか」
久世はあっさり引き下がった。
「俺の話の続きね? 俺結構、きつい要求されるのが好きで、さっきみたいにちょっときつく問い詰められたり、束縛されたりするのが、すごく好き」
「は?」
「あんまりそういうタイプに見られないから、すり合わせするのに苦労するんだけど、稲垣さんとならもう少しちゃんと話をして関係を続けたいなって。だめ?」
そう言われて稲垣は久世をまじまじと見つめた。肩につくくらいに伸ばされた髪ときれいに赤く染められたインナーカラー。両耳には数個のピアス穴があけられていて、私服もラフなものが多い。まず束縛を好む人間には見られないだろうな、と思った。
「あ、稲垣さん今失礼なこと考えたでしょ」
久世の言葉に稲垣はぎく、と肩をこわばらせた。
「ま、慣れたけどね。俺だって自分がチャラく見えるのは分かってるし、でも、これが一番俺に似合ってて好きなんだよ」
「ああ」
それはよくわかる、と思って稲垣はうなずいた。稲垣には逆立ちしても似合わないだろうが、久世にはよく似合っていると思った。
「話を戻すが、関係を続けたいと思ってくれているのはわかった。俺の方の話も聞いてくれるか」
「もちろん」
久世はにこやかに承諾した。
「仮契約の前にも言ったが、Domとしての欲求が強い方だ」
――本当は、パートナーになった相手を外にも出したくないし、許されるなら鎖でつないでおきたい。誰にも会わせたくない。
「ずっと自分の手元においておきたい」
稲垣はそこまで言ってちらり、と久世を見ると、彼はほろり、と片目から涙を零した。
「泣くほどいやだったか」
稲垣が訊ねると久世は「俺の話聞いてたでしょ、逆だよ」と言って涙をぬぐった。
「俺、ずっとそうやって俺のこと縛って手元に置いてくれる人とパートナーになりたかったんだよね」
それが、稲垣さんでよかったなあ、と言いながら久世は稲垣の肩に頭を預けた。そのまま稲垣の方は見ないまま、話を続けた。
「俺、最初に稲垣さん見たときから、結構好きだったんだよ」
「初耳だ」
「初めて言ったからね。稲垣さん、相手が途切れないって話だったし、俺が入りこめる隙がなかったの」
「……」
「相手が途切れなかったのは事実なんだ」
否定をしない稲垣に久世は小さく笑って、するり、と稲垣の手に自らの手を絡めた。
「正式に契約するかどうかはおいといて、仮契約は延長ってことでいい?」
「ああ」
返答と共に稲垣は手に力をこめ、久世はそれに満足そうにうなずいた。
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