王座に着いた王の横には〈天〉の宮廷魔術師が控えていた。オメガの女性である彼女は、星読みとしての才を活かしてその座に就いていると同時に王の伴侶でもあった。
「みな、よく集まってくれた」
王の声はよく通る。拡声器を使うことなく声を広間に響かせるのは難しいことだが、王は難なくこなす。
「今日集まってもらったのは他でもない、新しい余の伴侶の紹介だ」
その瞬間、広間ににわかに緊張が走った。集められたのは王族であり、このような場で声を上げることはないように躾けられた者だが、視線は自然と〈天〉の宮廷魔術師に向かう。多数の人間の視線を受けてもなお、〈天〉の宮廷魔術師・エレノアは顔を上げたままいつものように柔らかく微笑んでいた。王の伴侶たる女の度量は広いのだと示している彼女は誇り高くて美しかった。
「余の運命の番たるオメガだ。オスカー、こちらへ」
王の手招きによって一人の男性が王のそばへ歩み寄る。王の伴侶になったものは顔のすべてを人前に晒すことを禁じられるため、男の顔はサテンで作られたフェイスマスクによって下半分が覆われていた。燃えるような赤い瞳がこちらを射抜くように輝いていた。オスカーと呼ばれた男は広間に集められた王族たちに向かって深々と頭を下げた。
「口がきけぬ者でな、意思の疎通は文字の読み書きで行う。宮廷内で不便がないよう見てやってくれぬか」
王の「不便がないように見てやれ」という言葉は「優先しろ」と同義だ。運命などと言って二人目の伴侶を迎えて、一人目をどうするつもりだ、と糾弾してやりたかったが、この場で糾弾したところで〈天〉の宮廷魔術師に恥をかかせるだけだ。
広間はしん、と静まりかえったままだった。
王は全体の顔を見回し、特に誰からも反論がないことを確認すると満足そうに笑みを浮かべた。見ているものを安心させるような笑顔は王の持つ才能の一つだ。
「では、本日はこれにて。国民への披露目はまた別に設けるゆえ、追って知らせよう」
王はそう宣言すると、恭しく、まるで触れたら壊れる繊細な金細工を扱うようにオスカーの手を取った。そのまま二人は広間を出て行く。まるで他に誰もいないかのように振る舞う二人に、エルヴィスは思わず大きなため息をついた。
「……少し、エレノアと話をする」
「わかった。待ってる」
エルヴィスの頼みをオーエンは快諾した。エルヴィスは集まりが解散してもまだ席に着いたままの〈天〉の宮廷魔術師に近寄った。オメガ同士であり、年も近い彼女はエルヴィスとともに宮廷で育った。妹のように可愛がっていた彼女が王の番となり、婚姻関係を結んだときに心から祝福したのを覚えている。
「……少し前から今日のことは『視』えていたの。だから平気よ。心配しないで」
〈天〉の宮廷魔術師はエルヴィスが声をかける前にそう言い切った。彼女は〈天〉の宮廷魔術師の名に恥じることない星読みの魔力――つまり先のことを見通す力を持っていた。エルヴィスの方を見ることなく言うエレノアに心が痛む。エルヴィスとて、彼女と同じ状況になる可能性はゼロではなかった。
「エレノア」
エルヴィスはエレノアの手を取った。寒くもないのに血が通っていないような冷たい手だった。
「わたしができることはなんでもしよう。また、以前のように遊びにくるといい」
「いやよ。あなたの私室、変なものでいっぱいだし、触ってはいけないものもたくさんあるでしょう? そんなややこしいお部屋に行きたくないわ」
エレノアはそう言うと吹きだした。彼女の目の端から零れていった一粒の水滴には気がつかないふりをする。
「ありがとうエルヴィス。あなたが優しいのは昔からね」
「買い被りだ」
首を横に振るエルヴィスを見ながらエレノアは小さく笑った。そして立ち上がると、エルヴィスに向かってお辞儀をした。
「ではね、エルヴィス。私のお部屋に招待するから、今度はお茶をしながら楽しい話をしましょう」
エルヴィスは肯定することも否定することもできず、曖昧にうなずいた。エレノアは「いいお茶とお菓子を用意しておくわね」と言い残して去って行った。
「……よかったのか?」
オーエンに訊ねられてエルヴィスは答えに詰まった。
「悪い、訊くことじゃなかったな」
「謝罪するくらいなら訊かないでくれ」
良い悪いで決まることではない。声をかけずにはいられなかった、というのが正しく、要するにエルヴィスのエゴである。
「俺たちも帰るか」
オーエンの提案にエルヴィスはうなずいた。集められたのは短い時間だったにも関わらずひどく疲れていた。オーエンが差し出す腕を素直に借りて歩き出す。
自室の前で待っていたエラの顔が見えたとき、エルヴィスはホッと小さくため息をついた。エラは主人とその伴侶の顔を見比べた上で、エルヴィスに「着替えの準備は整えております」と言った。普段はオーエンに茶の誘いがかかるところだが、エルヴィスの体調が優先である。オーエンはエラに目配せをして、その場に少しだけ残らせた。
「何かございましたか」
「……俺には何があいつを動揺させたかはわからなかった。集会が始まる前からずっと顔色が悪かったから、ゆっくりさせてやってくれ」
「かしこまりました」
一応お茶もご用意していたのですが、とエラは残念そうに言い、オーエンに水菓子の一部を手渡してくれた。瑞々しい果実はオーエンの好物である。オーエンは後ろ髪を引かれつつも自分の住まいがあるエリアに向けて歩き出した。
一方、エラもオーエンを見送ったあと、エルヴィスの私室のドアをノックした。素っ気なく「入れ」と入室の許可が出たのでエラはドアを開ける。宮廷に住まう王族であれば皆、貴金属で美しく装飾を施すドアだが、エルヴィスの部屋のドアは飾り気のない木製だった。
「……そのままおやすみになるとお召し物が傷みます」
小言ではなく、気遣いの言葉をかけるつもりだったエラだが、正装のまま寝台で丸くなっているエルヴィスを見てつい口を突いて出た。エルヴィスは緩慢な動きで顔を上げると、渋々立ち上がった。
「随分お疲れのようですが、いかがされました?」
エラはまず結い上げたエルヴィスの髪をほどきながら問いかけた。この国の正装では髪に金糸を編み込んでおり、地位が高ければ高いほど編み込む金糸の数が多くなる。そのため本来であればエルヴィスの髪をほどくのには時間がかかるのだが、彼自身がその装飾を嫌うため必要最低限しか編み込まれていなかった。
「王に〝運命〟が現れた」
運命の番、と言われる概念がある。この国においては遺伝子的に相性がよいもの同士で番になるが、その関係を差し置いて猛烈な「番いたい」という衝動を生む相手を運命と呼んでいた。王には正室としての〈天〉の宮廷魔術師、側室としてのベータの女が一人いたが、オメガの側室を持つのは初めてだった。そして側室がオメガという性質を持っている以上、番わず放置するという状態にはしない。
「……わたしがこれまでやってきたことは無駄だったのかもしれない」
国内のオメガ研究の第一人者として、番のシステムの精度向上を一手に引き受けてきたエルヴィスが目指していたのは、すべてのオメガの幸福な生活だった。
「それは違います。陛下と〈天〉の宮廷魔術師様が番われたのはエルヴィス様が研究に関わるずっと前ですよ」
「……それは、そうだが」
きっぱりと否定するエラに少し救われるが、エルヴィスの気持ちは晴れない。
「ただ、わたしは……いや、なんでもない」
――あれがわたしではなくてよかった、と思ったことが後ろめたいのだ。
エラは何かを言いかけて口をつぐんだ主人を追求しなかった。ただ黙って世話をしてくれる彼女に感謝しながら、エルヴィスはされるがままでいた。
【第一話 END】