2. The beginning of searching the best way - 4/4

ジーンを見送ったあとでオーエンが訊ねる。
「お前も寂しいとか思ったりすることはあるのか?」
「いや」
「即答するなよ」
「そもそも寂しいと思うような人間が別で暮らすことを提案するはずがないだろう」
 それもそうだ、とオーエンも納得し、虚しい問答は終了した。
「さて、ジーンが持ってきてくれた情報は有用だったが、同時に困ったことになった」
「そうだな。おそらく直接進言してもまず聞いてもらえないと思う。国政に関してはかなり柔軟だが、伴侶に関しての進言は昔から聞いてもらえたためしがないからな……」
「乳兄弟のおまえでもそうなら言葉で諫めるのは難しいだろうな」
「だからって暴力はだめだからな」
「おまえはわたしをなんだと思っているんだ」
 腕力に訴えると思っているのか、と憤るエルヴィスだが、オーエンは知っている。幼かったころ、エルヴィスが自身をばかにした子どもには、相手がアルファであろうと容赦なく拳を叩きこんでいたことを。
「……側室のオメガとしての身体機能を失くす薬の開発をしようと思う」
 そうすれば王との間にある番の契約は自然と切れ、王も目を覚ますだろう、とエルヴィスは言った。そして、側室のオメガの身体機能を奪うのは彼に対する罰も兼ねている。
おそらく側室としてオメガの彼が送りこまれたのは、万が一諜報員として情報が引き出せなくとも、王の子どもを産めるからだ。王の子どもが生まれれば、彼は産みの親としての地位を得られ、隣国からの意見も通しやすくなる。短期的な計画を取るか、長期的な計画を取るかは隣国の辛抱強さにかかっている。
「作れるのか」
「おまえはわたしを誰だと思っているんだ?」
 ふふん、と得意げに言ったエルヴィスにオーエンは苦笑する。
「今あるプロトタイプをベースにすれば、おそらく三ヶ月で完成するはずだ。もともと汎用薬とするために研究を重ねていたところだからな」
「おい、そんなもんが汎用薬として出回ったら大変だろうが」
 エルヴィスの言葉に思わずオーエンは椅子から立ちあがった。だが、エルヴィスは冷静なまま話を続ける。
「だからずっと秘密にしていたんだ。誰かが悪意を持って乱用することがないようにしたかった。番と死別したり、相手にされなかったりして、孤独に苦しむオメガを救うために開発したものだから」
 生理現象としてのヒートは番がいようがいまいが、繁殖可能な年齢(個人差はあるが四十代半ばまで)の間は続く。抑制薬はあるものの、それを使い続けることでしか生活できない現状を変えたいと願っていた。
「そうか……お前はそういうやつだったな」
 すべてのオメガが幸福に暮らせるように、と本気で考えているエルヴィスだからこそ開発できたものだろう。オメガとして暮らすオメガがいる一方で、オメガとして暮らせないと考えるオメガもいる。その事情を汲んだことによる研究だ。
「万人に向けて開発するとなるとまだ時間が必要だが、誰かひとりに合わせて開発するなら容易になる。わたしは相手のサンプルも取りやすい立場にあるから、なんとかなるだろう」
「わかった。だが、くれぐれも無理するなよ」
「……努力する」
 一度没頭し始めると寝食を忘れて取り組んでしまうのだから健康には十分注意しろ、と釘を刺すオーエンにエルヴィスは黙ってうなずくにとどめた。
「ったく、ホントにわかってんのかお前は」
「だから努力はする、と言ったんだ」
 そしてこうなると少しでも時間が惜しい。エルヴィスは早速自室兼研究室に帰って開発を進める、と言ってオーエンの部屋を出ようとしたが、その瞬間、エレノアに鉢合わせた。勢い余ってエルヴィスの胸元に飛び込んでくるような形になった彼女を受け止める。
「エレノア?」
 〈天〉の宮廷魔術師として業務にあたる際の正装である濃い藍色のローブをまとったままの彼女にエルヴィスは違和感を覚える。
「どうかしたか?」
 エルヴィスの後ろからオーエンののんびりした声が聞こえた。エルヴィスは青ざめて震えているエレノアを伴って再びオーエンの部屋に戻った。先ほどまで自分が座っていた椅子にエレノアを座らせると、エルヴィスは「少しそのまま待っていてくれ」と告げてキッチンに足を運んだ。
 オーエンの部屋には侍従がいない。自分のことは自分でやりたいと主張したオーエンが侍従を雇わなかったからである。そのため誰かを部屋に呼ぶときはオーエンもしくは来客が自発的に茶を淹れることになる。エルヴィスは何度もオーエンの部屋に足を運んでおり、キッチンの使い方も熟知している一人だ。
「二煎目の方がいいだろう」
 先ほどまでジーンも入れた三人で飲んでいた茶の続きだった。少しぬるめの湯で淹れた茶の方が今のエレノアにはいいだろうと判断してのことだった。
「最初はあなたの部屋を訪ねたの。ただ、行き先を聞いたらオーエンのところだって言うからこちらに来たわ。まだいてくれてよかった」
 茶を一口飲んだエレノアはぽつん、とつぶやくように言った。
「星見はまだ再開しないと思っていた」
「そうね。私もそのつもりだったけど、なんだか今日は落ち着かなくて、それでちょっと試してみたの」
 星見を試そうという気持ちに彼女がなったこと自体は悪くない、とエルヴィスは思った。だが、彼女の顔は部屋の前で見たときからずっと青ざめたままだ。
「ただ、試してよかったのか、わからないの。私自身に迷いがあるときに『視』えたものは信ぴょう性が低いから」
 本来であれば〈天〉の宮廷魔術師が星見を行ったことによって『視』えたものは王もしくは王の側近に最初に伝えられる。だが、彼女がそれをしなかったということは、告げるべきか迷うものだったからだろう。そして、その相談先としてエルヴィスとオーエンが選ばれたということは、王もしくは帝国にとっての吉報ではない、と推測できた。「何が『視』えたか、訊いても?」
 オーエンが訊ねた。エレノアはこくん、と小さく首を縦に振って口を開いた。
「――大きな炎だった。あれは火事ではなく、戦だったわ。たくさんの人が死んで、放たれた火によって帝国のすべてが灰燼に帰したの」
 〈天〉の宮廷魔術師として彼女が『視』たことにエルヴィスとオーエンは二人揃って絶句した。エレノアが正装のまま慌ててやってきたことも、ずっと青ざめたままでいることにも納得した。これを『視』て平常心ではいられなかっただろう。
「……こんなこと、今の陛下には言えないでしょう?」
 きっと側室のオメガがやってくるまでの王であれば彼女の言うことに真摯に耳を傾け、側近や大臣たちを取りまとめただろう。だが、今の王にそれができるとは思えなかった。
「ごめんなさい、こんな話をして。二人のことも邪魔して申し訳なかったわ」
 謝罪をするエレノアにエルヴィスは首を横に振った。
「いや、ありがとうエレノア。話してくれて助かった。わたしたちはエレノアが『視』たものを信じる。そして、その未来が現実にならないように全力を尽くす」
 そう言ってエルヴィスはエレノアの手を取った。
「だからもしこれから先も、何かよくないものが『視』えたら、わたしかオーエンに教えてほしい。どうしていくか、一緒に考えよう」
 帝国が亡ぶ未来はなんとしても回避したかった。生まれ育ち、今なお慈しんでいる国が見るも無残な姿に変えられるようなことがあってはならない。
 エレノアはエルヴィスの言葉にうなずきながら、こぼれる涙を手の甲で拭った。白いシルク製の手袋に涙のあとが残る。この手袋もまた正装の一部だった。
「さて、わたしたちで送っていこう。あまり他のアルファの部屋に長居するのはよくない。陛下もオーエンには寛大だが、それでも褒められたものではないから」
「ええ。……本当にありがとう」
 エレノアは涙のあとを隠すようにローブについているフードを目深にかぶり、さしのべられたエルヴィスの手を取って椅子から立ちあがった。

 エレノアを部屋まで送ったのち、オーエンはエルヴィスの部屋の前まで一緒に戻ってきた。部屋に入ろうとするエルヴィスがふと何かを思い出したようにオーエンを振り返った。
「今回の件、なるべくおまえに迷惑をかけないようにしたい。だからさっきの薬の開発を進める件は一度忘れてほしい」
 いつになく真剣な顔で言うエルヴィスだったが、オーエンは首を横に振った。
「その頼みは聞けない。お前は俺に迷惑をかけると言ったが、俺もできる範囲でお前に全力で協力することをすでに決めた。今さら迷惑だとかなんとかガタガタ言うな」
「しかし、」
「しかしもかかしもねえだろうよ。お前が番になるってわかった十年前から俺はお前の仕事を邪魔しないようにしてきたけどな、今回の件はお前にだけ背負ってもらうもんじゃないと思ってる。俺にも背負わせろ」
 薬学にも医学にも科学にもまったく通じていないくせになにを言うのか、と喉まで出かかったが、そこでつっかえてしまって言葉になることはなかった。
 黙ったまま、うん、と首を縦に振ったエルヴィスを見てオーエンは満足そうに笑った。
「定期的に様子を見に来るからな。飯と睡眠はちゃんととってくれ」
「努力する」
「だから努力じゃだめだつってんだろ」
 じゃあな、と言ってオーエンは去っていった。部屋に戻ったエルヴィスにエラが「おかえりなさいませ」と声をかける。
「エルヴィス様?」
「……これまでで一番オーエンが頼もしく見えた」
「何をおっしゃいますやら。今までだってずっとオーエン様は頼もしくて信頼に値する稀な方ですよ」
 エルヴィス様の関心が低すぎるだけです、と追い打ちをかけるエラに、エルヴィスは熱くなった頬を冷ますように大きく息を吐いた。

【第二話 END】