第三話 Outcry, sorrow and Prey -10 months ago- - 2/4

 執務室に戻った久家は深江が徳永の半休に関係あるのだろうという推論を松本に告げると、松本は「ちょっとヒントが多すぎたかあ。もうちょっと苦戦してほしかったんだけど」と苦笑しつつも久家に紙の束を手渡した。

「? なんですかこれ」

「お前が深江さんにたどり着いたら渡そうと思って用意していたもの。この書面に書いてあること自体は部外秘でもなんでもないけど、読んだら返してくれ」

 データ化されているものであれば閲覧記録が残る。それを避けるための処置でもあり、久家に確実に読ませるためでもあった。

 久家は松本から紙の束を受け取り、表紙に目をやった。先ほどアーカイブ室で見た深江の殉職日と同じ日付が表紙に書かれており、なるほど、と思う。そして、表紙の右下には記載者である徳永の名前が書かれていた。

「この人、先輩のバディだったんですか」

「ああ」

「……」

 久家は徳永とバディを組んだばかりのときの会話を思い出した。人が欠ける重みを知っているのか、という久家の問いかけに対して徳永は言わない、と言った。言えないではなく、言わない、という言葉を選んだところに徳永の悲憤があったのだろうと理解した。

「隊長」

「ん?」

「これ、やっぱりいらないです。これだけを読んで知った気になっちゃいけない気がするので、直接徳永先輩と話をします」

 そう言って久家は紙の束を松本に返した。松本は受け取ったものの、「本当にいいのか」と訊ねた。

「はい」

「ん、わかった。じゃあ、こっちをやる」

 松本がそう言うのと同時に久家の端末がピピ、と小さな音を立てた。

「?」

「今の徳永の居場所。話ができたら今日はそのまま上がっていい」

「え、いいんですか?」

 思いがけない言葉に久家は松本に訊ね返した。

「隊長権限の許可だ。誰からも文句は出ないよ」

 松本は朗らかに笑って言う。久家は松本に対して深く頭を下げると、さっと執務室を出て行った。完全に姿が見えなくなってから松本は浦志を振り返って言う。

「まさかレポートを読まないって言われるとは思わなかった。たくましくなってて驚いたな」

「ホントね。アタシもレポートを返されるとは思ってなかったわ」

「これでちょっとでもいい方向にすすむといいんだけどなあ」

 松本はそう言いながら手元に戻ってきた紙をもてあそんだ。

「きっと進むわよ。いいバディだもの、あの二人」

 まあアタシたちは気長に待ってましょ、と浦志は言い、松本もうなずいた。

 

 松本が送ってくれた徳永の位置情報を頼りに久家は【中枢】地区と【住】地区を結ぶゲートの前にやってきた。【住】地区一番街〈アルファ〉にある墓地から徳永が帰ってくるとすればこのゲートを必ず通るはずで、行き違う可能性はかなり低い。

 久家がしばらくゲートの前で待っていると、歩いてくる徳永の姿が徐々に大きくなってきた。

「久家?」

「お疲れ様です」

 徳永からはふんわりと抹香の香りがして、やはり月命日に参っていたのだろうな、と久家は思った。

「なんでこんなところにいるの、仕事は?」

「今日はもう上がっていいって隊長に言ってもらいました。徳永先輩と話がしたかったんです……深江さんの」

 久家が深江の名前を出すと、徳永の表情がこわばった。

「誰から聞いたの」

 普段聞くことのない徳永の低い声に、久家は背筋が冷える思いをしたが、自力でたどり着いた答えなのだから、と己を奮い立たせた。

「誰からも聞いてないです。オレが自分で調べました。あ、その、ヒントはいくつかもらいましたけど」

「そう……」

 確かに重大な機密というわけではないため、適切に調べていけばたどり着く名前だった。観念して徳永は久家に訊ねる。

「どうやって調べたの」

 徳永の問いかけに、久家は自分が何を考えてアーカイブ室で調査をしたかを話した。話をすべて聞いた徳永は「なるほどね」と納得したようにつぶやいた。

「異動の理由とアーカイブ室が鍵になるということは隊長と副隊長がヒントをくれましたけど……」

「まああの二人ならそのくらいのヒントは出すでしょうね」

 そのヒントからきちんと仮説を立てて調査ができたこと自体は非常に褒められることだ。徳永が教えたことを忠実に守って実践できる、というのは久家の長所であるが、もう少しできない後輩でいてほしかったな、と徳永は思う。

「あの、深江さんの話する前にオレの話聞いてもらってもいいですか」

 久家の言葉に徳永は面食らった。すぐさま深江の話を訊かれるのだとばかり思っていたが、久家が話したいというのはどういうことだろうか、と興味もわいた。

「いいよ」

「昨日、オレが『心の準備ができていないときにあれこれ訊かれるのはきついので、なるべく話せる環境は整えたい』って言ったの覚えてますか?」

「覚えてる。補導でもされたのかって返した記憶があるけど」

「あれ、補導じゃなくて、事情聴取だったんです……あ、もちろんオレが何かした、とかじゃなくて、その」

 久家は一度言葉を切ってごくり、とつばを飲み込んだ。この話をするときは今でも緊張してしまう。手のひらにじっとりとかいた汗をTシャツの裾でぬぐった。

「その、オレの幼なじみが亡くなったときに、何か事情を知らないかって訊かれて、」

「……その方は何か事件に巻き込まれたの?」

 徳永は静かに久家に問いかけた。久家はその問いかけに首を横に振った。

「――自殺でした」

 その答えに徳永は思わず息を飲んだ。わずかな徳永の動揺を感じ取ったのだろう久家は「もう吹っ切れたので大丈夫ですよ」と徳永に言った。

「でもあの当時のオレはショックだったんです。あいつが何を考えて、どうして自ら死を選んだかなんて全然知らなくて、あいつが死んでしまってから、ようやく知らされて、何ができたのかずっと考えてました」

 久家の顔は青ざめており、吹っ切れた、とはとても言い難い顔をしていた。人の死など簡単に吹っ切れるものでないことは徳永もよく知るところであり「座ろうか」と徳永は久家に声をかけた。

 徳永は自販機で飲み物を買い、その横のコンクリートに腰を下ろした。どこかに入ってもよかったのかもしれない。しかし、人通りが多いわけでもないこの屋外の方が風通しよく、お互いに話すことができると判断した。久家にペットボトルに入ったスポーツドリンクを差し出すと、久家は素直にありがとうございます、と言って徳永からペットボトルを受け取った。徳永自身もアイスコーヒーのふたを開ける。

「いろんなことを訊かれました。普段はどういう人だったのか、学校でいじめられていることはなかったのか、親との関係はどう見えたか……。まだオレだって全然あいつが死んだことの実感なかったのに、何を答えたらいいのか全然わからなくて、オレが答えたことによってどうなるのかもわからなくて、不安だったのをよく覚えてます」

「うん」

 徳永は静かにうなずいた。

「結局そのときになんて答えたかはもう覚えていないんですけど、でもずっとあいつのために何かできたんじゃないかって考えていて、それで〈アンダーライン〉の入隊試験受けることを決めました」

 青少年支援であればほかの道もあるということは久家も重々承知している。だが、自分の学力と適性を考えた結果、この道を選んだ。

「この仕事、基本的には起きたことに対処することしかできないのに、よかったの? 入ってから数か月で分かったと思うけど、取り返しのつかないことばかり起きるよ」

 意地が悪い問いかけだろうな、と思いながら徳永は訊ねた。久家は「うーん」と頬をかきながら考えていたが、

「今のところは、よかったと思います。徳永先輩の言う通り、起きたことに対処する仕事ではありますけど、取り返しがつかなくなる前に止められることだってあるかもしれないですし、自分にできることをがんばっていたら、自分の知らないところで誰かを助けているかもしれないから。だから、オレはこの仕事についてよかったんです」

 と言い切った。その言葉を聞きながら徳永はゆっくりとアイスコーヒーを飲む。

「久家はそう思うんだね」

「はい。まあ、まだ入って数ヶ月で生意気言うなって話かもしれませんけど」

 えへへ、と照れたように笑う久家に徳永は毒気を抜かれる。

「あんたが話して私が話をしないのはフェアじゃないから、私の話もする」

 久家が勝手に話すと宣言をして話をしただけなので、徳永が答えてやる義理はないが、そこで自分の話をしないほど薄情ではなかった。

「でも、よくある話だから、聞いても得るものはないかもしれないよ」

 隊長たちから何か聞いた? と訊ねる徳永に久家は首を横に振った。

「え、何も聞いてないの? もしかして教えてもらえなかった?」

 気遣われたか、と推測しつつ問いを重ねた徳永に久家は先と同じように首を横に振った。

「いえ、そんなことはなく、隊長たちは……その、事件報告書を読ませてくれようとしたんですが、オレが断ったんです」

「読めばよかったのに」

 呆れたように言う徳永に久家は言いづらそうに反論した。

「それは、そうなんですけど……そこに先輩の感情はないじゃないですか」

 その言葉に徳永はハッとした。機械的に打ち出した報告書に自分の感情は載せない。久家はきっと見ていないし調べてもいないだろうが、彼の友人が亡くなったときのことも記録には残っている。だが、それはあくまで出来事の記録であり、そこに誰かの感情が乗ることはない。

「そうだね、うん、それは久家の言うことが正しい。報告書に載らないことはたくさんあるからね」

 例えばつい昨日話をした女のことも、五年前の報告書には書かれていなかった。データや記録の上で把握できないことはたくさんあり、それをすくいあげるのが、人間の腕の見せどころである。

「……あの日、」

 話を始めた徳永の顔にすっと影がさすのを久家は見ていた。その表情からもまだ彼女が深く傷ついていることが容易に読み取れて、久家は思わずペットボトルを持つ手に力を入れた。