第二話 Don’t miss the imposter! - 1/6

二、

 ――その日は、夏の手前の蒸し暑い日だった。

「またデジタル詐欺ですか?」
 と、〈アンダーライン〉第三部隊執務室で苦りきった顔をしているのは眞島だった。デジタル化が進んだ都市国家〈ヤシヲ〉において、金融機関もデジタル化が進んでおり、いわゆるネットバンクを利用する人間が多数を占めている。その中で増えたのが、パスワード窃盗による口座の金銭紛失だった(従来から存在している自発的に振り込ませるタイプの詐欺ももちろん形を変えつつ残っている)。
「デジタル詐欺というよりは、デジタル強盗というのが正しいだろうな」
 被害額を見ながら六条院が言う。数億、という単位の被害額は一部の富裕層が狙い打たれた結果の額である。
「いろいろ対策は打つんですけど、イタチごっこなんですよねー」
 のんびりとした口調で言うのは科学技術研究局の花江まり果だ。今回の事件のことを聞いて〈アンダーライン〉にやってきたが、現在は自前で淹れた紅茶を飲んでいる。
「私は〈アンダーライン〉付きの研究員をやっているおかげで新しい手口には比較的早く出会えますけど、人間、悪いことをしようとすればするほど知恵が回りますよねえ」
 花江は三つ編みにした自分の髪の毛先をちょいちょいともてあそびながら言う。彼女はIT関連を専門にしているため、この手の事には事欠かない存在だった。
「そうだな」
 花江の言葉に六条院が雑に同意した。デジタル被害は中々〈アンダーライン〉だけでは解決がしづらいため、ストレスが溜まる事件である。
「ところで今回の被害額は一般庶民からしたら相当ですが、普通そんな額を動かしたら足がつくのでは?」
 眞島の疑問に花江が「それはですね」と解説をする。
「普通はそうでしょうけど、今回被害に遭われた方は残念ながら自分の口座残高をはっきり把握されているわけではなかったんです。そのため発見が遅れてしまった、というのがまず一番大きい原因ですね」
「……金持ちがアダになったな」
「その通りです」
 所持資産が莫大すぎて細かいところまで把握していなかった、と言うのが事の真相である。羨ましい話だ、と眞島は思う。
「毎日百万ずつ引き出されたあと、国外の仮想通貨交換所を通って匿名性の高い仮想通貨に交換され、そのあとも交換をずっと繰り返していって追跡を困難にしたようですね」
「仮想通貨は取引の記録全部残るのではありませんか? そういう、いわゆるマネーロンダリングには向かないと聞いた記憶がありますが」
「そうですね。原理だけをみればその疑問にはイエスという答えになりますね。ただ、通貨交換の際に本人確認をしない国はありますし、匿名取引ができる国もあります。そういうところを上手に利用したらキレイなお金になります。こればっかりは国内で対策をいくら打っても、お金を国外機関に出されちゃったら意味がないんですよねえ」
 花江の説明に眞島は「そういうことか」と納得をしたようだった。
「富裕層といえば、六条院隊長の実家は入らないんですか?」
「あれは金銭では測れない富裕層ゆえ今回の被害者にはなり得ない」
 国内に四つしか存在しない貴族――二条院、三条院、六条院、八条院の各家は学術・文化保護を担っている。当然貴重な史料、データ類も多数保管されている。つまり、条院家の豊かさというのは金銭ではなく、知識や貴重な資料保管などによってもたらされるものである。価値観が変われば無価値になるようなものまで須らく保存と管理に心を砕いているため、厳密な富裕層には入らないのが現状だ。
 現時点ではお手上げだ、というムードが漂ったところで、六条院の端末に着信があった。六条院はちらり、とディスプレイを見て首を傾げる。
「どなたからです?」
「松本だ」
 業務時間内に私用連絡は来ないはずだから、おそらく何かしら早急に六条院の耳に入れたいことがあるのだろう、と眞島は思った。
「どうした」
『早急にお伝えしたいことがあります』
 松本はキビキビとした態度で言う。「聞こう」という六条院の一言を聞いて、松本は言葉を続けた。
『俺の財産を保管している銀行口座にパスワードハックの不正アクセスを受けました。実質的な被害はありませんが、メッセージが残されていました』
 そのメッセージには一言だけ記されていた。
 ――サンジュウニバン ト ハナシガ シタイ

 松本の元に送られてきた不審なメッセージの送り主を解析するべく花江が支部までやってきて奮闘したが、その甲斐空しく特定はできなかった。
「これ、俺の個人的な連絡先も割れてると思う?」
 松本の問いかけに花江は「どうでしょうね」と首をひねった。
「ただ、先日、国家機密への不正アクセス事件がありましたよね。情報が盗まれる手前で逮捕できたと聞きましたが、実際には盗まれていた可能性もあると思います」
「やっぱりそう思う? 俺もそんな気がする。もしそうならまだまだ厄介事が待ち受けていそうだな」
「あの、松本副隊長、しばらく本部でお仕事できますか?」
 花江が控えめに打診する。〈アンダーライン〉本部であれば、ある程度の監視の目もあり、科技研も近いため、有事の対応が素早くなる。
「ん? できるよ。眞島副隊長がいるから、交代すれば大丈夫」
 松本の回答に、花江は「それはよかったです!」と嬉しそうに言った。
「この支部に持ち込める機材だけでは本来の解析機能の一割くらいしか使えないんですよ」
「一割は、言いすぎじゃない?」
「一割です。〈アンダーライン〉所属でない人を科技研に連れ込むには苦労するんですが、幸い松本副隊長は〈アンダーライン〉第三部隊副隊長のままですし、私のホームグラウンドに来てもらえると大変助かります」
 花江の言葉に松本は、
「俺、というより眞島副隊長の予定を簡単に変更できないと思うから、隊長の許可をもらえたら動くよ」
 と答えたが、花江はにっこりと笑って一枚の紙を松本の眼前につきつけた。
「お二人の勤務予定の変更許可はいただいておきました。……六条院隊長も、心配されているんです」
「わかってるよ。あの人に心配をかけるのは俺の本意じゃない」
 にこにこと笑っている彼女は年こそ六条院と同じだが、したたかだった。よろしくお願いします、と言って頭を下げた科学者に抵抗する術を松本は持っていなかった。

 今の業務になってからほとんど足を踏み入れていない科技研は外観こそ変わっていなかったが、中は様変わりしていた。物珍しそうに周囲を見る松本に花江が声をかける。
「そんなに珍しいところでもないですよね?」
「いや、俺が最後に来た時とは全然違う。花江さんもそうだけど、IT系の技術者が増えて、それに伴う施設と場所が増えたと思うよ」
「ああ、それはそうですね。ここ数年でずいぶん増えました。私より若い子が多いですね。先日の事件で名前が挙がっていたエンジニアの子も、ちゃんと更生施設を出たら引き抜こうかと思ってるんです」
 花江はにこやかに言う。
「楽しみだね」
「はい」
 みんな新しいことを考えてくれるのでとても楽しいです、と笑って花江は松本を自らのラボに案内した。
「どうぞ」
「お邪魔します……あ!」
 松本が研究室を覗くと、二歳になる子どもたちを膝に乗せている元岡がいた。そろそろ産後の育児休暇から復帰しようかという彼女は最近よく顔を出しているのだという。志登が支部にやってくるときに連れていたこともあり、松本も彼らの子どもたち――双子の女の子に懐かれている。
「朝希ちゃん、夕希ちゃん、久しぶり」
 松本が手を振ると、二人は元岡の膝から降りて、トトトト、と松本の足元まで走ってきた。もう走れるのか、と思っていると、足元にしがみつかれた。二人でそろって「だっこ!」とせがむので松本はしゃがんで片腕に一人ずつ抱えてやる。
「毎回すみません」
「いや、全然。羽のように軽いですし」
 もっと小さいころから高いところにはしゃいでいた彼女たちは、今でも松本の腕の中で満足そうにキャッキャと笑っていた。父である志登と松本の身長は五センチしか変わらないが、彼女たちの中では大きな差のようだ。
「そして今日はどうしたんですか? こちらまで来るのは珍しいですよね?」
「それがですね……」
 松本が理由を簡単に説明すると元岡は眉をひそめた。
「いやなメッセージに当たりましたね」
「うーん、メッセージ自体はいいんですけど、誰が何の目的でわざわざそんなことを言ってきたのかが気になるんですよね」
「もしかして、」
 松本の言葉に元岡は言いよどみつつ、口を開く。
「三年前のあの事件と関係ありませんか」
「……それは、まだ」
 わかりません、と松本は答えた。元岡の言う三年前の事件とは、松本が重傷を負い、今の業務に就くきっかけとなった事件のことだ。
「それを解明するためにも、今回俺が協力することになりました」
「わかりました。私の専門とは違いますけど、協力できることがあれば声をかけてください」
 元岡はそう言うと、松本の腕の中でご機嫌な双子たちに「松本副隊長、お仕事だから下りようか」と声をかけた。途端に不満げな顔をするが、松本が笑って「今日は難しいかもしれないけど、また遊べるよ」と言うと渋々従った。
「じゃ、花江さんよろしくお願いします」
「はーい。じゃあ、しばらく松本副隊長を借りますね」
 花江も双子たちに手を振ると、松本を連れて解析室に入っていった。