第二話 Don’t miss the imposter! - 2/6

「――すみません、お呼び立てしたにも関わらず解明できなくて」
 数時間後、逆探知を行っていたが途中までで解析が不能になったことを受けて花江は松本に謝罪していた。松本は静かに首を横に振る。
「花江さん、昔も言ってたでしょ。こういう技術は日進月歩でイタチごっこだって」
「それは、そうなんですけど、」
 でも悔しい! と言う花江に松本は苦笑した。元岡といい花江といい、科学者には負けず嫌いな人間が多い。負けず嫌いというのは若干語弊があるが、自分の知識や手法が及ばない領域に出会うと必ずそれを乗り越えようと奮闘するのが彼らだ。悔しさを表に出すか出さないかは当人の気質に寄るが、花江は比較的素直に出す方だった。
「頭に血が昇ってたらできるものもできないよ。一回休憩しよう。明日以降も付き合うから」
「いえ、だめです。時間はかけすぎない方がいいです」
 きっぱりと言い切る花江に松本は首を傾げた。
「珍しいね、花江さんが断定するの」
「相手は松本副隊長がどういう存在で、どこにいるのかということを知っている人物です。その人はきっと、近いうちに松本副隊長に直接接触を図ってくると思います」
「うん」
「直接接触された際に、逆探知できるように別の仕掛けを用意しておいた方がいいかもしれません。松本副隊長、業務用の端末に加えて、個人でお持ちの端末も出していただけますか?」
 花江の言葉に松本は素直に従う。
「これ、今晩お借りしても?」
「はい。必要なものは全部提供するよ。隊長に一報してもらえると助かるけど」
「それはもちろん」
「よろしくお願いします」
 お互いに頭を下げる。ここからは一人で作業をする、という花江に端末を預けて松本が解析室を出ると、外にはまだ元岡が残っていた。子どもたちの姿はない。
「あれ、二人は?」
「悠介くんが連れて帰ってくれました」
「なんだ、志登さん来てたんですね」
 うん、と元岡はうなずいた。その顔に疲労の色が見えた気がして、松本は「お疲れですか?」と訊ねた。その言葉に元岡はパッと顔を上げて首を横に振った。
「そう見えた?」
「少しだけ」
「さすがに小さい子どもが二人いると、大変ですけど。でも仕事に復帰もしたいので」
 にこり、と笑って言う元岡に松本が返せる言葉はなかった。がんばりたい、と語るその目に何かを言うのは余計なお世話だろうが、言わずにはいられなかった。
「どうしても困ったときにはいつでも言ってくださいね。俺は大体、支部にいるので」
「ありがとうございます。そう言ってもらえるとホッとします」
 そう言って元岡は椅子から立ちあがった。横には彼女の仕事道具が入っているトートバッグが置かれていた。
「帰ります?」
「うん、今日の分は終わったので」
「じゃあ、俺、花江さんへの差し入れ買いに行くんで途中まで一緒に行きましょう。花江さんって甘いものならなんでも好きなんでしたっけ?」
 松本の問いかけに元岡は少し考え込んだ。
「甘いものなら基本的に何でも食べるけど、一番好きなのはチョコレートですね。作業の合間にいつも食べてますし」
「了解です」
 まだ売店開いてますかね、と言いながら松本は元岡と一緒に研究室をあとにした。

 ――三日後。
「まだ、解放されぬのか?」
 科技研にやってきた六条院の言葉に松本は黙って首を縦に振った。
「あのメッセージはいたずらだったのかって疑いたくなってるところです。誰かが分析と解析をしないといけないから、下手に本部に戻ると手間が増える。というわけで軟禁状態なんですけど、そろそろ待ちくたびれてきました」
 支部は眞島が管理しているため特に支障はないが、本部の業務の方が一人欠けたままのため、いつもより忙しいのを六条院も感じていた。赴任して数か月の眞島だが、決して少なくない仕事量を的確にさばいていた。
「待ちくたびれたからと言って、そなたから向こうに連絡を取るようなことはないようにだけしてほしい」
「心配ありがとうございます。向こうから連絡来ないと逆探知できなくて花江さんに怒られるんで大丈夫です」
「それならよいが」
 やや不安げな表情をしながら六条院は言う。信頼ないなあ、と松本は苦笑した。
「ところでどうして、連絡までに時間を空けているんですかね。話がしたいならさっさと連絡を寄越せばいいと思うんですが」
「そうだな。考えられることはいくつかあるが、一番安易な推測から言うと、焦らしてる可能性が高い」
「焦らす? ……ああ、そういうことですか。だから心配してくれてたんですね」
「そうだ。例えば、そなたが誰かと待ち合わせをしていたとして、待ち合わせ相手がいつまでも待ち合わせ場所に来なかったら、焦れるであろう?」
「そうですね」
「あまりに長いと待ち合わせ相手を〝探そう〟だとか〝今のうちに別の用事を済ませよう〟だとかそのような余計なことを考える。そしてそれを実行しようとするとき、必ず隙が生まれる。今回の相手はその隙や油断を狙っているような気がしてならない」
 だからここを離れない方がいい、と松本は言った。今も、二人の横で科技研の職員はせわしなく働いている。六条院も松本に話しかけに来たわけではなく、別件の証拠の鑑定結果を取りに来たところだった。邪魔になっていることと本部の人手が足りないのは重々承知の上だが、それでもなお滞在を続けた方がいい、と松本は直感している。
 ところで、と六条院が話題を変えた。
「今日の帰りは何時ごろになるか見当はつくか?」
「あの、初日から言ってますけど、俺の時間に合わせて帰らなくてもいいですからね、本当に。隊長がいないと回らない仕事もたくさんあるでしょう。おまけに眞島副隊長もいないし」
 現在は支部が職場兼自宅となっている松本が久しぶりに訪れた【中枢】地区で滞在しているのは六条院の家だった。彼らがパートナーシップ契約を結んでいることは隠してはいないが、勤務時間内にプライベートの話をする機会は少ないため、松本は動揺する。
「最近、隊長の帰宅時間がやけに早い、ってみんな言ってますよ。まあ隊員には公表してますし、理解されてると思いますけど」
「このような状況で一人きりにする時間が長くなるのも気が引ける。窮屈だろうが、少し辛抱してほしい」
「辛抱?」
 六条院の言葉に松本はパチパチと目をしばたたかせた。意外だ、と言わんばかりのその顔に、逆に六条院が訊ねる。
「わたしが言うのも変だが、支部にいるときより不自由な環境だろう?」
 その問いかけに松本は首を横に振った。そんなことないですよ、と加える。
「本当だな?」
「ここで嘘ついてもいいことないですし。昔に比べたらずっと自由で生きやすくなりましたよ。くだんの困ったメッセージに振り回されているこの状況はいただけませんが」
 松本は苦笑しながら端末を指さす。花江によって改造を施された端末は、登録番号および〈アンダーライン〉関係者以外からの着信を感知したら、即座に花江と六条院に連絡がいくように設定された。
「勝手に人のことをこそこそ調べて回りくどく連絡をする。そのやり方が俺は気に入りません。俺は逃げも隠れもしないから堂々と来ればいいのに」
「おそらく、一対一でやりあったらそなたに勝てないような人間なのだろう」
「足のハンデもありますよ?」
 松本は不思議そうに訊ねたが、六条院は静かに言葉を続けた。
「肉体面のことだけではない。それ以外でも勝つことは難しいと思われている」
「それ以外でも、」
「そうだ。現にそなたは櫻井には頭が上がらないだろう」
 六条院の言葉に松本は苦笑して「その通りですね」と言った。第三部隊に配属されて以来、ずっと世話になっている彼に足を向けて眠ることはできそうもなかった。
 そうして話をしていると、鑑定結果がすべて出た、と職員が六条院を呼びに来た。また夜に、と言う六条院に松本はにこやかに手を振る。
「はい。お疲れ様です。またあとで」
 六条院がその場を離れようとした瞬間、松本の端末が着信を告げた。二人して机の上に置かれた端末を見る。
「これは、」
「とりあえず、出ます。隊長もここに残っていただけますか」
 六条院は科技研の職員に鑑定結果の受領を少し待ってほしい、と告げてもう一度松本の横に腰を下ろした。――端末の画面には無機質な文字で〝非通知〟と表示されていた。

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