第六話 黎明の道標(上) - 2/3

 松白家に戻されてから数日経過した。
 満碧は、日がな一日、祓殿の控えに軟禁されていた。
 以前であれば、浄化の儀をはじめとした巫覡としてのおつとめを中心に、ある程度やるべきことがあったが、今やすべてを禁止されてしまい、時間を持て余している。巫覡としてのつとめはすべて、下の妹たちに継がれており、満碧ができることはない――というより、満碧が手を出すことを妹たちは嫌がった。それもそうだろう、と満碧は思う。彼女たちにとってみれば、満碧はそこにいるだけで自分たちの劣等感を刺激するのだから。
 時間を持て余すと、考えずともよいことを考えてしまう。
(汀夏様におれの真意は伝わっただろうか……)
 満碧なりに知恵を絞って書いた手紙であり、内容をあらためた伯父も何も言わなかったため、おそらくそのまま汀夏のもとに届いているはずだが、当の本人に気づかれなくては元も子もない。護符だけは何とか隠し通し、菊名橋家に返送されることを防いだが、それも帰る意思があることを示すための苦肉の策だった。
(こんなときに、自分に力がないのがいやになる)
 もっと屈強な身体があれば、無理にでもこの家を飛び出せたかもしれない。せめてこの家に一人でも満碧に協力してくれる人間がいれば力を借りられたかもしれない。だが、残念ながら、松白家に、満碧に協力しようという人間はいない。
 そして、やることがないとつい、まどろんでしまう。菊名橋家にいた時には夜以外、まったく眠気を覚える暇がなかったのが、いっそ不思議に思えた。そうすると、じわりじわりと現実と夢の境が溶け出していく。
(そういえば、ここに戻ってきてから夢をよく見るようになった……)
 しばらく、汀夏と過ごしたからだろうか、それとも伯父に話を聞いたからだろうか。夢に見るのはきまって、荒魂を封じようとする誰かの後ろ姿だった。その誰かはおそらく汀夏の高祖父だろうが、満碧は彼の顔を見ることはできない。顔を見る前に決まって目が覚めてしまう。
(おれに夢見で吉凶を判断するような力はないはずだけどな……)
 しかし、繰り返し見る夢にはきっと意味がある。一体なぜなんだろう、と思いながら満碧はまぶたを閉じた。

 夢でも満碧は、祓殿にいた。いつもとは違う夢の雰囲気一体なんだろうと思いながら、満碧は祓殿に座したままだった。
 それからどれくらい座していただろうか。ふと満碧が顔を上げると、離れた場所に小さな子どもがいた。人間というよりは真っ白な人形とでもいうべきその子どもは、満碧が自らに気づいたことに気づくと、立ち上がって満碧を手招いた。
「?」
 不思議に思いながら満碧はその子どもについていく。子どもは、祓殿の隅に設けられた天井裏に続く梯子を指さす。
「これを上れと……?」
 満碧が確認すると、その子どもはうんうんと頭部に当たる部分を揺らした。あまり気は進まなかったが、仕方なく満碧は梯子を上る。梯子を上った先、天井裏に顔を出すとそこは埃っぽく、思わず満碧は咳き込んだ。夢なのに、妙に現実味を帯びているのが不思議だった。
 暗い天井裏だったが、だんだんと目が慣れてくると、そこに〝何か〟がいるのが見えた。
「ッ……!」
 思わず息を飲んだ満碧に、〝それ〟は気づいた。
『浄めの子だね』
 〝それ〟の語り口は穏やかで、声量も決して大きくない。それなのに空気がびりびりと震えた。
「あ、なたは……?」
 恐る恐る満碧が訊ねると〝それ〟は答えた。
『おまえの親族が荒魂と呼ぶものだ。今日はおまえに伝えたいことがあって、呼んだ』
 おそらく家を勝手に出たことを叱られるのだと満碧は身構えたが、荒魂は特に言葉を荒げる様子もなく、続けた。
『おまえ、我が呪詛を雪いで、天界に帰してはくれぬか?』
 突拍子もないその申し出に満碧は、戸惑う。現世におわすものをどうやって天界に帰すというのだろうか。
「え、そ、それはどういう……? 人の身でできることでしょうか……?」
『できる。もともとこの身は、数多の呪詛を宿したために天界から地上に追放されたものだ。しかし、時の流れとともに少しずつ呪詛は雪がれ、もはや我が地上にいる意味はない。少し前にも、我が願いを聞きいれ、我を天界に送り返すために剣を振るおうとしてくれた者がいたが、おまえの祖先に邪魔された。結果、その人間には我の呪詛の残滓が憑りつき――悪いことをしたと思う』
「……」
 伯父から聞いた話とはずいぶん食い違うが、おそらくこちらが正しいのだと満碧は直感した。夢であったとしても、満碧は呪いの気配に敏感である。しかし、目の前の荒魂からはほとんど呪いの気配はしなかった。呪詛がほぼ雪がれている、という言葉はおそらく本当だ。こういうときの満碧の直感はよく当たる。
『罪なき人間の一族を呪い続けては、我も天界には帰れない。だが、我だけではどうにもならんのだ』
 困ったように言う荒魂――元・荒魂と呼んだ方がいいかもしれない――に満碧は是、と答えを返した。
「力をお貸しします。具体的にはなにをすればよいのでしょうか?」
『これをやろう』
 荒魂の言葉とともに満碧の目の前に一枚の札が、現れた。満碧以上に強い〝浄めの力〟を宿していることが見るだけでわかった。
『これを形代として使い、我の残りの呪詛を宿している人間を浄化することで、我は天界に帰ることができる。ただし、』
「ただし?」
 荒魂は言葉を続けた。
『――おまえのその強い〝浄めの力〟も、この家の他の者の神職としての力もなくなる可能性が高い』
「……」
『それでも挑んでくれるだろうか』
 それは満碧にとって、生家を取るか、汀夏の命を取るか、という問いかけでもあった。そして同時になぜ荒魂が以前は汀夏の高祖父に解放を願ったのかも理解できた。当時も松白家の人間は誰一人として、家を潰せそうにないと判断して、第三者である汀夏の高祖父が選ばれた。その結果、菊名橋家には罪なく、百年近くも苦しむ羽目になった。
(……ひどい話だ)
 たとえ満碧がここで汀夏の呪いを完全に解いたとして、菊名橋家が松白家――ひいては満碧を――を許すかどうかは不明だが。
『どうする?』
 荒魂に問いかけられるまでもなく、満碧の心は決まっていた。顔を上げて、荒魂を見据える。
「お引き受けしましょう」
 松白家を出たことで、満碧は未来と希望、そして自由を得た。その恩を汀夏の解呪という形で返せるまたとない機会だった。満碧の決断で松白家は衰退の一途をたどるだろう。そのときの罪を背負うのは一人で大丈夫だと満碧は思う。
(もとは、松白家が責任を負うべきなのに、その始末を汀夏様に押しつけて生きることなど、できそうもない)
 満碧の決心が硬いのを見通したのか、荒魂は『よろしく頼む』と言ってふっと姿を消し――満碧もそこで目を覚ました。