第六話 黎明の道標(上) - 3/3

「ッ……!」
 バクバクと心臓がうるさい。ふと右手に意識をやると、手の中には夢と同じ札が握られていた。
(これは、無くさないように、しなきゃ……)
 絶対に取り上げられず、安全に保管できる場所、というのは満碧にとって一か所しかなかった。汀夏から渡された護符を入れた巾着の中に丁寧にたたんで入れる。
 あとはどうやってこの家を再び出て、汀夏のもとに戻るか。それだけが問題である。
 どうしようか、と満碧が考えているとふと外が騒がしくなった。祈祷の客人と何やらもめているのだろうか、とやり過ごすことを満碧が決めた瞬間、軟禁されていた部屋の襖がいきなり開いた。
「……?!」
 そこに立っていたのは、四十がらみの男だった。身に着けている服装からして、警察官に見えたが、一体どういうことかと満碧は目を白黒させる。見覚えのない人間に満碧は警戒し、わずかに身体を後ろに引いたが、それに気づいた男はにこやかに言う。
「君が、満碧さんだね? ここから出るよ」
「え、あの、それはいったい……」
「説明はあとでしよう。一旦、一緒に来てくれるかな」
 言葉は和やかだったが、有無を言わせない彼に従って、満碧は部屋を出て、家の門の前まで歩いた。
 家の門の前には、男以外に多数の警察官が立っていた。これはどうしたことかと満碧が戸惑っていると、母屋から伯父を含め、数人が飛び出してきた。母や妹たちの姿もその中にはあった。
「どういうことだ! 角倉、なんだこれは!」
「どうもこうもありませんよ、松白さん。かどわかしに軟禁、まあ……ほかにも余罪がありそうですが、ひとまずはここですかね。いくら嫁いだ甥とはいえ、無理やり連れ帰るのは罪です」
 唾を散らしながら怒鳴る伯父に、角倉と呼ばれた男は淡々と事実を述べる。
「離縁の手続きならしたはずだッ! わしが家の者をどう扱おうと、お前たちが家の事情に口を出すのはおかしいだろう!」
「――離縁の手続き、というのはこれのことか」
 なおも大声を上げる伯父にとは対照的な、涼風が吹き渡るような声が響いた。満碧はハッとして振り向く。
 果たしてそこには汀夏がいた。手には二つに破られた離縁状がある。
「我が家の籍から満碧を切り離すには、申し出に対し、戸主たる私が手続きをしなければならない。だが、あいにくと私はそんな手続きをするほど暇ではなかった。したがって満碧は今も私の伴侶だ。いますぐ返してもらおう」
 さらりと言った汀夏を伯父は憤怒の形相で睨んだ。
「ぐ、き、貴様……!」
 反論の言葉が出てこない伯父を、満碧は正面から見つめる。上背は満碧より伯父の方が高いが、不思議と今は、伯父の姿が小さく見えた。怒りに支配され、がなり立てる彼は、毛を逆立てて身体を大きく見せようとする獣に似ていた。
「伯父様」
 満碧の呼びかけに、伯父は答えなかった。だが、今ならもう一度言える、と判断した満碧は、伯父に向かって一言告げた。
「罪を認め、罰を受けるべきではありませんか」
 過去も、現在も含めて、という意味を込めて満碧は言う。だが、伯父には届かなかったようだ。
「黙れ……! クソッ黙れ黙れ黙れェ!」
 満碧につかみかかりかけた伯父だったが、角倉にその手を取られ、あっという間に投げ飛ばされた。「ギャッ!」という悲鳴を上げたかと思うと、完全に沈黙した。
 他の親族は誰も何も言わず、ただ顔を青くしているだけだった。
 角倉はやれやれ、と手をはたくと、近くに待機していた他の警官に「目を覚ましたら署に連行してくれ」と指示した。そして、満碧に向き直り、
「君は菊名橋くんと一緒に家に帰りなさい。我々に事情を話してもらうのは明日以降でいい」
 と言った。あっさりと解放されたことに困惑しながら、満碧は訊ねる。
「あの、あなたは……?」
「それも菊名橋くんが教えてくれるはずだ。さ、ここは我々に任せて」
 男は満碧の質問を強引に打ち切り、汀夏の方へ押しやった。汀夏は男に頭を下げる。
「角倉署長、ありがとうございました」
「なに、いいのいいの。貸し一つってことにしてあげるから、なんかの時に返してね」
 角倉は手をひらひらと振って、背を向けた。その場に残された満碧と汀夏はどちらともなく、顔を見合わせて、松白家の門をくぐって外に出た。

 門の外に出て、十数歩歩いたというところで、満碧はぐい、と汀夏にその身を引き寄せられた。満碧には強い力だったが、黙って汀夏の為すがままでいる。
「心配した」
 押し殺した小さな声を満碧は聞き逃さなかった。
「申し訳ございません……なるべくご心配をおかけしないように、と知恵を絞りましたが、至りませんでしたか」
「いや、あれはうまく書いてくれた。あれがなければこのようには動けなかった」
 そこまで言ってようやく汀夏は満碧の身を解放した。
「一体、何をどうしたら今日のようなことになるのです?」
「話せば長くなるが……」
 汀夏が角倉に署長という敬称をつけて呼んでいたことも気になる。満碧の疑問に汀夏は少し迷いながらも話を始めた。