出会い

 三度目の出会い、いやそもそも一度目になる出会いはマッチングアプリだった。自覚がないままの一度目は自らが後見監督人を務める子どもを迎えた警察署、二度目は忘れ物を取りに行った同じく警察署。弁護士の自分と少年課の刑事である彼の接点は他より少し多くなりがちだ。
 だがアプリでマッチしたのはそれよりも前だった。互いに中々タイミングが合わず、延びに延びていた初めて会う日が今日だった。
「六條先生?」
「松木巡査部長……?」
 互いに顔を見合わせたあと慌ててスマートフォンでアプリを確認する。本当にこのプロフィールの人間かと同時にスマートフォンを突き出したところで「身分詐称じゃないですか!」と松木が言い出した。上背はあるものの、茶色のくせ毛とくりっとした蜂蜜色の目が優しい雰囲気を創り出しており、迫力にはやや欠ける。
「なんですか自営業って!」
「別に間違ってはいません。先輩と共同経営ですが弁護士事務所を運営しているので自営業でもあります。松木さんの公務員という職業も曖昧だと思いますが」
「それは正当です。会社員だってどんな会社に勤めていても会社員ですよ? でも士業の人は別に選択肢があるでしょう」
 松木の言葉は正論だ。渋々認めて白状する。
「……職業のことを書くとそれ目当てに相談にやってくる人が多いからそれ避けです」
「それについてはちょっぴり同情します」
 オレも職業言うとちょっとイヤな顔されることあるんで、と言って松木はスマートフォンをGパンの尻ポケットに押し込んだ。
「さてこれからどうしますか」
 松木は訊ねた。彼自身は食事だけで解散でも、やることをやってもいいというスタンスだ。しかし世の中には仕事上の知り合いとは関係を持ちたくない人間もいるから、ということでの配慮だった。
「これに登録していて会おうと言った時点で健全な付き合いは期待していません」
「つまり?」
 にやり、としながら続きを促す松木に可愛い見た目をしているくせに性格が悪い、と六條は思った。
「やることやってから解散しましょう」
「はは、りょーかいです」

 家でもホテルでも、と六條が言うので松木はホテルを選んだ。初対面ではなく、面識がある人――おまけにこれからも仕事で会う可能性のある人――の家に行くのも、自宅に招くのも違う気がした。ホテルに入る前にちらり、と松木は六條を見る。さらさらの黒髪をオールバックにして、細いメタルフレームの丸眼鏡をかけている六条には白皙の才人、という言葉が非常に似合う。逆にこの場所はあまりに俗っぽいと思った。
「ひとつだけ言っておくことがあります」
「え、ここまで来てなんですか?」
 ホテルの部屋に入ったところで声をかけられた松木は思わず六條の手首を掴んだ。ここまで来て帰る、と言われても困る。
「それよりこの手はなんですか」
 六條はつかまれた手首を見ながら静かに訊ねた。
「……やっぱり帰ると言われるかと」
「言いません。そこじゃなくて、その、あまり反応を期待されるとがっかりされるかと思って、前もって言っておこうかと」
 これまで接した六條はストレートに言葉を伝える人だと思っていたが、やや濁した言い方をされるので松木は首を傾げた。そして、自分の解釈を言葉にして訊ね直す。
「? ちょっと話が読めてないんですけど、要するに声を出したりするのはあまり好きじゃないということですか?」
 松木の確認に六條は不本意そうに首を縦に振った。
「以前、つまらないと言われたことがあって」
「……なるほど」
 人の言葉など気にしなさそうなのになんだか可愛らしいところがあるなあと松木は思った。だが、おそらく楽しめるだろうという確信が松木にはあった。六條が今までにどのような人間と関係を持ったのかはわからないが、言葉や音にならずとも身体に触れていればわかることはたくさんある。
「先にシャワー浴びますよ」
 黙ったままの松木を怪訝そうに見ながら六條が言う。
「はいはい、どうぞ」
 ゆっくりでいいですよ、と言って松木は六條を見送った。
 しかし、松木の言葉に反して、六條はわずか十分ほどで浴室から出てきた。きちんとセットされた髪が下ろされていると、年齢より若く見えるという表現を通り越して幼く見える。一瞬本当にこの人は自分よりも年上だろうか、と松木は不思議に思った。
「ゆっくりでいいって言いましたよ」
「……準備は、してきているので」
「え、」
 思わず訊き返した松木に六條は「そのままの意味です」と素っ気なく言った。聞けば今日一日きちんとした固形物は摂取していないと言う。
「ここまで来て挿入の準備ができていないから、というのは締まらないでしょう」
「そりゃまあ、そうですけど」
 誰が来てもこうして抱かれるつもりだったのだろうな、と松木はやや面白くない気持ちを抱えつつも納得する。二人が利用していたアプリは予め互いの希望する役割を入れた上でマッチングするようになっている。つまり六條は抱かれる側、松木は抱く側としてこの場にいる。
「松木……くんもどうぞ」
 一瞬間があったのは仕事上の階級で呼ぶかどうかを迷ったからだろう。
「どうも。ちゃんと髪乾かしておいてくださいよ」
「……子供じゃないですよ」
 松木の言葉に不貞腐れたような六條の声が応えた。松木はちらりと六條を見た。普段はきっちりとワイシャツで隠されている首筋が目に焼き付いて離れなかった。

 

 翌朝、先に目が冷めたのは六條の方だった。隣で眠りこんでいる松木の顔は幼く、学生だと言われても信じられるような気がした。なんとなくベタつく感覚が皮膚に残っている気がしてシャワーを浴びようと浴室に足を運ぶ。
「ッ……!」
 浴室の電気をつけたところで思わず声が出かけた。鏡にうつる自分の腰のあたりにはしっかりと松木の手の痕が残っている。皮膚が白くて薄いため、痕が残りやすい体質ではあるが、これほどしっかりと手形が残ったのは初めてだった。
(たしかに、昨日はすごく、気持ちよかった)
 思い出して赤面する。気持ちよくされた腹の奥がキュッと引きつれるような気がした。正確な時間はわからないが、かなり長く肌を重ねていたと思う。行為こそ激しかったが、松木の手つきは終始柔らかく、優しかった。六條は再び催しそうになる自らを叱咤して、少しぬるめのシャワーを浴びた。皮膚にわずかに残っていた松木の触れた痕跡が排水溝に吸い込まれていくのをじっと見ていた。
 シャワーを浴び終わった六條が髪をふきながら部屋に戻ると松木も目を覚ましていた。後頭部に寝癖がついているのがおかしく、六條は頬を緩ませた。松木は六條におはようございます、と言ってすぐ目線をしっかり残っている手形にやった。
「ごめんなさい。痛かったですか?」
「いや、もともと痕が残りやすい方だから、」
 謝られたのは初めてだった。昨日も、それよりも前からも、松木はずっと他人に対して優しく、心配りができる人間だということは知っていたが、それが自分に向けられるのが、くすぐったかった。
「あの、俺から提案というか、言いたいことがあるんですけど」
「?」
「俺と付き合ってほしいです。一回きりじゃなくて、俺は六條さんと次の話ができる関係になりたい」
 松木に言われて六條は考える。松木の身分、性格的にきっと大丈夫だろうと素直に思えた。いたずらに六條を振り回すこともないだろう。加えて――断じてこれが決めてではないが――セックスも上手かった。ストレートに告白をされるのは随分久しぶりだったが悪い気はまったくしなかった。
「わたしで、よければ」
「ふふ、嬉しいなあ」
 松木は心底嬉しそうに笑った。人懐こい大型犬のような雰囲気がますますそれに近くなる。
「ただ、プライベートでは〝先生〟と呼ぶのを控えてくれた方が嬉しいです」
「わかりました。じゃあ、下の名前と名字とどちらで呼ばれるのが好きですか?」
 言われて再び考える。名字よりは下の名前で呼ばれることが多い人生だった。名前で呼ばれた方がしっくりくる。
「名前ですね」
「わかりました。真尋さん、でしたよね。じゃあ俺のことも名前で呼んでください」
「千遼くん?」
 初対面の時に名乗られた名前を手繰り寄せて呼びかける。だが、松木は「呼び捨ての方がいいです」と言って六條に〝千遼〟と呼ぶようにねだった。
「あと真尋さんの方が俺より年も上なんだから、敬語じゃなくていいです」
「わかった。仕事以外のときはそうするから」
 仕事上関わることもある松木とは公私の区別をしたい。食い下がるかと思ったが案外素直に松木は引き下がった。
「ねえ真尋さん、今日が休みだから昨日会ってくれたんですよね?」
「そうだ」
「今日ってこれから予定ありますか?」
 訊ねる松木に六條は首を横に振った。先ほどまでは人懐こい大型犬のような顔を見せていたのに、今は捕食者の顔をしていた。その発言の意図を汲み取って六條は「予定はない」と答えた。
「じゃあ、このあと俺の家に来ませんか。着替えも貸せますし」
「……うん」
 本当は溜まっている洗濯物を片付けたり、散らかっている部屋の掃除をしたりしようと考えていた。だが、この誘いを断ってまですることではなかった。明るい中でするセックスは背徳的で、魅力的だった。先ほどシャワーと一緒に排水溝に沈めたはずの官能がまた頭をもたげる。
「はは、真尋さん、すっごいエロい顔してますよ」
「……うるさい」
 チェックアウトまでにちょっと落ち着いててくださいね、と言う松木に余計なお世話だと六條は言い返した。