三、
――雨上がりに日が燦燦と降りそそぎ、不快指数が高かった。
毎月、傾斜のついた砂利道を歩く。もう十回目になればこの道にもいい加減慣れてくるはずだが、一歩一歩踏みしめるごとに身体が重たくなった。仕事であれば大したことないと一蹴するような傾斜なのに、毎月のこれだけは何度やっても慣れなかった。無意識のうちに強く握りしめてしまったせいで、せっかく買った白菊も徳永の手の内で元気をなくしていた。
砂利道を上りきったところには寺院の山門があった。軽く頭を下げて山門をくぐる。境内を掃除していた住職が徳永の姿を認めるとほうきを置いて「ようこそのお参りでございます」と手を合わせて頭を下げた。徳永はそれに対して会釈をすると、バケツと柄杓をもって、寺の墓地へと足を踏み入れた。
目当ての墓石は墓地の入り口に近いところにある。よく手入れされた墓石はきっと埋葬されている人間の家人によるものだろう。すでに活けられている花に持参した白菊を加え、日に焼けている葉や花をむしっておく。
「どうぞ」
いつの間にか近くまでやってきていた住職が徳永に線香を差し出した。
「あ……ありがとうございます」
手を合わせるだけで帰ろうと思っていたが、差し出された線香をありがたく受け取り持参していたライターで火をつける。線香の先についた火を手で扇いで消すと、あたりにふんわりと白檀の香りが広がった。わずかな空気の揺らぎで煙がゆらゆらと立ち上っていく。
「おや、ライターはお持ちでしたか」
「ええ、故人がたばこを吸う人でしたので」
墓石の前にたばこの箱とライターを供えるつもりだった。もちろん手を合わせるわずかな時間だけで、持って帰る予定である。
「もうすぐ一年になりますか。毎月いらっしゃるのは貴女だけですが」
正確には月命日の前日である。当日は家族が悼みに来るだろうと配慮した結果選んだ日が前日だった。
「……はい。多分、まだ当分はお邪魔すると思います」
「ええ、いつでもいらしてください」
住職の物言いはどこまでも穏やかだった。彼はきっとこれまでに何人もが死者を悼みに来た姿を見ており、千差万別の悔やみ方を見守ってきた。何かを押しつけることも、説教をすることもなく、ただ在り方を見守ろうという姿勢の住職に徳永は頭を下げた。
「暑い中、ようこそのお参りでございました」
そう言って住職は山門まで徳永を見送りにやってきた。坂を下る途中で振り返って再度住職に向けて頭を下げる。随分遠くなっていた住職だったが、徳永の礼に応えるように手を振ってくれた。
坂をすべて下ったところにある喫煙所に入り、帰ってきたたばこの封を切って、火をつける。月にこの時だけ、と決めているため、残りは大体同じ銘柄を吸う人に横流ししてしまうが、横流しする相手も部署が離れてしまったため、ここ三か月は中途半端に開けられたたばこの箱がいたずらに増えるだけだった。
「……はあ」
煙が目に染みるような気がした。実際には天井にある換気扇に吸い込まれてしまうため、目に染みる煙などない。言い訳に過ぎないことは徳永自身が一番わかっていた。
(――いつか私自身の答えが言えるようになるといい、か)
思い出すのは今朝の取調べの内容だった。最後の最後で被疑者にこちらが刺された、と徳永ははっきり自覚していた。松本が間に入ってくれなければ間違いなく、彼女が優位なまま取調べが終わっていた。
(あの人はもう、答えが出せる程度には立ち直っているってこと……いや、立ち直るもなにもあの人は喪っていないのに)
そこまで考えてハッと徳永は顔を上げる。
(亡くしてこそいないけど、それよりもつらいものがあるかもしれない。私のものさしでは量れない)
だがそれでも、大事な相手にたとえ回復不可能な傷がついていたとしても、生きていてほしかった、と思うのはわがままなのだろうか、と徳永は思う。
(……深江先輩、)
どうせ毎月行くなら病院の方がまだマシでしたよ、と思いながら徳永はまだ半分くらい残っているたばこを灰皿に押しつけて火を消した。
○
同時刻、〈アンダーライン〉第三部隊執務室。
久家は松本からもらった課題に対してどう攻めるかと頭を悩ませていた。頭だけで考えるのは苦手であるため、紙にこれまでに徳永とどんな話をしたか書き出していく。
――今まで答えてもらえたこと
・捜査用のデータベースや機器の取り扱い
・〈アンダーライン〉の制度に関すること
・他業務に関すること
今まで答えてもらえなかったこと
・自身に関すること(志望理由など)――
ここまで書き出して久家は「なるほど」とつぶやいた。〈アンダーライン〉隊員として仕事をしていくための手段や手順は惜しむことなく答えてくれるというのに、自身に関することは一度も答えてもらったことがなかった。
(ほかの人と話してるところもほとんど見たことないんだよなあ……)
バディを組んでいる以上、必然的に久家と話す時間が伸びるのは分かる。だが、それ以外に彼女が気軽に声をかけたり、雑談したりするような相手の顔がまったく浮かばない。おまけに勤務後に誰かと食事に行くところも見たことがなかった。
――これは思った以上に難易度が高いのではないか。
そのような結論に至りかけた久家に、横で見守っていた浦志が声をかけた。
「どう? 行き詰ってないかしら?」
「……正直、限界な気がします」
「でしょうね」
浦志は朗らかに笑った。
「直接教えてあげることはできないけど、アタシに質問するっていうのもアリよ」
「あ、……確かにそうですね」
徳永がもともと所属していた部隊は第二部隊だと聞いて、そちらで調査することばかり考えていたが、第三部隊で情報収集するのも重要だ。
「じゃあ一つ、教えてください。副隊長は徳永さんと仲がいい方に心当たりありますか?」
「そうねえ、こちらの部隊で誰かと親しくしている様子は見たことないかもしれないわ。でも、確か同期の子がいたんじゃなかったかしら」
「……初めて知りました」
徳永個人のことを本当に何も知らないのだと痛感して、久家は肩を落とす。
「まあ、交代制の班も違うから、知らないのも無理ないわね。たしか夕勤に組まれていたからこのあと出てくるわよ」
志摩、という名前を教えてもらい、久家はそれをメモに書き留めた。
「あと私からあげられるヒントはアーカイブ室かしらね。あそこは事件のデータベースでもあるけど、〈アンダーライン〉組織のデータベースでもあるから」
「?」
「志摩の出勤まではそっちを見てみるのもいいんじゃないかしら」
ヒントは以上、と言った浦志に久家は「まだよくわかっていませんけど、わかりました」と答えて、昨日に引き続きアーカイブ室に足を運ぶことを決めた。
アーカイブ室は今日も静かだった。数名の隊員がそれぞれ調べ物に使っているだけであり、時折ひそひそと声がした。
(副隊長はヒントこそくれたけど……)
残念ながらそのヒントだけでは何を調べたらいいのか久家には見当がつかない。端末を起動させながら久家はぼんやりと考える。
(まずは、徳永先輩のデータから見るか……)
時間をかけて起動した端末に登録されている徳永のデータを呼び出す。入隊前の最終学歴、入隊後の異動・昇任履歴が記載されているが、特段参考になるようなことは書かれていなかった。総務・労務が管理しているデータであればひと月休みを取ったことも書かれていただろうが、残念ながら久家にはそこに気づく手段がない。
(第二部隊の人のデータを一つ一つ見るのも現実的じゃないし……)
どうしたものか、と悩み始めた久家の脳裏にふと徳永の声が響いた。
『捜査や調査のときに、何から手をつけていいかわからないときはまず仮説を立てること。どんなに無茶な仮説でもいいからまずそこから』
「仮説……。仮説か」
何に対して仮説を立てるべきか、と考えてふと久家は松本が「徳永が第二部隊から第三部隊に異動した理由に関わっている」と発言したことを思い出した。久家が関心を持たなかったこともあるが、徳永の異動理由を知らない。
〈アンダーライン〉の異動は基本的には欠員が出た場合や本人の適正および希望が関わるが、隊をまたいでの異動は多くない(隊長・副隊長昇任時を除く)。そこを調べれば何かがわかるかもしれない、と久家は思う。
(徳永先輩が第三部隊に異動してきたのはオレと同じタイミングだった。欠員が原因だとしたら、オレが入る前一年の間に、第二部隊を辞めた人を探せばいいのかもしれない)
辞めた隊員のリストも容易に出すことができるため、久家は範囲を昨年一年に絞って第二部隊を辞めた隊員の一覧を出力した。
「うわ、結構いるんだな……」
二十名近く出てきたリストにうーん、と久家はうなった。ただ、女性同士で組まされることはないため、女性を除くと十数人になった。
「これ以上は絞れないか」
観念して久家は一人一人のデータを見る。五人ほどデータを見たところで大体の退職理由が定年であることにホッとしつつ、どんどん進めていく。
十人目のデータを開いたところで、久家は手を止めた。
(殉職……)
退職理由に書かれた〝死亡〟の文字に久家は「あ、」と小さく声を上げた。退職日を見ると昨年の秋だった。日付は奇しくも明日であり――徳永が今日休みを取った理由が分かった気がした。
「……このひとだ」
深江忠司と書かれた名前をメモする。久家の考えが正しければこの人間が徳永の休暇取得に関わっているはずだ。
それを確かめるため、第三部隊執務室に戻ることにした。