第六話 黎明の道標(上) - 1/3

 一方その頃、汀夏は松白家を訪れたものの、門前に立っていた使用人によって、追い返されてしまい、恩加島とともに車で元来た道を引き返す羽目になっていた。
 頑なに「お引き取りください」としか言われなかったことを鑑みるに、満碧が松白家にいるのはほぼ確定であると汀夏は予想していた。汀夏を中に入れては困ることがある、と半ば直感めいてはいたが、そう思わせるだけの不自然さがあった。
(どうしたものか……)
 正攻法ではだめだろう、と考えて、汀夏はため息を吐いた。車窓から外を見ると、長く尾を引いた夕暮れの最後の光が、山にかかっていた。その瞬間、ちらり、と目の端に何かが光って見えた。
「少し、停めてくれ」
「かしこまりました」
 恩加島は滑らかにブレーキを踏むと、車を路肩に停めた。汀夏は車を降りる。少し引き返したところに、それはあった。あとからついてきた恩加島が息を吞む。
「それは……」
「私が贈ったものだ。間違いない」
 満碧が髪を結う際に使っていた紐の端についていた飾りが落ちていた。薄青に色づいた硝子を千鳥の形に加工したそれは、汀夏が贈ったものである。涼しく見えるものが夏にはふさわしいだろうと思い、満碧に買い与えたものが、なぜここ――松白家に続く道に落ちているのか。
 満碧がここを通った以外に、考えられる理由はなかった。やはり満碧は何らかの理由で松白家にいて、それを知っていて彼らは汀夏を追い返したのだろう。ふつふつと腹の底から怒りがこみあげてきた。
「旦那様?」
「……多少汚い手を使ってでも取り戻す。使える手はすべて使う」
 汀夏のエゴではある。汀夏のためを思い、本気でぶつかり、解呪の方法を探ってくれた満碧に支えられない日々を考えることは到底できそうになかった。だが、それ以上に菊名橋家に来てからの満碧は、日々少しずつ笑顔を取り戻し、健やかに過ごしていたはずだ。それが生家に戻ったことでどうなってしまうのか――それを考えるだけで汀夏の背中には冷たいものがはしる。
「恩加島」
「はい」
「協力してくれるか」
「ええ、不肖ながら、この恩加島、尽力いたします」
「世話をかける。すまないな」
 謝る汀夏に恩加島は「いえ」と否定をした。
「旦那様にわがままを言われてわたくしは嬉しゅうございますよ。それにわたくしも満碧様がいらした日々が忘れられないのです。これからも、お二人にはご一緒でいらしてほしく思います」
「……うん、そうだな。ありがとう恩加島」
 礼を述べた汀夏に恩加島は満足そうに微笑んで「では、お家に戻りましょうか」と声をかけた。

 翌日。
 汀夏のもとに、松白家から荷物が届いた。よい報せではないことは明白だったが、開封した汀夏は「なんだこれは!」と思いがけず大声を上げてしまい、使用人たちを大いに震え上がらせた。
「旦那様、お声が大きゅうございますよ」
「……っ、ああ、驚かせてすまない」
 恩加島にたしなめられて汀夏は謝罪をした。包みの中には、離縁の書状と、昨日満碧が身に着けていたはずの衣類と装飾品類がすべて入っていた。加えて、汀夏が満碧との婚姻のために、松白家に渡したはずの金子が全額返ってきた。
「これは……」
 離縁状を見るまでもなく、縁を切りたい、という表明以外の何ものでもない、と汀夏が絶句していると、恩加島が離縁状とは別に、一枚の封書を差し出した。宛名も差出人も書かれていない真っ白な封筒である。
「満碧様からのお手紙ではないかと」
「……」
 汀夏は恐る恐るそれを受け取った。罵詈雑言が書きつけられていたらきっと立ち直れない、と思いながら、奮える手で中身を取り出す。
 中の紙には見慣れた満碧の字が並んでいた。少し幼くも見える文字が満碧にとっては恥ずかしかったようだが、汀夏は満碧らしい手跡だと思っている。

『今までお世話になりました。
ずっと親切にしていただき感謝しております。
連絡がこのようなかたちになり、
申し訳ございません。
どうか汀夏様のこれからの日々が、
良好でありますよう陰から祈らせてください。
ますますのご活躍と、
健やかな日々が続くことを願っております
                 満碧』

 簡素な内容に思わず汀夏は首を傾げ、恩加島にも中身を見るように告げた。
「……本当にこれだけだと思うか」
 満碧本人は自分に学がないことを引け目に思っていたようだが、その実、機転が利く。強制的に離縁を進める家の方針をかいくぐるために手紙を書いた可能性がある、と汀夏は考えていた。恩加島も、手紙をためつすがめつ眺めて、首を傾げた。
「そうですねえ……火であぶってみますか? なにか浮き出るかもしれませんよ……あっ」
「どうかしたか?」
「いえ、偶然かもしれませんが、手紙の文章の頭の文字をつなげて読んでいただけませんか」
 言われて汀夏は手紙の冒頭を声に出して読む。
「い、ず、れ、も、ど、り、ま、す……か」
「はい。そう読めますが……これはそうあってほしいとわたくしが思っているからでしょうか」
 恩加島の言葉に汀夏はどうだろう、とつぶやいた。
「おそらく、偶然ではなく、満碧が故意に書いたものだと思うが、その確証がない。なにか、もう一つ、根拠になるような証拠が……」
 そこまで言いかけて汀夏の脳裏にきらり、と閃くものがあった。
「証拠が?」
「あるかもしれない。もう一度、荷をすべて確認する」
 汀夏はそう言って、荷物の中身を一つ一つあらためた。薄物、懐中時計、黒眼鏡、と見ていくが、それは最後まで見つからなかった。
「護符がない」
「護符……と申しますと、あの小さな木札でございますか?」
「ああそうだ。気休めではあるが、守りになればと思って持たせた。あれを見ればすぐに菊名橋家のものであるとわかるはずだ。この荷物に入っていないということは、おそらく満碧が持っている」
 処分されてしまった可能性がまったくないとは言い切れないが、徹底して菊名橋家のものを送り返してきていることから、護符だけ見逃された可能性は低い。
「ではやはり?」
「ああ、この頭文字をつなげて読ませるのは満碧が故意に仕込んだものと考えていいはずだ」
 汀夏の結論に、恩加島は「ようございました」と安心したようにつぶやいた。
「さて、そうとなれば」
 汀夏はそう言って、離縁状を手で二つに裂いた。恩加島もそれを咎めなかった。
「これは無効にさせてもらう」
 汀夏はそう言って、二つになった離縁状を無造作に机の上に放った。離縁状とは対照的に、満碧からの手紙は丁寧に封筒に入れ直し、服とともにもう一度包み直す。
「こちらは?」
「私の部屋に置いてくれるか。少し出てくる」
「かしこまりました」
 慇懃に頭を下げる恩加島を尻目に、汀夏は颯爽と屋敷を出て行った。