徒花にあらず 第一話 - 2/2

 足を踏み入れた王座の間は、これまで通ってきた廊下よりも一層絢爛なつくりになっていた。壁には歴代の王と女王の巨大な肖像画が飾られており、天井からはガラスではなく水晶と思われる装飾品が垂らされている。床に敷かれた毛足の短いラグはつくりこそ重厚だが、さらりとした感触で、足裏に柔らかく馴染んだ。
 王座は床から数段高い場所に置かれており、メルはなるべく目を伏せたまま(ボルク王国では王族を許可なく直視することはタブーなのだというのが、サンドラからの教えだった)王座の真下まで足を運ぶと、膝を折ってこうべを垂れた。
「ニクス帝国より参りました。メル・ヴェベールでございます」
「この度は、はるばるよく来てくれました。面を上げなさい」
 ゆったりとした深い女声が響く。国を統べる王たる威厳に満ちた声だった。
 ボルガ王国女王のシエンナ直々に旅をねぎらわれて、メルは恐縮したが、ゆっくりと顔を上げた。目の前の王座にはよく似た顔の男女が腰かけている。どちらも、燃えるようなバーミリオンの髪に、深い森のようなエメラルドグリーンの瞳がよく映えていた。そのうち女王の方が、メルの顔を見て目を輝かせた。
「そなたの師匠から話は聞いていましたが、話に聞くよりもずうっとすてきではありませんか!」
 先程までの荘厳な態度が嘘のように、王座から飛び降りんばかりの勢いで女王は喜ぶ。その様子にメルはホッと胸をなでおろして返答した。
「わたくしも、陛下にお目にかかることができて光栄です」
 ノエがメルに見せた書状には確かに彼女のサインと王家の紋章が押されていたが、自ら望んでのことか、誰かの提案あってのことかまではわからなかった。しかし、彼女の様子を見る限り、彼女自身がメルを皇太子の配偶者にと確かに望んでくれたのだと推測できた。
 問題は、その横で不機嫌そうに頬杖をついている皇太子の方である。
「ねえ、エイダン。すてきな子ではありませんか? 母は大変気に入りましたよ」
 皇太子――エイダンの方を女王は振り返る。皇太子は態度を変えることなく、口を開いた。
「母上、少し落ち着いてください。一国の女王ともあろう御方がそのようにはしゃがれては我が国の沽券にかかわります」
「お黙りなさい。馴染んだ祖国からわざわざこんな遠方まで呼びつけておいて、歓迎しない方が沽券にかかわるでしょう」
 ぴしゃりと皇太子に言い返して、女王はメルに「気になさらないでね」と声をかけた。そこでやっとメルにも、どうやらこの縁談は女王と師父の間で交わされたものであり、皇太子の意向は反映されていないものらしい、というのが飲み込めた。
(話が違います、師父!)
 話の大きさに気を取られて確認をしなかったのはメル自身だが、責任転嫁せずにはいられない。だが、ここで皇太子の機嫌をさらに損ねてしまえば、メルがこの国にいる理由は木っ端微塵に砕かれてしまう。
 どうしたものか、とメルが焦りながら考えを巡らせていると、パチリ、とエイダンと目が合った。え、とメルが戸惑っているうちに、エイダンは王座から立ち上がり、メルの前に立った。統治者の世継ぎとしての圧倒的なオーラと体躯を前に、メルは自分の身体がすくむ感覚を味わった。じっとメルを見下ろしたまま、エイダンはにわかに口を開いた。
「年は」
「……二十でございます」
 王族に嫁ぐにしては年齢が高いことを咎められるのかとメルは思わず首をすくめたが、エイダンはふん、と鼻を鳴らしただけだった。
「それにしては線が細い。余の伴侶たりえるのか疑問だな」
 その時メルの脳内を天啓のようなひらめきが駆け抜けていった。どのようにしてこの国に残り、生き延びていくか。
「では、その目でお確かめください。期間はいくばく必要でしょうか」
「なに?」
 幸い女王はメルのことを気に入った、と口にした。メルがこの国に滞在すること自体は許可されるだろうと踏んでの賭けだった。
「貴方の伴侶にたる存在だとわたくし自身が証明する、と申し上げました。そのための期間を設けていただきたいのです」
 ともすれば震える膝をぎゅっと手でつかむ。随分高い位置にあるエイダンの目を睨むかのように見つめていると、彼はため息をついた。
「……三月。それ以上はやらぬ」
「感謝いたします」
「感謝などせずともよい。……あとは母上にお任せします」
 メルは深々と頭を下げた。エイダンはそのまま踵を返すと、王座の間から出て行った。メルは無意識のうちに詰めていた息を吐き出した。
「大事ありませんか。お見苦しいところを見せてしまいましたね」
 気づくと、目の前には女王の姿があった。メルは彼女の謝罪にゆるゆると首を横に振った。たった数分対峙していただけだったが、エイダンとの会話でメルはかなり消耗していた。
 だが、女王は感心したように言う。
「しかし、そなたは度胸があって、非常に強い精神の持ち主ですね。あれに意見できるものは宮殿にもなかなかおりませんよ。ますます気に入りました。わたくしとしては、もうこの時点でそなたをあれの伴侶に迎えたいのですけれどもね」
「それは、光栄です……が、この縁談の本当のところをわたくしにも教えていただけませんか。皇太子殿下があのような態度をわたくしにとる理由が知りたいのです」
 メルの言葉に女王は「そうですね」とつぶやいた。
「わたくしの我儘でそなたをこの国に招いた以上は、説明の責任がありますね。ただ、今日はそなたもこの国に着いたばかりで疲れているでしょう? 明日以降ゆっくりお話ししましょうね」
「はい」
 女王はにこり、と微笑んで二回手を鳴らした。すると王座の間の戸が開いて、サンドラが素早くメルのそばにやってきた。彼女はこの部屋に入れないのではなく、許可なく入れないのだな、とぼんやり考える。
「サンドラ、しっかり世話するのですよ。手はず通りになさいね」
「はい、陛下! 心得ております」
 サンドラは失礼します、と言ってメルの手を取ると、女王に深く一礼して王座の間からメルを連れ出した。

「殿下とお会いになられていかがでしたか。その、殿下は先に退室されてしまいましたが……」
 再び廊下を歩きながらサンドラは恐る恐るメルに訊ねる。
「そうだな……殿下とちょっとした賭けのようなものをすることになった」
「賭け、でございますか」
「俺が殿下の配偶者にふさわしいかどうか、三月かけて証明できれば、この国に残る。できなければ……どうなるかはわからない」
 メルの言葉を聞いて、サンドラは力強く自らの胸を叩いた。
「できますとも! 不肖ながらわたくしが全力でお支えしますので」
「ああ、ありがとう」
 女王はまずメルに味方してくれると思われたが、四六時中そばにいるわけではない。侍女のサンドラが強力的であることはメルにとって非常に心強かった。
「ではまず、メル様のお部屋からご案内しますね。長旅でお疲れでしょうから、この国の疲労取りによく効く温泉で湯あみの準備をしておりますよ」
「それは、楽しみだ」
 ニクス帝国では湯に浸かる習慣はなかった。一体どのようなものが準備されているのか、とメルは心を弾ませた。

「はぁ……これが」
 自室として宛がわれた部屋は広く、祖国の自室とは比べ物にならない広さだった。なにより、外気が入ってくる場所にある風呂場は磨き上げられた石でつくられており、湯船は大人が五人は入れそうな広さがあった。湯船の中にはたっぷりと湯がはられており、メルが身体を浸けると、ほのかに草のような香りがした。こわばっていた身体がほぐれるような感覚に、メルは小さく息を吐き出した。
「はい。いかがでしょうか。あちらでは、湯あみの習慣はないと聞いていたので少しぬるめの温度にいたしましたが」
「ちょうどいい。ありがとうサンドラ。……しかし、湯あみというのは気候がよければよいものだな」
 ニクス帝国においては、一年のほとんどが氷と雪に閉ざされるため、湯あみをしようとすれども、すぐに湯は冷め、かえって風邪をひく原因になってしまう。しかし、この地においては、汗を洗い流し、身体を清潔に保つために欠かせないものだという。
「ゆっくりお寛ぎください。わたくしはあちらで床を整えてまいります」
「ああ」
 サンドラはそう言って浴室を出て行った。外気を程よく浴びながら、メルは今日あったことを思い返す。
(……殿下はああ仰っていたが、どこか引っかかる)
 メルを試すような発言も、メルを侮ってのことではなく、何かその後ろに隠された感情があるような気がしてならない。
(これは、元占術士としての勘だからあてにはならないが)
 何はともあれ、明日以降再び女王と話をするまでは未確定のことばかりである。やれやれ、と小さく呟いて、メルは湯船の湯を手ですくってぱしゃり、と顔にかけた。