第一話 真珠と燐葉石 - 1/4

 ――この決めごとからは一生逃げられることができないのだと思っていた。

 毎日同じことの繰り返しだった。
「浄化の儀を執り行います松白御園(まつしろみその)が長男、満碧(まお)でございます」
 清めの香がたかれた祓殿で、満碧は畳に手をついて深く頭を下げた。頭につけた花簪がしゃらり、と音を立てて揺れる。
 下げた頭を再び上げると、満碧の目には怯えたような面持ちの母娘が映る。傷つかない、とは言わないが、もうすっかり慣れきってしまった視線だった。無理もないな、と満碧は自らの容姿を思う。
 真珠色の髪に燐葉石の瞳。およそこの国に住まう人間とはかけ離れた容姿は、見る人の心に恐怖や崇拝といった強い感情を抱かせてしまう。元来の容姿に加えて、儀式を執り行う満碧が身に着けているのは白衣と白袴であり、より人間離れした見た目になってしまう。
(……好きでこの容姿に生まれたわけではないけれど)
 そう思いながら、満碧はいつも通りに浄化の儀の手順を進めていった。

 帝都の鬼門に居を構える松白家は代々女性が跡継ぎになる神職の家系であり、霊力を有している。その家に生まれた長子である満碧は、通常であれば他の女姉妹を手助けする立場にあるはずだった。しかし、生まれた満碧を見て親族一同顔色を変えたというのだから笑えない。
 真珠色の髪に燐葉石の瞳。
 この容姿は松白家の中でも強力な〝浄めの力〟――人間の業や煩悩、ひいては人智を超えた呪いまでも鎮め、浄める力である――を所持している女児にしか現れないものであり、男児にその姿が現れたのは前例がないという。それがあまりに不審であるとされ、婿養子だった満碧の父は満碧が生まれてすぐに松白家から離縁されている。加えて満碧の下に生まれた三人の妹は、だれ一人としてその見た目を持つことはなかった。そして、それを苦にした妹たちの父は自らこの世を去ることを選んだ。今では誰にも顧みられることがなく、いなかったものとして扱われている。
『どうして私たちではなくお兄様なんかに〝浄めの力〟が宿ったのかしら』
 二つ下の妹・トモ子に冷たく言われたのはいつのころだったかもう定かではない。母・御園が嘆くのを幼い頃から耳にした三人の妹たちが、満碧を蔑むようになるまでそう時間はかからなかった。妹たちも決して弱くはない霊力を持って生まれたはずだが、容姿に現れるほどではない。
 要するに彼女たちにとっての満碧の存在は煙たいが、邪険にしすぎては家の利益にならないというものである。
(おれはこの先どうなるんだろう)
 この見た目の男の妻になろうという女はきっと現れない。家を継ぐのは二つ下の妹と決まっている。このまま一生この家で飼殺し状態であることはほぼ確定していると言っても過言ではなかった。

 浄めの儀を終えた満碧が、儀式用の衣装から普段着に着替えて祓殿を出ると、使用人の一人が満碧を呼びにやってきた。
「御当主さまがお呼びでございます」
「……母上が?」
「ええ、至急とのことでございます」
 至急、という建前で呼びつけられることは日常的にあった。大抵は新しく祈祷の依頼が入ったというものであるが、今日はなんだかいつもと違う感覚がした。
「失礼いたします。満碧です」
 文明開化の世に合わせ、洋風に改装された客間のドア越しに満碧は声をかける。入室の許可が出て室内に入ると、母以外に三人の妹、そしてトモ子の婚約者である正(ただし)もそろっていた。
(あまりいい話ではないだろうな……)
 満碧のこういう時の勘はよく当たる。部屋の入口に一番近い席に腰を下ろすと、満碧は静かに母の言葉を待った。母は室内を見渡すと、おもむろに口を開いた。
「もうじきトモ子が十五になりますから、あたくしがこの家のこれからのことと縁談を決めました。今日はそれをおまえたちに聞いてもらいます」
 縁談、という言葉を満碧はぼんやりしたまま聞いた。トモ子の夫になる男は決まっているとなると、さらに下の妹たちの話だろう。
「松白家は代々女が当主を継ぐものです。次の当主はトモ子ですので、正さんはよくよく支えてやってくださいな」
 母の言葉に正は首がもげる勢いでうなずいた。気の強いトモ子とは対照的に、正はおっとりとしている。正反対な性格の二人だが、上手に付き合っているようだった。
「トモ子と正さんの結婚の日取りも決まりました。次期当主たるトモ子が伴侶を得る前に、満碧、おまえには嫁いでもらいます」
 続いた言葉に満碧は耳を疑った。まさかここで自分の名が出るとは思ってもみなかった。
「……おれに縁談があるのですか」
 訊ね返した満碧に母は重々しくうなずいた。
「ええ、菊名橋家の汀夏様との縁談です。悪い話ではありませんよ」
 世間に疎い自覚のある満碧であっても、菊名橋という家の名前は耳にしたことがあった。代々神祇省(霊的なものを祀り、鎮めるすべての役割を担う官公庁)勤めの家系で、現在の当主である菊名橋汀夏は、帝国大学法学部を主席で卒業したエリート中のエリートだと評判だ。
 なおこの国では、性別を問わない婚礼は認められているものの、国家の重鎮にもなりうる名家は男女間の婚礼を推奨しているため、なぜ自分に、と満碧はいぶかしんだ。
「あら、大変よいお話ではなくて? お兄様にはもったいないですわね」
 くすくすと笑うトモ子を正が「トモちゃん、お義兄さん相手にやめなよ」と軽くたしなめたが、その声はあまりにトモ子に甘かった。
「松白家としてもおまえの力は貴重ですけどね、先方がどうしてもと言うものですから。荷物がまとまり次第、すぐ向かいなさい」
 母がちらり、と満碧から視線をそらしたことから察する。おそらく、とんでもない額の金を積まれたのだろうと。そして、今日以降、満碧に祈祷の予定が組まれていなかった理由も理解できてしまった。
(金で売られるのか、おれは)
 これでは奴隷も同然だ、と思いながら満碧は母の言葉に「わかりました」と返事をした。