3. The silence is like the calm before the storm - 2/3

「エルヴィス、入るぞ」
 現在、通常の来客はエラによって扉の前で追い返されているが、オーエンは特別である。声をかけて部屋に入ったが、部屋の主は机につっぷして眠っていた。なんだかこの光景を見るのも久しぶりだな、と思いながらオーエンはエルヴィスの肩を揺さぶった。
「おい、ここで寝るなって何回言わせるんだ。寝るならちゃんと寝室に行け」
「……なんでおまえがここにいる……」
 本格的に寝入っていたのか、眠たそうな声にオーエンは苦笑する。
「差し入れついでに様子を見に来た。好きだろ、これ」
 オーエンが厨房で保存されていたグノーを差し出すと、エルヴィスはパッと顔を輝かせた。本当ならばきちんとした食事を摂らせたいところだが、拒否されても困ると考えた末の苦肉の策だ。
 エラが淹れた茶(今日はリラックス効果が高いと言われるハーブを煮出したものだった)に口をつけつつ、オーエンは先ほど王が話した側室のオメガのことを簡単にエルヴィスに話した。
「……あの世間知らずのボンクラめ。オメガを見る目がなさすぎる。出自のはっきりしないものに国のことを話すなど危機感も薄すぎるだろう」
 オーエンの話を聞き終わったあと、地を這うような声でエルヴィスが言う。あの場では言わず王から話を聞くことに専念したが、正直なところオーエンも同意見だった。
「今回ばかりは俺も同意見だ。あんな偶然があるとは思えない」
「同じ環境で育ったはずなのに、この差はなんだろうな……」
 乳兄弟、というくらいには親しく育った彼らだが、価値観や考え方はまったく違う。エルヴィスは自分の番が聡いことに内心で深く感謝した。
「ま、俺は近衛という立場だからな。要人警護を叩きこまれた俺と陛下を比べるのがそもそも間違いだ」
「そうかもしれないが」
 しかし、あの王がオーエンと同じ様に近衛兵としてのあれこれを叩きこまれても、このようにはならないだろうという確信がエルヴィスにはあった。この話は一旦終わりだ、と言ってオーエンもグノーをつまんだ。ドライフルーツが程よく練りこまれていて、疲れた脳に染みわたる。
 しばらくサクサクと音を立てながらグノーをつまんでいると、不意にエルヴィスが口を開いた。
「それで、他にわたしに話しておきたいことがあるのでは?」
「どうしてわかった?」
 うっかりグノーを喉に詰まらせそうになりながらオーエンは問いかけた。エルヴィスは首を傾げたのち、
「勘だ」
 と答えた。本当は態度や仕草に出ているのかもしれないが、それを教えることはしないエルヴィスである。
「お前、王位継承権を破棄したときのこと覚えてるか?」
 アーロム帝国の王室は、性別によらず王族であれば誰しもが継承権を有し、継承順位は直系に近いほど高い。だが、高いからといって必ずしも王になる必要はなく、本人の素質と希望が優先される。
なお現国王には現時点で子がいないため、万が一のときには彼の兄弟姉妹が即位することになっていた。
「? 一応覚えているが、思い出すと胸糞が悪くなるからできれば忘れておきたい。陛下と話になったのか?」
 心底嫌そうな顔をしたエルヴィスが訊ねた。
「いや、そういうわけじゃない。俺がただ気になった。今日久しぶりに陛下と話して、あー……その、随分お前へのあたりが強かったから」
 エルヴィスの王位継承権破棄の騒動によって、二人の関係は表面的なものに変化した、とオーエンは認識していた。ただそのきっかけがどうしても思い出せない。
「わたしへのあたりが強いのは今に始まったことではないだろう。あいつは叔父、つまりわたしの父にかなり懐いていたから、父に対する宮廷内での理不尽な扱いを受ける原因になったわたしと母を嫌っていた。大人になってその誤解も解けたはずだが、一度抱いた嫌悪感はそう簡単には消えないだろう?」
 静かに言うエルヴィスの話をオーエンは黙って聞いていた。人の感情は簡単には変わらない。それはオーエンにも理解できる。
「権利を破棄したときは……母のことで随分いろいろなことを言われた。わたしもまだ子供と言っていい年齢だったから、つい我慢がきかなくなった。今でも母のことを考えると、やるせない気持ちになる」
 ふぅ、とエルヴィスは小さく息を吐いた。エルヴィスが権利を放棄したのはオーエンと番ってすぐ――エルヴィスが十六歳のときだった。その騒動が起きたすぐ後にエルヴィスに謝罪をされた記憶が蘇った。
「あのとき、お前は俺に謝ったよな」
「……あのときは、おまえがどういうつもりでわたしと番ったのかがわからなかったからだ。万が一のときの王座の横が魅力的だったのならば申し訳ないと思った」
「初耳だ。俺はそんながめついやつだと思われていたのか」
「初めて言った。今考えると随分おまえに失礼な話だ、改めて謝罪する」
 そう言ってエルヴィスは微笑んだ。二人の手元のティーカップの中身は随分少なくなっていた。そろそろ休憩も終わる時間だ。
「オーエン」
「ん?」
「陛下が側室に話したことは、既に隣国に伝わっていると考えるべきだ。戦に向けて準備が必要だとしても、おそらく三ヶ月以内に仕掛けられる可能性が高い」
 エルヴィスの濃いオリーブグリーンの目がオーエンを捉えた。
「……それがお前の見立てなんだな、エルヴィス」
「そうだ」
「わかった。覚悟を決めておく」
 オーエンの言葉にエルヴィスはうなずいた。
「じゃあ、また来る」
「来なくていい。作業の手が止まる」
「今日はそもそも居眠りしてただろうが」
 オーエンの言葉にエルヴィスは言葉を詰まらせた。珍しいその様子にオーエンは肩を震わせながら部屋をあとにした。