最終話 Good-bye to Brilliant white days -Closing- - 2/4

 
 
 時間は少し戻る。
 徳永を見舞った翌日の夕方、松本は第三部隊執務室にある自分の机で考えていた。夕勤の隊員たちは、集中している松本を邪魔しないようにと気遣って遠巻きにして、物珍しそうに松本を見ていく。普段であれば松本はすでに帰宅している時間だったが、今日は浦志を先に帰らせて松本が残っていた。
 今回、隊員が負傷したことで気が立っていたこともあり、〈中央議会所〉でも啖呵を切ったが、正直なところ汪幽教の中核である二人を追う手立てはなかった。一つあるとすれば、六条院にヒントをもらうことだが、今日そのカードは使えない。
(さて、どうしたものかなあ……)
 なおこの時点で松本の中に、誰かを頼るという選択肢は消えている。頼ってもいいのだが、頼る分だけその誰かを危険にさらすリスクも高くなってしまう。随分悩んだ挙げ句、松本が出した結論だった。
(あの二人が行きそうな場所で、人目につきにくく、俺たち追手からも逃れられそうな場所……)
 そこまで考えた松本はふと彼ら二人の経歴を思い返す。
 〈世界を滅ぼす〉大戦前の旧汪幽教幹部の末息子の子どもである彼らは、幼い頃から旧汪幽教の話を聞いて育った。だからこそ彼らは松本の存在を知っていたのであり、あえて汪幽教入信の勧誘をかけようとしたのだと推測できる。
 そして、彼らが『汪幽教本部に残されていた手記を読んだ』と発言していたことも思い出した。
「……もしかして、」
 汪幽教本部、というのを〈世界を滅ぼす〉大戦後の新生汪幽教の本部だと思っていたが、その前提が異なっている可能性が浮かぶ。
「【地下街】にある旧汪幽教本部のことか……?」
 もし松本の推測が正しければ、今の彼らもおそらくそこにいる。【地下街】は出入りこそ厳しく管理されているが、一度出入りの許可を得たものがその後も行き来することは珍しくない。
 今の松本も【地下街】の出入り権限を持つ一人だ。
(やれやれ、行ってみるか)
 【地下街】は昼夜問わず暗い場所であり、今から向かったとしてもあとから向かったとしても状況に変わりはない。
 周囲にいる隊員には「俺も帰るよ」と言い、腕章と端末を置いて立ち上がる。
 お疲れさまでした、という声を背中に受けて、松本は〈アンダーライン〉本部を後にした。
 
 【地下街】へと下りるためのゲートは【中枢】地区の目立たない場所にあり、登録された人間の生体情報と照合することで入場が可能になる。定員数わずか数名のエレベーターに乗って松本も【地下街】へと下りていく。
 下りながら、彼らがなぜ【地下街】と地上を行き来する資格を得ているかを松本は考える。正確な理由はわからないが、一つだけ可能性がある、と松本は推測する。
(おそらく、彼らは【地下街】で生まれたが、親によって地上と行き来できるようにされたはずだ)
 生まれた子を教育機関に通わせるためにも地上と行き来はできなければならない。本来であれば養育者を別に定めて地上に定住させる処置がとられるはずだが、彼らのバックボーンが特殊過ぎて養育者の選定ができなかったのだろう。
 エレベーターのドアが開いて【地下街】の入口がいよいよ開く。深く閉ざされ、時間が止まった遺跡のような場所。相変わらず饐えたにおいがするその場所に松本は眉間にしわを寄せ、マスクを装着した。
(念のため持ってきておいてよかった)
 少しずつではあるが、身体の機能も衰えてきている。だが、それでは防ぎきれないほどの悪臭だった。
 自分の昔の記憶をたどりながら歩く。
 廃墟のような建物とそこに散らばる人骨や汚物を無視する。時折、生きているのか死んでいるのかわからない骨と皮のような人間が呻く声が聞こえたが、それも全部無視する。
「ここだ……」
 あたり一面廃墟と言っても過言ではない【地下街】において、その建物は異常なほど立派だった。今でこそ小さな家のような施設に押し込められているが、以前の汪幽教は礼拝堂も併せ持つ大きな建物だった。
 礼拝堂の正面のドアを確かめると、ドアは簡単に開いた。蝶番がきしむ音がやけに大きく響き、気づかれるのではないかと松本は肝を冷やした。
「……そう簡単に捕まるわけないか」
 足元に転がっていた木片を拾い上げてもてあそびながら、松本はつぶやく。その瞬間、ふとイヤな予感がして、慌てて松本はその場から飛びのいた。
「さすが、反射神経も素晴らしいですね」
 拍手とともに現れたのは潮だった。
 松本が先程まで立っていた場所には人の頭が簡単につぶれようかという大きさの石が落ちていた。頭上を見上げると石を落とした犯人・満と目が合った。
「どうしてここが?」
「俺が昔【地下街】にいたことはわかってるだろうし、お前たちがここを重要視しているのはこれまでの会話から推測できた」
「わかる人にはわかるようにしたつもりでしたけど、やはりあなたにはわかっていただけましたね、■■さん」
 潮は松本に聞き取れない言葉を発した。その■■という言葉が松本を指すのはわかるが、脳の深いところで理解を拒んでいるような感覚だった。その様子を見た潮がにこり、と笑った。
「おや、■■という名称に聞き覚えはないですか」
 松本は答えない。彼が発した言葉はおそらく、松本が検体番号三十二とされる前の名前だった。松本自身も記憶しておらず、八条院家にも残っていないそれをなぜ彼らが知っているのか。
「汪幽教は戦前、いろんなところに深く入り込んでいたんですよ。もちろん例の博士の研究グループにもいました。情報を集めるのは本当に大事ですからね。その中であなたやあなた以外のこともきちんと記録が残っています」
「……不愉快だな。昔の話はしたくない」
「困りましたね、僕たちはなるべく正確にあなたのことをお呼びしたいんですが」
 建物の上から下りてきた満に声をかけられ、松本はギョッとして振り向いた。そして、満の言葉に反論する。
「正確に呼ぶっていうなら、検体番号三十二の方がよっぽど正確だ。それとも本人の意思に背いてでも正確さを貫く方が優先か? すべての人に幸福な生涯を、の理念に反するだろ」
「わかりました。あなたのことはそのまま今お使いの名前でお呼びしましょう」
 前置きが終わったところで、再び潮が口を開いた。
「松本さんがここに来てくれてよかった。もう一度話がしたかったんです」
「話?」
 松本側からはない、と切ってしまってもよかった。〈ヤシヲ〉の一部地区並びに機能を混乱させ、今後も危険性が注視される二人の身柄は拘束する必要がある。話を聞かずに制圧しても何ら問題はないが、ひとまず様子を見ることにした。一般人二人であれば松本ひとりで容易に制することができる。
「僕ら――正確には僕らを含めた汪幽教ですが、大戦前の政府にいいようにされて、今でもその制限を受けている。現に今、あなたはその制限を破っている状況でしょう」
「その制限、撤廃させたくないですか?」
 芥屋兄弟はよく似た顔で松本にそう問いかけた。今松本にかかっている制限というのは〝〈アンダーライン〉統制下から外れてはならない〟(≒単独行動をしてはならない)というものだ。その制限を松本は何年も受け入れてきた。それ以外の自由が保障されるならば、多少の制限は苦にならなかった。
「いや、お前たちのご期待に沿えなくて悪いが、俺は今の制限を撤廃させる気はない。不満はないんでな」
「意外に欲のない方ですね」
 目を丸くする満に松本は答える。
「欲はある。ただ、お前たちの想定とは違うってだけだ。それと、今度は俺から質問」
「なんでしょう」
「お前たちは復讐がしたかったと俺たちに言った。でも、本当に汪幽教代表として、復讐がしたかったのか――これが俺の訊きたいこと」
 世の中ではなく、汪幽教に対しても一泡吹かせてやりたかったのではないか。
 これが松本の言葉の裏にある推論だった。
 二人は松本の問いに答えず黙りこくった。いくら松本の目がいいといえど、暗い建物の中では、性能は落ちる。黙ってしまった二人は闇に溶け込んでしまい、存在を感じ取りにくかった。
「あなたは、〈世界を滅ぼす〉大戦後、汪幽教幹部の子どもである二世、そして三世にあたる僕たちがどのような扱いを受けたかご存じですか」
 トーンの落ちた暗い声に松本は、やはりここが核だったか、と思いつつ答える。
「いや。ただロクなもんじゃない、ってことは想像がつく」
「……想像よりもひどいとは思いますけどね。詳しく語っても仕方がないので、言いませんが、本当にロクな扱いは受けませんでした。職に就くこともままならない。仕方がないので小さくなったこの団体を細々と運営することにしました」
 二人はそろって自嘲するような笑い声をこぼした。
「いつか解体してやろうと思っていたんですが、小さくなったこの団体にも守るべき信者がいましたので、派手に壊すわけにはいきませんでした。搦め手というか、真綿で首を絞めるようなやり方に変えたつもりだったんですが、治安維持部隊は僕らの想像以上に優秀でしたね」
「そういうことに敏感に反応するようにしっかり躾けられてんだよ、俺たちは。それに何人も巻き込んでおいて知らぬ存ぜぬは通らないだろ。昨日から何人が死んだと思ってるんだ」
 松本の言葉に二人は「でも、それを僕らがやったという証拠は出てきませんよ」と静かに言って両手を挙げた。
「降参です」
 以降はあなたの言うことに従います、と言った二人に松本は「んじゃ、悪いが、拘束させてもらうぞ」と言って、二つ持参していた手錠をかけた。
「最後にもう一つ」
「なんでしょう」
「戦前の汪幽教が残した〝記録〟は今どこにある?」
 松本の問いかけに潮の方が、おや、と意外そうな顔をした。
「ご自身のことに興味はないのかと思っていましたが」
「俺自身はないよ。ただ、まあ、気にする人がいるから」
「ああ、八条院家の方ですか。記録は現在の汪幽教本部にありますよ。少しずつこちらから持って出たんです」
 涙ぐましい努力でしょう、と言う潮に松本は「そうだな」と短く肯定した。
「結果として僕たちが捕まれば、おそらく悲願の汪幽教解体は叶いますし、その後の資料の扱いは任せます。あなた自身にも関わることですから、あなたが決めればいい」
「それは破格の扱いだな……どうも」
 それ以上芥屋兄弟は言葉を発することはなかった。松本はようやく肩の力を抜き、地上にコンタクトを取るために唯一持ってきた無線機のスイッチを入れた。
「――志登さん、聞こえる?」