第二話 Don’t miss the imposter! - 4/6

 翌朝、出勤してきた梶は、執務室に漂う珈琲の香りに気がついた。
「おはようございます」
「おはよう」
 既に出勤していた六条院と、隊舎で一晩をすごした松本から挨拶が返ってきた。その光景に懐かしさを覚える。なお、本日の東風は私用で有休を取得している。忙しいときに申し訳ないと恐縮していたが、取れるときに取らなければ休みが取れずに溜まっていくのがこの組織だ。
「なんか、懐かしいっすね、この光景」
「そうだな。俺が支部に移ってからほとんど顔出してないうちに、仮眠室がキレイになってて驚いた」
 松本の感想に梶が説明をする。
「きれいになったのは眞島副隊長の就任に併せてっすね。眞島副隊長は男性ですけど、やはり隊長・副隊長を同じ部屋で仮眠を取らせるのはよくないって」
「ああ、そういうことか。そりゃそうだ」
 というか今まで分割を思いついていなかったのか、と松本は思った。その考えを読んだように六条院が言う。
「これまでも、女性副隊長が就任するタイミングで第二部隊、第四部隊については改修されていた。ただ、一度に改修をする予算がないゆえ、必要になったら改修することになっている。第一部隊はまだ共用の部屋を使っている」
「……一度にやった方が安いんじゃないんですか?」
「自動運転車の導入に予算を取られたと櫻井が嘆いていたな」
 現在は第三部隊の日勤隊員から総務に異動して隊員たち全体の世話を焼くようになった櫻井は、建物の増改築にも関わっている。元々男性隊員が多い組織だが、女性比率が高まっている今、隊員たち皆に不便を強いないようにと増改築費用を取るべく奮闘したらしいが、上手くいかなかったようだ。
「隊舎も大事ですけど、仕事道具の自動車も大事ですし、どちらが優先と決められることじゃないですね」
「まったくだ。自動運転車導入の方にだれか口のうまい人間がいたのだろう」
 次に何かあれば少し口添えしてやるか、と六条院は小声で付け加えた。その内容を聞きながら、こういうところが部隊を離れた隊員たちからも慕われる部分だな、と松本は思った。
「櫻井さんのところにも挨拶した方がいいかな」
「多分、今行ったら『今度は何したんですか』ってめちゃくちゃ怒られると思うんで全部解決してからがいいと思うっす」
「やっぱり? 俺もそう思う」
「……わたしもそう思う。要らぬ火の粉をまかずともよい」
 誰しも櫻井には怒られたくないのだ、と全員の意見が一致したところで、〈アンダーライン〉第三部隊の執務室のドアがノックと共に勢いよく開いた。
「おはようございます!」
 三人がドアの方を振り向くと、目の下に盛大なクマをつくった花江だった。その見た目に反してかなり元気よい挨拶に一同は徹夜をしたのだと検討をつけた。
「おはよう。徹夜明け?」
「おかげさまで」
 コーヒーください、と言って花江は我が物顔で眞島の仕事椅子に腰かけた。普段は甘党の彼女が珈琲をほしがるのは徹夜明けだと相場が決まっている。松本は珈琲サーバーからカップに移して、差し出した。
「……にがい」
「そりゃ珈琲だからね」
 俺は飲めないけど、と言いながら松本は、勝手知ったる様子で給湯室のおやつ棚を開けて、中にあったクッキーを取り出した。
「糖分補給にどうぞ」
「ありがとうございます」
 花江は松本から受け取ったクッキーを珈琲で流し込むと「昨日の電話の解析をしていたんですが、」と話し始めた。
「発信元は公衆電話で、場所は【中枢】地区の西でした。公衆電話の位置も特定できて、監視カメラ映像も確認しましたがやはり個人の特定には至りませんでした」
「そうであろうな。これで特定されるような人間が、何年も捕まらずにいたら不思議だ」
「はい。ですので、せっかく改造した松本副隊長の端末もあまり役に立つことがなさそうです。プリペイドでも何かしらの端末を使っていたら契約店や購入店で訊ける情報はあったんですが」
 申し訳なさそうに言う彼女に松本は首を横に振った。六条院も言う通り、これで特定に至れる人間であれば何年も野放しにされていない。
「それと、別件でわかったことがあったので、ついでに情報をお持ちしたんですが」
 花江はカップに残っていた珈琲を飲みほしたのち、顔をしかめながら言った。
「例のデジタル強盗の被害に遭った富裕層ですが、今回の被害の調査とともに脱税が明らかになりました。どこでどう調べたのかはわかりませんが、被害額は彼らが収めていなかった金額とぴったりあっていました。延滞した分の金額は入っていませんでしたけど」
「なるほど。脱税していた金額であれば盗んでも被害を訴えられないと踏んだのか」
「そうです。でも、実際調べられちゃったので今後どうなるかわかりませんが。少なくとも、被害に遭った富裕層の人たちは盗られたのと同じくらいの金額を今度は自ら払う必要があるので、少し気の毒ですね」
 花江の感想に梶が「最初から納めてねえのが悪いんすよね?」と首を傾げたが、花江には聞こなかったようだ。
「私からの情報は以上です。あとは局の別の人間に引き継いでいるので、用があればそちらにお願いしますね」
 花江はぐっと背のびをすると、眠たそうに目を擦って「帰ります」と言った。
「お疲れ様。気をつけて帰ってね」
「はい。今朝はモモ子ちゃんが迎えに来てくれるんで、多分大丈夫です」
「それならよかった。水野さんにもよろしく」
 花江のパートナーである水野モモ子は見た目こそさっぱりとした淡白な女性だが、その実こまやかに花江の仕事をサポートしてくれる優秀なパートナーだ。花江も彼女のことを溺愛しており、端末の写真フォルダはいつも彼女の写真にあふれている。
「今日は帰ったらモモ子ちゃんのチョコレートケーキが待ってるんですよ。楽しみだなあ」
 花江はカップを松本に押し付けると「お疲れさまでした、おやすみなさあい」と言って第三部隊の執務室を出て行った。彼女が出て行った執務室はしん、と静まる。
「嵐の様だったな」
「徹夜明けの花江さんはいつもああでしたよ。変わってません」
 六条院の感想に松本が返事をする。普段の彼女はおっとりとしたマイペースなしゃべり方をするが、徹夜明けはややトーンが高く、早口で喋ることが多かった。いわゆるナチュラル・ハイ状態である。
「僕、花江さんのパートナーのお名前初めて聞きました」
「あ、そうか。多分そのうち何が何でも写真見せられるから、ちゃんと褒め言葉を用意しておいた方がいい」
 松本の横で六条院も首を縦に振った。二人とも「もっとちゃんと褒めてくださいよ!」と過去に花江に怒られている。
「? ちょっとわかってないっすけど、わかりました」
 梶の返事に松本は「絶対だぞ」と念を押した。