3. The silence is like the calm before the storm - 1/3

 エルヴィスが「しばらく開発に没頭する」と言ってから月が二回満ち欠けした。その間、邪魔にならないように週二~三回ほど生存確認をするにとどめていたオーエンだったが、最近はそれも短く済まされるようになってしまった。正直、暇を持て余している。そんなオーエンに暇ならマーランガ(帝国将棋とも呼ばれる盤上遊戯)の相手をしないか、と声をかけたのは現国王だった。
「俺ではなく、エレノア様かオスカー様にお声がけされればよろしいのでは?」
 時間を持て余しているが、王の遊戯の相手をするような気分ではなかったため、断る理由を探そうして問いかけたが、王には首を横に振られてしまった。
「エレノアは数手先くらいまでなら余の手が『視』えてしまうゆえ、本人がやりたがらぬ。オスカーにはルールを教えたが、すでに余の腕を追い抜いてしまった」
「さようでしたか」
 要するに自分と互角に戦える程度の腕前であるオーエンがいい、という指名である。指名されてしまったからには、王とオメガの側室の近況を聞きがてら相手をするか、とオーエンは腹を決めた。

「考え事か?」
 盤上の駒を動かしながら王が訊ねる。あ、とオーエンが思う間もなく、王の手によってオーエンの持ち駒が取り上げられた。
「手元がおろそかではないか。そちらしくない場に駒を置いたものよな」
「おっしゃる通りで……」
 確かに普段のオーエンであれば決して取らないような悪手であった。
「ふむ。では上の空、というのが正しいか。どうせ気がかりなのは伴侶のことであろう?」
「否定はしません」
 コツ、と小さな音を立ててオーエンは盤上の駒を動かした。
「最近何やら熱中しているものがあると耳にしたが?」
「さあ、俺はあいつが没頭するものについて全然詳しくありませんし、あいつも話そうとはしないので知りませんよ」
 前半は本当のことであり、後半は嘘である。エルヴィスが何を目的に研究室にこもっているかはオーエンの知るところだが、今の進捗やこれからエルヴィスが具体的に何を試しているか自体は知らない。
「ま、それにしても、そちとあれは存外長く続いている。変わり者のあれを相手にできるそちも物好きよの」
 オーエンは王からの皮肉か褒め言葉か判断のつかない言葉をやり過ごし、
「最初はともかく、長く過ごせばいいところも見えてきますよ」
 と答えた。
 王とエルヴィスは従兄弟という関係だが、仲はあまり良くなく、それはオーエンも知るところだった。エルヴィスは王が何を言おうと歯牙にもかけず放っているが、過去に一度だけ、エルヴィスが堪忍袋の緒を切らしたことがあった。そのとき、売り言葉に買い言葉で「王位継承権なぞ捨ててやる」とエルヴィスが言い放ったために、彼は王位継承権を放棄したことにされてしまった。
この二人のパワーバランスがなんとか保たれているのは、エルヴィスの方が先に生まれたという一点のみによる。帝国の道徳教育では先達を敬うべきだと謳っており、それに王である彼も従っていた。
「そういうものか」
「そうです。ルカ様だって、エレノア様のことをお嫌いにはならないでしょう」
 オーエンはそう言って王の持ち駒を一つ取り上げた。王は大きく息を吐いて、
「嫌いにはならぬな」
 と答えた。オーエンはその答えを聞いてほっと胸をなでおろした。エレノアのことを嫌って側室を増やしたのであれば諫言の一つでも、と思っていたがそうではないことがわかっただけでも僥倖だ。
「最近オスカー様とはどうです? 変わらず仲がよろしいと聞きましたが」
「うむ。変わらずあやつは愛い。手放せぬな。口は聞けぬが、余がこの帝国のことを語ると喜んで目を細めるところが特によい」
 相好を崩す王にオーエンは苦笑した。随分熱を上げている、ということは一目瞭然だ。エルヴィスの薬剤開発にかかる負担が少しでも軽くなればと思って訊ねたが、残念ながらそうなる日は遠かった。
「それは、まあ……良い方を見つけられてよかったです。この国のこと、とは何をお話されたのです?」
「初めは建国の歴史で、最近は産業や技術のことが多い。余の側室であるのだから、帝国のことは知識として得てもらわねば困るであろう」
「……そうですね」
 普通王の側室になる人間は、きちんと教育を受けた良家の子女か、宮廷で育った子どものどちらかであり、王自ら何かを教えたりすることはない。オーエンは思い切って王に訊ねてみた。
「そういえば聞いていませんでしたが、オスカー様とはどちらで出会われたので?」
「うん? 言っていなかったか」
「ええ。ぜひお聞きしたいです」
 未だ入れ上げている状態であれば、聞き出せるだろうと踏んでオーエンは言葉を重ねた。王はやれやれ、と言って話し始めた。
「宮廷の庭にな、迷い込んできたのよ。隣国から行商に来たような身なりであったが、一目で余の運命だとわかった」
「お庭に?」
「塀の一部が老朽化で崩れていてな。そこから入り込んだようだった」
 勝手に宮廷に入り込むのは重罪であるが、王が咎めなかったことで許されたのだろう。塀を直していなかった宮廷の保全係にも問題があるが、残念ながらそこはオーエンが口を出せる組織ではない。
「見つけたのがルカ様でよかったですね」
「うむ。ちょうど余がひとりで散歩をする時間でよかった。おかげで運命を逃さず、余の手の中に入れることができた」
 満足そうに話しをする王を見ながらオーエンは本当に偶然だろうか、と考える。誰か手引きをする者がいなければここまでうまく事が運ばないのではないか。
 考え込んだオーエンを見て、王は次の手を考えていると思ったのか、別の話題を持ち出した。
「余からもそちに一つ訊きたい」
「なんでしょう?」
「あれと番を解除しようとは一度も思わなんだか。余が言うのもどうかと思うが、中々に扱いにくいオメガであろう」
 駒を持つ手に思わず力が入った。駒が金属製であったからよかったものの、市販されている木製の駒であれば間違いなくヒビを入れていた。
 番契約の解除を行うことは可能だが、番う相手がシステム化されている今、解除をするメリットはない。特にオメガの側には、心身の不調やヒート周期の不安定化をきたすためデメリットの方が大きかった。よほど性格が合わず、喧嘩が絶えないなどの事情がない限りは行わないのが普通だ。そして、オーエンはエルヴィスと特別仲がよいとは言えないが、問題なく過ごしてきたと思っている。
そんな耳を疑うようなことを幼少期をともに過ごし、今もこうして時折遊戯に興じる相手から問われるとは思わなかった。こみ上げる怒りを抑えて、オーエンは静かに答えた。
「――一度もありませんよ」
 帝国の制度の一環で決められた相手であり、エルヴィス本人も「おまえが嫌なら番という関係にはならなくてもいい」と言ったが、番になると心を決めたのはオーエン自身だ。最初は家族を持たないエルヴィスへの哀れみもあったが、いつしかそれは消えた。彼の人生を支え、応援したいと本気で思うようになったために、今もこうして番の関係を続けている。
「……ならばよい。すまぬな、少々戯れがすぎたようだ」
「いえ」
 オーエンの口調からその裏に潜む怒りを感じ取ったのか、王は謝罪を口にした。その謝罪を素直に受け取ったのち、オーエンは王側の大将駒の前に自分の持ち駒を置く。
「王手」
 王は盤上を見回し、大将駒の逃げ場がないことを察すると「参った」と両手を上げて降参のポーズを取った。そしていい息抜きになった、と言って王は立ち上がる。オーエンは手元の駒と盤に残っていた駒をまとめて片づけた。
「また付き合うてくれるか」
「お望みとあらば」
 マーランガを一戦して満足した王から解放され、オーエンは王の私室を辞した。一回遊ぶのに時間がかかるマーランガは、時間を持て余していたオーエンにぴったりの遊戯だったが、頭を使う必要があるため普段の仕事は別の意味で消耗する。二戦目は何としても回避したかったオーエンはホッと息を吐いた。遊戯に興じながら話したこともあり、無性にエルヴィスの顔が見たくなったが、訪ねても邪険にされるだけだろうか。
(邪険にされたらそのとき考えればいいか)
 とりあえずなにか片手間につまめるものを土産に持って行こう、と考えてオーエンは厨房に寄ってからエルヴィスの部屋に行くルートへと足を進めた。