第三話 雪消 - 1/4

三、

 翌日。サンドラに買い求めてもらった占い用の月長石は幸い、祖国で使用していたものと同じ様式のものだった。メルと師父が占石(せんせき)と呼んでいたそれは、二十二個の石に古代ジュード文字が彫られており、文字はそれぞれに意味を持つ。一つの文字を解釈して読むこともあれば、二つ以上の文字を組み合わせて読むこともできるという、幅の広い占術に適用できるものだった。
 メルは占石を牛革の袋に入れ、素手でかき混ぜた。
「何を占われるのですか?」
 横で見ていたサンドラが興味津々の様子で訊ねた。メルは集中を切らさないように袋を見つめながらサンドラの質問に答える。
「殿下にお会いする日取りだ。数日中がいいのか、少し間を開けた方がいいのか。それを決めてもらう」
 カチャ、カチャ、と月長石が触れ合う音が部屋に響く。メルは自分の気が済むまで石をかき混ぜると、一つの石を袋の中から取り出した。
「なるほど……」
 取り出した石の意味は〝軍人〟であり、通常は勢いよく進んでよい、という解釈をされる。だが、その意味を簡単に信じることをメル自身が許せなかった。
「何か、気になることがございますか?」
 サンドラに訊ねられてメルは苦笑して首を横に振った。
「いや……これは俺が解釈に自信を持てないだけだな。この石の意味を補助してくれるもう一個の石を選ぶ」
 この解釈でよいのかを確認するため、メルはもう一つ石を選んだ。選んだ石は〝馬〟の意味を持ち――馬にでも乗って早く行け、と言われているような――そんな意味を感じ取ってメルはますます苦笑した。
「こちらは?」
「馬だ。……早く動け、と解釈していい」
 メルの言葉にサンドラは顔を明るくした。サンドラとしても、メルとエイダンの間に交流がないことを心配していたのだろう。
「では、早速動いてよろしいのですね!」
「ああ……いや、それはいいが、まずは殿下のご予定確認からだな」
 このままだと、今日にでも予定を組まれそうだと思ったメルはサンドラを制止する。サンドラは恭しく頭を下げた。
「ところで、メル様」
「なんだ?」
「不躾で申し訳ございませんが……次のヒートはいつごろでしょう?」
 なるべくメルにとって良い環境を整えたいことと、エイダンに謁見する日とヒートが被るのは避けたいだろう、というサンドラの気遣いに、メルは暦を見ながら答える。
「もうひと月は先だ。もともとそこまで重たい方ではないから、あまり心配はいらない」
「そうであれば安心ですが……環境も大きく変わっておりますから、用心に越したことはございませんよ。ベータのわたくしでは完璧に理解できませんが、メル様にご不便がないようにしたいのです」
 サンドラの言うことはもっともであり、メルは「ありがとう」と礼を述べた。
「ところで、俺からも一つ教えてほしいことがある」
「はい」
「これまでに殿下のそばで過ごした、というオメガが、一体どれくらいでどのように衰弱したか、ということがわかるだろうか」
 メルの問いかけにサンドラは逡巡しながら「情報はございます」と答えた。
「わたくし自身がお答えできる、というわけではなく、医官が存じております。医官は口が堅いので、詳細を知ることはできないと思いますが……理由をうかがっても?」
「単純に殿下を納得させるにはどれくらいの期間が必要で、俺にどんな症状が出なければいいのかを知りたかっただけだ」
 メル自身に医術の心得はない。したがってそれぞれのオメガ自体の詳細な情報を得たとしても役に立てられない。おおまかな傾向がつかめたらよい、程度の感覚である。メルの意図を確認したサンドラは安心したように言う。
「そうでしたら、おそらく医官も答えられると思います。早速呼びましょう」
「え、でも、医官も急に呼ばれては迷惑ではないのか」
 さすがにメルのわがままで呼んでもらうのは気が引けた。しかしサンドラは言う。
「大丈夫です。これから呼ぶ医官はオメガだけを専門的に見ていますが、今、王宮にいるオメガはメル様のほかにおりませんから」
 エイダンの体質のこともあり、王宮に勤める人間はアルファもしくはベータに統一されていた。
「そうか、それならば遠慮なく」
「言い忘れましたが、医官自身もオメガの男性ですから、ご安心くださいね」

 数十分後、メルの部屋に一人の男が訊ねてきた。医官であるという言葉通り、彼は目許から下を布で隠していた。意思の強そうなオリーブグリーンの目がメルを見つめる。
「お待たせしました。王宮の医官として勤めておりますが、訳あって名は明かせません。医官とお呼びください。わたしに御用とうかがいましたが、いかがなさいましたか」
 医官が言葉を発した瞬間、メルの頭には彼のこれまでの人生が走馬灯のように流れてきた。たまに起きることであり、普段は気にしないようにしていたが、今回ばかりは事情が違った。燃える街並みと、何者かに手を引かれる医官の後ろ姿が鮮明に見えた。
(……彼は祖国を失って逃げ延びてきたのか)
「? わたしの顔に何か?」
 医官は怪訝そうにメルを見つめた。サンドラは不思議そうにメルと医官を見比べていた。二人に対して、メルは慌てて弁解する。
「いや……その不躾で申し訳ないのですが、あなたがこの国にいて、名を明かせない理由が視えまして……あ、いえ、口にすべきことではありませんでした。すみません、忘れてください」
 メルの言葉に医官は驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかくほほ笑んだ。
「わたしの方こそ驚きました。この国にも魔術の心得がある方はいらっしゃいますが、星読みの力をお持ちの方がいらっしゃるとは。わたしの友にもあなたのような力を持つものがおりましたよ」
 なんだか懐かしくなりました、という医官にメルはホッとした。つい口を滑らせてしまったが、他人の事情が見えても口を出すなと口酸っぱく言っていた師父の言葉が脳裏に蘇る。
「では、本題に入りましょう。先に彼女からも聞きましたが、これまでに皇太子殿下のそばにいたオメガの体調について大まかな傾向を知りたいということですね」
「はい」
「まず、あなたもご存じだとは思いますが、オメガの体調というのは人それぞれであり、一概にこうであるとは言えません。実際にわたしの手元にある情報も……個人の差が非常に大きいため、参考になるか非常に怪しいです。それは念頭に置いていただけますか」
 医官の言葉にメルはうなずいた。オメガの体調・体力ほど個人差の大きいものはなく、他人の話があてにならないものもない。
「そのうえでお伝えしますが、これまでわたしが面倒を見たのは、呼吸器の機能に不全症状が出る者、摂食に不自由が出る者、発熱が続く者……と様々な症状ですが、まとめると皆、衰弱していきました。早い者でその場ですぐ、遅くとも十日ほど皇太子殿下と接触することで症状が出ました。それと」
「それと?」
「体調が回復しても半年以上ヒートが来なくなります。これはわたしの推測ですが、おそらく……身体が生殖するには危険な状態だと本能的に判断するのではないかと。ですから、殿下を安心させるのであれば、あなたにヒートが来るというのが一番確実だと思いますよ」
 医官の言うことにメルは素直に感心して頷いた。これまでエイダンの番候補になったオメガの体調の傾向からしても、ヒートというのはキーになる生理現象だろう。
「ありがとうございます。とても参考になりました」
 頭を下げたメルを医官は目尻に皺を寄せて見つめた。そして、口を開いた。
「ここから先は、医官としてではなく、ひとりのオメガとして訊ねますが、殿下のことはどうお思いですか? わたしは元々この国に生まれ育ったものではありませんから、どうぞ遠慮なく」
 そう言われても、とメルはちらり、とサンドラを見た。サンドラはハッと気づき、黙って両手で自分の耳をふさいだ。サンドラの気遣いをありがたく頂戴してメルは医官の質問に答える。
「……殿下のことはまだよくわかりません。ただ、私を受け入れてくれる場所はここのほかありませんから」
「だから、ここで生きる、と」
「ええ。おそらく医官殿と同じです」
 そう言ったメルに医官はぱちぱちと目を瞬かせたのち、ふふ、と笑いをこぼした。
「わかりました。わたしの無遠慮な質問に答えていただきありがとうございます。わたしの立場から、できる限りの応援はしますので、なんでも遠慮なくご相談ください。わたしには番も、子もおりますから、そちらのお悩みにもなるべく答えます」
 他国からやってきてボルガ王国に定住し、職と家族を得ている医官の言葉はメルにとって頼もしかった。改めてメルは医官に頭を下げる。
「ありがとうございます」
「いえ。ああ、最後に一つ。抑制剤や避妊剤の手持ちはありますか? 必要であればお持ちします」
 抑制剤はやや在庫が心もとなく、避妊剤については、持ってすらいなかったが、それを正直に言うことはためらわれた。するとサンドラが横から助け舟を出した。
「メル様、ご心配かと思いますが、我が国では避妊剤を服用しても罪にはあたりません。心身を整え、万全の準備をしてから子をなすべし、というのが信条でございます。子をなす者も、子自身も健康であることを大切にすべし、そして子は望まれて生まれるべし、という考えが浸透しているのです」
「……そうなのか」
 祖国では、寒冷地であるというのも相まって、子は産めるだけ産むのがよいとされていた。健康に育つ子が少ない、という事情もあって、それは当たり前の考え方だった。特に王族ともなると抑制剤、避妊剤は所持しているだけで、王の子をなすことを拒否したとみなされ重罪にあたる。
「で、は……どちらも、もらえると嬉しいです」
 恐る恐るメルが要望を口にすると、医官は優しく言う。
「はい。かしこまりました。後ほどお届けに参ります」
 メルは黙って医官に頭を下げた。医官もメルに軽く会釈をすると、部屋を出て行った。部屋にサンドラと二人きりになると、とたんにメルは疲れを感じて、ふう、と大きく息を吐き出した。
「大丈夫ですか」
「うん。ただ、少し休みたい」
 昨夜もよくよく眠ったはずだが、ようやくボルガ王国の気候に身体が慣れてきて、気持ちが緩んだのか、いくらでも眠れそうだった。
「かしこまりました。ゆっくりおやすみください。医官からの薬はわたくしが受け取っておきます」
 サンドラにうながされて、メルは寝室に足を運ぶ。きっちりとベッドメイクされたベッドにもぐりこんで目をつぶると、すぐに眠りについてしまった。