アーカイブ室の中は空調が効いていないにも関わらず、ひんやりとしていた。天気が悪いこともあって薄暗い室内に明かりをつける。
徳永は慣れた手つきで、アーカイブ室に設置された端末の電源を入れる。個人の端末では見られない情報がここの端末には保管されていた。アーカイブ室の端末はネットワーク接続されておらず、ハッキング等外部からアクセスされる可能性がほぼない。加えて外付け端末の接続も制限されており、内部の人間が情報を持ち出すリスクも低い。そのため、過去事件の情報はすべてアーカイブ室の端末に保管される決まりになっていた。
ただ一つ、端末に膨大な情報が保管されているせいで、起動・動作がすべて遅いことが欠点である。
「久家なら、何から調べる?」
徳永は久家に訊ねる。浦志が二日という時間を与えたのは、おそらく徳永主体ではなく久家主体で進めてほしいということだろう。徳永だけであればすぐに調べもつき、明日にはもう一度彼女を呼べる。しかし、新入隊員を任されたからにはそうもいかず、 久家が自分で捜査、取調べの方向性を決められるようにならなければいけない。
数か月間、徳永のやり方を間近で見てきた久家は、徳永からの問いかけに悩みながらも「まずは彼女の名字で検索をかけてみようかと」と提案をした。その回答に徳永は慎重に言葉を選びつつ言う。
「今回は久家の方針になるべく口を出さないようにするつもりだったけど、一つだけ。彼女の名前、フルネームは覚えてる?」
「中里みすず、だったかと」
よくできました、と言って徳永は二つ目の問いかけを口にした。
「中里って検索したらどれくらいヒットすると思う?」
「……それなりに」
「それ、副隊長が示した期間内に調査できる?」
「……無理、かもしれません」
「うん。それが賢明な判断だね。珍しい苗字であれば久家の方針で問題ない。じゃあ、改めて、何から調べる?」
促されて再度、久家は考える。今回の捜査方針は中里が犯行に至ろうとした背景情報の調査であり、彼女の家族や交友関係を調べる必要があった。人間の関係を端的にまとめた基本的な情報といえば。
「本命は戸籍。戸籍が無理なら住民票から彼女の家族にあたるのはどうでしょうか?」
「うん、九十五点」
徳永の評価に久家が歓声を上げた。
「こんな高い点数もらえたの生まれて初めてです!」
「そこは残りの五点はなんですかって訊くところ! 今回は久家が主体で捜査をするんだから、私に提案しちゃだめ。判断のための相談なら乗るけどね」
徳永の言葉に久家は素直に「はい」と返事をした。
そして、たっぷり十五分かけて起動した端末の戸籍検索で、二人は中里の戸籍情報を得た。父母、兄弟、そして配偶者と彼らの名前でデータベース内を探っていく。
「久家、どうしてこんなことしてるのかって思ってる?」
「? 質問の意味がよくわかりませんが、イヤだとは思ってないです。徳永さんがそういうふうに訊いてくれるときは、いつもオレが不満に思っていないかを確認してくれるときだってわかってきましたから」
そう返した久家に徳永は「その素直さは美徳だけど、仮にも〈アンダーライン〉職員なんだからもう少し疑り深くなってくれないかな」とつぶやいた。
「本当は彼女に強制的に話をさせることもできるけど、私はそれをしたくない。だからこうして彼女と対話できる材料を探す」
すでに逮捕した女の取調べである。証拠はこちらにあり、それをもとに強制的に彼女に訊ねることはできる。このように彼女のバックグラウンドをせっせと調べるのは本来であれば必要ない。
「はい。直球で訊ねてもわかる可能性は低いってこともありますしね」
徳永と組んだ初日、そう言って久家を叱った徳永の言葉を思い出す。徳永は久家の答えにわずかに口角を上げた。
「よく覚えてたね」
一〇五点、とつぶやいた徳永に久家は笑う。
「百点超えていいんですか」
「いいのいいの。学校のテストじゃないんだから、おまけ」
適当に言って徳永は調査を再開した。その徳永を横目で見ながら久家は言う。
「あと、これは、オレの独り言なんですけど」
「ん?」
「心の準備ができていないときにあれこれ訊かれるのはきついので、なるべく話せる環境は整えたいと思っているんですよね」
久家の言葉に徳永は首を傾げた。
「……入隊前に補導でもされたことあった?」
「ないです」
これでもオレ、いい子だったんですよ、と笑う久家に徳永はごまかされておく。この素直さで生活していた学生が補導されるようなことをするとは思えなかったから、何か別の理由があるのだろうが、それを話してもらえるとは思わなかった。
作業を続ける徳永が「あ、」と声を上げた。
「――あった、これだ」
女の夫の名前で検索をかけたところで何かがヒットしたらしい。険しい顔つきになった徳永に久家は恐る恐る声をかけた。
「何が、あったんですか」
「報告書を読めばわかる」
そう言って徳永は久家に席を譲った。久家は端末に表示された内容を上から順に読んでいく。五年前の事件報告書だった。
――【住】地区八番街〈シータ〉にて男性の遺体を発見。
死亡原因は頭部打撲による急性硬膜下血腫であった。
被害者:中里賢治(年齢:三六歳)
職業:教員(中等学校)
……(以下被害状況の記載が続く)
なお犯行現場と推定される場所には薔薇の花束とつぶれた洋菓子店の箱があり、
箱の中にあった洋菓子は被疑者らによって食べられたものと推察される。――
そこまで読んで久家は顔をしかめた。
男性――中里の夫が亡くなった真の原因は、元教え子たちの喧嘩を仲裁しようとして、突き飛ばされ、運悪く後頭部を電柱に強打したことである。そこまではまだいい。問題はその後彼らが何をしたかだ。
「……」
〈アンダーライン〉職員としてそれなりに勤めてきた徳永であっても閉口する内容だった。人はここまで醜悪になれるのだと思い知らされる。
中里の夫が所持していた財布や身分証といった身元を示すものを抜き取り、彼が持っていた洋菓子店の箱の中のケーキを食べつくした。それは、彼が妻との結婚記念日を祝うために買ったものであったにも関わらず。そして、最後には持ち物、花束、空になったケーキの箱を遺体とともに近くの池に遺棄した。
「最低だ」
池に遺棄された遺体は損傷が大きく、身元の確認に時間もかかった。その間中里がどのような気持ちで夫を待っていたのかは想像に難くない。
「……中里さんが話をしないって言った理由もわかります」
報告書を最後まで読んだ久家がため息をつくようにいった。その報告書に加害者として名前が書かれていたのは、今回の被害者三人の名前だった。
「事件当時少年だった彼らは、死体遺棄に至った動機が悪質だとして更生施設に送致されているけど、未成年だからという理由で一般よりも量刑が軽くなっている」
「中里さんは納得、できなかったんですかね」
「おそらく」
久家と徳永が推測できるのはここまでだ。あとは中里本人の話を聞かなければ、動機は不明なままである。
「よし、思ったより早く情報収集できたから、隊長たちに相談して、早ければ明日にはもう一回話をするよ」
「わかりました……」
事件の背景に触れてややぐったりとしている久家に徳永は言う。
「わかってるとは思うけど、一応言っておくよ。彼女は人の命を奪った罪に問われている。たとえ命を奪われた相手がどんなクズでも、人として侵してはいけないモラルを侵していたとしても、それでもやっぱり命を奪う行為自体は許してはいけない」
「……」
素直に返事はできなかった。そんな久家の様子を見て徳永はため息をつく。
「まあ、今はまだ難しいだろうけど、せめて記憶には留めておいて」
その言葉に久家は黙って首を縦に振った。今はこれが久家にできる精一杯だった。