第二話 Who is the monster? - 3/5

 戻ってきた久家と徳永から告げられた〝中里が過去事件の被害者遺族であった〟という情報に松本と浦志は思わずうなってしまった。
 司法の判断が遺族の処罰感情に対して、必ずしも応える結果にはならないのが定石ではあるが、遺族が一度抱いた感情は消えない。
「でもちょっと時期がおかしい気がする。この三人、更生施設から一年半前には出てきてるのに、どうして今だったんだろう。恨みを晴らすだけなら、出てきてすぐやりそうなもんだけど」
 トントンと指でテーブルをタップしながら松本が言う。模範的な行動に免じて通常よりも少し早めに出ることができたという事情は調査済みだった。
「たまたまかもしれないわよ?」
 浦志は言外に考えすぎではないかと指摘したが、珍しく松本も自分の考えを曲げようとはしなかった。
「それはそうなんだけど。ただ、昨日までに行ってもらった聞きこみから見えてくる中里さんの人間性と結びつかない気がして」
 松本の言葉に徳永は昨日正対した中里を思い出す。血の気が引いて青ざめた悲壮な顔と、ぎゅっと固く結ばれていた口元を思い出す。あの顔から感じたのはなんだったか。
「……彼女は悲しんでいたけど、それ以上に怒っていたような気がします」
「なるほど」
 正対した徳永が感じた情報は貴重である。生身の本人から得られる情報は思ったよりも多い。だが、それでも一人でその情報をもとに判断する勇気が徳永にはなかった。
「隊長」
「ん?」
「隊長なら彼女になんて言いますか」
 松本がなんと答えるか、単純に興味もあった。二度目の取調べに向けて、調査の方針は久家に決めさせたが、話を聞くのは荷が重いだろうと思ってのことだった。意見をうかがうのであれば、これまでに幾多の経験をしてきた松本か浦志が適任で、より適しているのが松本である、というのが徳永の出した結論だった。
 徳永の問いかけに松本は「マコさんじゃなくて俺に訊くのが徳永の容赦ないところだね」と苦笑した。松本が隊長に就任した経緯を知っている隊員であれば、まず遠慮して訊ねない。
「俺なら気は済んだか、って訊くかな。同情すべき点はあるけど、それは司法が考える点で、俺たちはそのための情報を引き出す仕事をするだけだから」
 そこまで言って松本は徳永をじっと見つめ返した。
「逆に徳永なら、どうする?」
 ハシバミ色の目で射貫かれるように見つめられて徳永は一瞬返答に詰まった。
「……私なら、旦那さんに顔向けできますか、と言うでしょうね。でも、他者の話は出さない方がいいのかもしれないとも思えてきました。彼女が怒っている理由もわからない状態ですし」
「うん」
「最終的に何を言うかは、直接彼女と会ってから決めようと思います」
「それでいいよ」
 最後は直接話をする徳永に任せるよ、と松本は言った。その言葉に徳永はきょとんとした。
「いいんですか?」
「もちろん。取調べのセオリーはあるけど、あくまでセオリーだからね。俺……に限らず歴代の第三部隊長は基本的に直接話をする隊員の感覚を信じるよ。意外だった?」
「……少しだけ」
 松本ならばそう言うだろうと徳永は予測していたが、歴代、という言葉は意外だった。徳永は前の隊長であった六条院のことをよく知らないが、部下に任せる采配をしている印象はなかった。松本は戸惑う徳永には何も言わず、警邏に戻るよう指示をした。中里の二度目の取調べは明日以降であり、今日の残り時間は二人を通常業務に戻す必要があった。なお取調べのための手続きは隊長・副隊長を含めた日勤隊員の仕事である。
 部屋には松本と浦志だけが残る。徳永と松本の会話には口をはさまず、黙ったままだった浦志がふう、と息を吐き出した。
「隊長、意外と大胆なことするのね。あんなことをあの子に問いかけるとは思わなかった」
「え、心外だな。先に仕掛けてきたのは徳永なのに」
 それくらいの覚悟は徳永もしてるはずだよ、と松本はのんびり言う。だが、浦志は渋い顔をしたままだ。
「仕掛けた、というよりも単純にあなたに頼ったように見えたけど。もともと冷静で頭のいい子なんだから、合理的な方を取るわよ」
「……俺もちょっと過敏になってたかな。気をつける」
 浦志の指摘ももっともである。隊長に注意ができる副隊長、というのは重宝され、その点においても浦志は非常に稀有な人材だった。
「あの子の中で同じ傷を負った人ってくくりに入っているんじゃないの」
「同じ傷」
「職場での相棒を失った人、って意味ね」
 浦志の言葉に松本は刃を傷口に押しこまれたような痛みを覚える。
「だとしたら、俺の方が随分軽傷になるなあ」
 思わずつぶやいた松本に、またしても浦志は渋い顔をした。浦志からすれば、職場での相棒でもあり、公的なパートナーシップ関係を結んでいた相手を傷つけられ、復帰が叶わない状態にされている松本も、入隊した時からの相棒であり、兄のように慕っていた相手を完膚なきまでに奪われた徳永も大きな差はない。人生が変わる程度には精神に深手を負っている。
「傷の大小は人と比べるものじゃないわよ。付き合いが短くても一生の傷になったり、逆に付き合いが長くてもすぐ立ち直れたり。人と人の数だけ関係性はあるんだから」
「もしかして励ましてくれてる?」
「もしかしなくてもそうよ」
 おそるおそる訊ねた松本に対して、アタシ、言うべきことは言うけど基本的に上官には甘い方よ、と浦志はほほ笑んだ。
「マコさんの気遣いはありがたいけど、それでもやっぱり俺は徳永の方が傷が深いと思うよ。入隊してからずっと兄貴のように仲が良かったうえに尊敬してたバディを亡くしてるんだから」
 バディを亡くしてすぐ、あまりに焦燥した徳永を見かねて、当時彼女の上官だった第二部隊長・三雲がひと月の休養を与えたほどである。復帰してからも以前のような明るさは鳴りをひそめていると言い、元バディと過ごした時間が長い第二部隊から一時離すことになった――というのが徳永の異動の真の背景である。
 異動が決まった際に通常業務以外に気が紛れることがあるといい、と言ったのは志登で、じゃあ新人指導でもさせようか、と提案したのは松本である。
「そうねえ。でも、隊長の問いかけにも動じずに答えていたように見えたし、少しずつ変化はあるんじゃないかしら」
 首をかしげながら言う浦志に松本もうなずいた。踏みこみすぎではないかと一瞬の葛藤はあったが、思い切って訊ねてみてよかったとは思う。
「徳永にはこれからの人生がまだまだ長くあるから、可能な限り前向きに過ごしてほしい。できれば、復讐なんてことを考えずに」
 静かに言った松本に浦志もまた静かに訊ねた。
「……隊長は考えたこと、あったの?」
「まったくない、って言ったらうそになるかな」
「そう」
「悔しかったから。でも、復讐したい相手は司法に裁かれたし、簡単には接触できない場所にいるし、意味がない。それに万が一俺がそんなことしたら、せっかく普通に暮らしていたのにそれを手放すことになるからやらないよ」
 真仁さんにも迷惑かかるしね、と松本は付け加えたが、おそらくそれが本音なのだろうな、と浦志は見抜いていた。
 松本は不毛な会話に終止符を打つべく「よし!」と声を上げた。
「俺たちも仕事に戻ろう。明日の再取調べに向けた手続きはマコさんに任せてもいい?」
「ええ、任せてちょうだい。請求かけておくわね」
 にこやかに仕事を引き受けた浦志に松本は「ありがとう、頼りにしてるよ」と礼を言った。

「珍しいな」
 その日の夕方、いつもの通りやってきた松本を見て、六条院は眉を上げた。
「何がです?」
「いや、落ち込んでいるように見えた。気のせいか?」
 気遣う六条院に松本は観念して答える。昔から、六条院に真正面から気遣われると無下にできなかった。そして、松本が毎日業務後に顔を見せるようになってからというもの、観察することに慣れたのか、顔を合わせた瞬間に体調を言い当てられることが多くなった。発熱の自覚がなかった松本が六条院に叱られたのも記憶に新しい。
「いえ、気のせいではないですが、今日は視ていなかったんですか?」
 少しずつ六条院自身も千里眼のコントロールができるようになってきた今、見たいものにチャンネルを合わせるようなこともできるらしい。彼が唯一気にかけるものといえば松本以下〈アンダーライン〉第三部隊の隊員たちだ。
「多少は。ただ何を話していたかまではわからなかった。加えて言うと、その場の人間の感情までは伝わってこない」
「……これは、俺の自己嫌悪なんですけど、」
 松本はそう言って昼間の徳永とのやりとりを話した。話すうちに彼は目を丸くし、そのあとひどくおかしそうに笑った。楽しそうに笑う六条院を見るのは久しぶりで、それ自体は喜ばしかったが、
「そんなに笑わないでくださいよ」
 これでも俺、反省しているんですから、と反論する松本に彼は謝罪した。
「いや、すまぬ。しかしまあ、難しい隊員をうまく制御できていると思うが。わたしではきっとここまで上手くいかない」
「あまり想像がつきませんけど……。真仁さんも人心掌握は上手じゃないですか」
 首をかしげながら言う松本に六条院は「それは認めるが」と前置きして、
「人は、恵まれていると認定した他人の言うことは素直に聞けない。余裕があるからこそのきれいごとだと思われてしまう」
「……」
「そういうこともある、という話だ。すでに昔のことなのはそなたもよく知っているだろう」
 松本が第三部隊に移ってきてすぐから、六条院の出自を揶揄する声はちらほらと聞こえてきた。すでに六条院が〈アンダーライン〉の隊員になって十年経っているにも関わらず、だった。もちろん、彼をよく知る人間はそんなことを言わない。遠くから見ている人間ばかりが根も葉もないことを言うのだと松本は痛感した。
「そんなことないのに」
 思わず漏れた声は子供が駄々をこねるような響きを伴っていて、六条院を苦笑させるだけだった。
「以前も言った気がするが、わたしが救えない人間はたくさんいる。大事なのは、救い上げてやれる人間を適材適所で配置してやることだ」
「それは、そうですけど、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて、」
 恵まれている、とレッテルを貼られてしまう六条院の方を何とかしたいのだと松本は思った。
 ――冗談じゃない。
 本当に六条院が恵まれているのであれば、こんなところに独りひっそりと暮らすことはないはずだ。いやそもそも、【貴賓】地区から出ようとなど思わないはずだった。都市国家に四つ残る貴族の家の者として、十分すぎる暮らしができるのだから。
「松本」
 ちょっと、と六条院に手招かれて松本はいつもよりも少し近くに寄った。
「そなたの気持ちは十分すぎるほど伝わっている」
 ――だから、あまり思い詰めるな。
 そう言って六条院は細くなった手を松本の頭に乗せた。ぽんぽんと軽く叩かれる。
「……今日、ここに泊まって行っていいですか」
 その手の温かさに思わず甘えが口をついて出た。普段であれば六条院の負担になるからときりのよい時間で帰宅しているが、今日はそれができそうもなかった。
「好きにするといい」
 ありがとうございます、と言って松本はホッとしたように目元を緩めた。いつの間にか随分と気を張っていたようだった。