「先ほどはフォローありがとうございました」
取調室を出たところで徳永は松本に頭を下げた。松本は笑って手を顔の横で振った。
「いやいやフォローの範疇に入らないよ。イレギュラーなことだったしね。二人とも難しい案件の対応お疲れ様」
話をさせるだけでも大変だったはずだ、と松本は思う。徳永の切り込みは見事だったうえ、記録員として同席した久家も動揺はしていたものの最後まで勤めを全うした。
松本としては部下に十分働いてもらった、と考えている。
「でも……」
「あれは俺が対処して正解だったんだよ。だから、そんなに気にしなくて大丈夫。それよりも二人は休憩を取ること」
マコさんがお菓子用意してくれてたよ、と言って松本は歩き始める。
「お菓子ってなんですか?」
「久家」
無邪気に訊ねる久家を徳永はたしなめる。ばつが悪そうな顔をする久家に松本は笑いながら答えた。
「つばめ堂の水ようかん」
つばめ堂はあんが美味なことで知られる和菓子屋であり、蒸し暑い今の季節は水ようかんを売り出していた。なお季節を問わない定番商品のうち、一番の売れ筋は最中であり、昔はよく警邏の帰りに買っていたことを松本は思い出した。
「え!」
今度は徳永が目を輝かせ、久家がそれに対して「徳永先輩だって人のこといえないじゃないですかあ!」と文句を言った。
そのやりとりを見ていた松本は今度こそ吹き出して、腹を抱えて笑った。
「仲良くなったみたいでよかったよ。いいバディだな」
「仲良くありません」
「そこはオレも同意します。仕事の先輩ってだけですからね」
「……十分仲良くなったと思うけどなあ」
まあいいか、と言って松本は歩き出した。彼らの関係性をどう認識するかは当人同士に依存することであり、松本が関与するところではない。
「あ、」
「どした?」
ふと零れたような徳永の声に松本は後ろを振り返る。徳永は自身の左腕に装着している腕時計を見ていた。革製のバンドが随分ぼろぼろになっているが、大事に使われていることがわかる腕時計だった。文字盤を保護する強化ガラスに細かい傷が入っているものの、徳永はその腕時計を大事に使っていた。
「すみません、午後休申請していたことを思い出したので、私はここで失礼します。せっかく用意していただきましたけど、水ようかんはお気持ちだけ頂戴します」
「ああ、そうか。今日はそうだったか。個包装だったから持って帰ってもいいよ?」
徳永の固い声をほぐすように松本は言うが、徳永は黙って首を横に振った。その様子を見て、松本も無理に彼女に渡そうとはしなかった。
「オレ、今日の徳永先輩の予定聞いてなかったんですけど……」
話題からすっかり置いて行かれてしまった久家の声に、徳永は「ごめん」と謝罪をした。
「言うのをすっかり忘れてた。次からは言うようにする」
「何か、緊急の用なんですか?」
言うのを忘れるくらい緊急で重大なことなのかと推測をして久家は訊ねたが、
「……それは言わない。私的なことだから知られたくない」
と言い切られてしまい、それ以上は訊ねることができなかった。
お疲れさまでした、と頭を下げ、踵を返した徳永の背中に松本は声をかける。
「いつか、」
「――はい?」
くるり、と徳永が振り返る。束ねられていない黒髪がさらりと揺れて空中に弧を描いた。
「さっきの問いかけに対しても徳永が自分の答えを言えるようになるといいって俺は本気で思っているから」
振り返った徳永を射抜いたのは、鋭くも優しさを帯びたハシバミ色の瞳だった。ただのお節介ではなく、本気で徳永を案じ、励ますような表情に、徳永は何も言わず、ただ深く頭を下げた。
徳永が廊下を曲がり、その姿が完全に見えなくなってから久家が松本に訊ねる。
「隊長は、徳永先輩が何のために休みを取ったか知ってるんですか?」
「一応ね」
「オレには教えて……あー……もらえないですよね」
「俺は彼女の上官だけど久家は違うから無理だね。でも」
松本はそう言って久家の肩を軽く叩いた。
「ヒントはあげられる。徳永は第二部隊から、第三部隊に異動してきた」
「……第二部隊の人に訊いたら教えてもらえるかも、ってことですか?」
「あくまで可能性がある、だけね」
どうせ午後から組める相手もいないから警邏はできないだろうし、俺からの課題だと思って調査していいよ、と松本は言った。
「まあとりあえず糖分とって休憩。顔が疲れてるよ。疲労は調査活動の一番の敵だから、適切に休みを取ること」
至極もっともな松本の言葉に久家は素直に「はい」と返事をした。
「あ、お邪魔してます」
取調室を出て第三部隊の執務室に帰ってきた三人を出迎えたのは、元〈アンダーライン〉第三部隊隊員・梶だった。
「隊長、どなたですか?」
久家が不思議そうに松本を振り返った。
「第三部隊OBの梶だよ……あ、そうか久家が入る前に辞めたのか」
「そうっすね。ちょうど辞めてから一年くらいすかね? 今は非営利活動法人で更生施設を出た人たちの就労支援に関わってます」
大変だけどやりがいありますよ、と笑って言う梶は〈アンダーライン〉にいたころよりもたくましくなった、と松本は思う。梶の元同級生が関わった事件を担当して以降、ずっと自分にできることを考えたうえで、辞める決断をした彼を松本は笑って送り出したつもりだ。松本の努力の甲斐もあり、こうして時折顔を見せに来ることもあった。
「お疲れさん。で、今日はどした?」
「煉炭殺人の被疑者の件でちょっと。更生施設関係の仕事してる僕たちにも色々飛び火してきているので、広報に早めの事実報道をお願いしてきました」
ひっきりなしに問い合わせがくるせいで普段の業務もままならない、と嘆く梶に松本は苦笑しながら答えた。
「ああ、それなら多分、明日か明後日には出ると思う。今こっちでの取調べは終わって、〈ミドルライン〉に引き継ぐから。俺からも広報に言っとくよ」
「助かります!」
「あ、それとこれ食べていいよ。一つ余るから」
松本はそう言って梶に水ようかんを手渡した。いいの? と視線で訊ねた浦志に無言でうなずき返す。察しのいい彼がそれ以上松本に何かを言うことはなかった。
「ちょうど小腹が空いてたんで嬉しいっす!」
そして梶はその無言のやり取りに気づかず、いただきます、と言いながら水ようかんを押しいただいた。
「昔もよく買ってもらったのを思い出したっす」
「まあ、真仁さんも好きだったし」
「あーそっか、隊長も好きでしたっけね」
そう言えば以前の隊長の名前は初めて聞くな、と思いながら久家も手渡された水ようかんに手を付け始めた。
「あ、ごめん、僕の言う隊長は前の隊長のことだから、混乱させちゃった?」
「いえ、松本隊長のことじゃないのはなんとなくわかりました」
その返答を聞いた梶は「うーん」としみじみ感じ入ったような声を出した。
「なんか、いいっすね、松本さんが隊長って呼ばれるの」
「なんでだよ、お前ずっと俺のこと副隊長って呼んできただろうに」
「それはそうですけど、そのときとはまた違う良さがあるっていうか。隊長の雰囲気って隊に出るんすよ。離れてようやくわかりましたけど」
まあ第一部隊は相変わらず体育会系すね、と笑った梶に松本もつられて笑った。
「あそこは志登さんがいる限りあんな感じだろうなあ。雷山が隊長になったらまたちょっと雰囲気変わるんだろうね」
「そっすね。雷山副隊長は志登隊長に振り回されてますけど、自分から人を振り回せるタイプには見えないすもん」
梶は的確な分析を述べると、空になった水ようかんの容器を前に「ごちそうさまでした」と手を合わせた。
「すっかりごちそうになっちゃいましたけど、僕も仕事に戻りますね。広報への念押し、よろしくお願いします」
「ああ、対応しておく。そちらも代表によろしく伝えておいてくれ」
梶はぺこり、と松本に頭を下げたあと、久家の目を真っ直ぐに見つめた。
「大変なこともたくさんあると思うけど、がんばって。OBとして応援してるから」
「ッ、はい……!」
真剣な顔に久家は背筋を伸ばして敬礼した。梶は目を細めてその敬礼を見た後、久家の肩を軽く叩いて帰って行った。
「……がんばろう」
久家は自分の両頬を軽く叩くと、松本から与えてもらった調査をどう進めるか考えを巡らせ始めた。
【第二話 END】