「戻りました」
疲れ切った二人が本部に戻ると「お帰り、疲れてるね」と松本が出迎えてくれた。
「どう? なんかわかった?」
「わかったこともあるような、なぞも増えたような……」
煮え切らない返事をする雷山に松本は苦笑した。
「先行調査なんてそんなもんだな。一旦休憩してから話を聞こうか」
そう言って松本はコーヒーミルを手に取った。副隊長であったときからの慣わしは続き、隊長となった今でも時折、松本はコーヒーを淹れる。自身は飲まないが、無心で作業するのが性に合っていると本人は言う。おまけに周りは美味しいコーヒーを飲めるしで、一石二鳥である。
コーヒーが淹れられたところで、第一部隊から志登を呼び、四人で情報整理をする。浦志と雷山から話を聞いた志登は「そりゃ確かに情報が増えたような増えてないような……。なんとも不思議な話だな」と感想をつぶやいた。その横で松本もこめかみに指を当てながら考える。
「何よりまず目的が見えないな。新規の医療用麻薬を開発したのはいいと思う。元々の汪幽教の理念にも叶うし、社会全体としてもありがたい限りだよね。でも、その副産物を裏社会に流して何がしたいんだろう。汪幽教を復活させたいなら、どちらかというと表社会に貢献できることを数多く示すべきなのに」
「それは確かにそうだ。宗教団体として再び活動したいなら、矛盾する」
うーん、と考え込んでしまった隊長二人を尻目に、雷山は浦志にひそひそとささやく。
「さっき病院で言いかけてた話なんですけど、あれなんだったんですか」
「あ、あれね。うん、話すわ」
隊長二人もちょっといいかしら? と声をかけた浦志に二人は顔を上げた。
「アタシの身内に元汪幽教信者がいて、それこそ今日行った病院で最期を過ごしたの。病院自体は【中枢】地区の外れにあるじゃない? 勤務先が〈アンダーライン〉だからたまに見舞いに行ってたんだけど、そのときに、今日会った先生の話を聞いたことがあるの。アタシの身内は彼のことを津和崎(つわさき)先生って呼んでたわ」
緩和ケア医として当時も働いていた彼は患者の心の拠り所だった、と浦志は言う。
「え、でも今日お会いした方って、千早(ちはや)さんってお名前でしたよね?」
ちゃんと首からかけてる名札見ましたよ、と雷山は言った。
「ええ、確かに今日の名札は違う名前だったわね。それが偽名なのか、パートナーと同姓を選んだのか、いろんな理由が考えられるからすぐに結論は出せないと思うわ。でも一度、あの人の経歴を洗ってみてもいいと思うの」
どうかしら、と訊ねる浦志に松本と志登は一も二もなくうなずいた。
「そこは洗っておく必要があるな。雷山、頼めるか。浦志は調べた情報が本当か確認を入れてくれ」
「了解しました」
片腕である二人が隊全体の業務から離れるのは痛手ではあるが、背に腹は代えられない。
「なんか、まためんどくせえことになりそうだなあ」
「……俺たち以上に二人が思ってるよ」
愚痴るように言った志登に松本はつっこんだ。
「でもなんか、今回のめんどくささはちょっとこれまでよりも一枚上手な気がするんだよな」
「志登さんの勘?」
「ああ」
「あー……やだな、志登さんの勘当たるんだよね」
気を引き締めておかないとなあ、と言った松本の背中に、志登の激励である平手が炸裂した。
同日、昼過ぎ。
時間は少しさかのぼり、通常の警邏巡回に出ていた徳永と久家は、巡回をしながら他愛もない話をしていた。
以前に比べて、徳永の雰囲気が柔らかくなり、かなり会話がしやすくなったと久家は思う。そんな久家の目下の悩みは隊の雰囲気の話である。
「なんか最近、隊全体の雰囲気が暗くないですか?」
入隊して半年経ち、ようやく徳永から、これならほかの隊員とも組ませられる、と言われる程度に運転の腕が上がった久家がハンドルを握りながら訊ねた。
久家の疑問に徳永は、どう答えたものか、と頭を巡らせながら、「そうなるのも当然なんだけど……あんた、汪幽教って知ってる?」と訊ねた。
「え、なんですか、おう、ゆう……?」
初めて聞く単語を久家は最後まで聞き取れなかったため、思わず聞き返した。その様子に徳永はため息をついた。
「やっぱ知らないか。学生に教えなくなったって聞いたけど本当だったんだ」
教えた方がいいと思うんだけどなあ、と独り言ちたのち、徳永は話を続けた。
「〈世界を滅ぼす〉大戦以前にできた宗教法人で、主に医療福祉分野に貢献した実績がある団体だったんだけど、不正献金と医療事故があって今はもう活動してない」
「活動してないんですか」
「表立っては、って注釈がつくけどね。でも〈アンダーライン〉をはじめとする各警備・治安維持機関はその団体の動向をずっと注視してる」
「なんでですか?」
疑問を口にしてから、久家は内心(やばい!)と焦った。疑問を口にする前にまず考えなさい、と叱咤する徳永の声が脳裏に蘇る。だが、今日に限ってはその叱責は飛んで来ず、静かな徳永の声が続いた。
「その宗教法人に所属していた研究者が今の法律では違法になる薬物を作り出したから。その人自身はすでに亡くなっているけど、研究成果はしっかりと残されているし、万が一にも後発が出ないようにするためにずっと動向は見られているの。向精神薬の一種ね。悲しいことだけど、争いをする上では必要になったんだと思う。でも、今それを使われたらただの薬物乱用だからね」
「はい」
「あともう一つだけ覚えておいてほしいことがあって、彼らの宗教理念は『すべての人に幸福な生涯を』。これが、どういうことかわかる?」
「? そのまま考えるといいことなんじゃないかと思いましたけど、違うんですか」
久家の言葉に徳永は首を横に振りかけ――運転中の久家には見えないことに気づいて「違うよ」と声に出した。
「訊くけど、久家の考える幸せな人生ってなに?」
「うーん、今のところ、うまい飯が食えて、休みの日に遊べたら幸せですけど。家族や友達との仲も悪くないし、幸せだと思います」
「うん、全人類がその考えならいいよね」
徳永は久家の回答を肯定しながらヒントを出した。入隊から半年でしっかり徳永に鍛えられた久家は、その言葉で徳永が否定した意味に気づいた。
「……もしかして、本当になんでも肯定してくれるんですか。たとえば、人を殺すことで幸せを見いだす人がいたとして、彼らはそれも肯定してくれた?」
違ってほしい、と恐る恐る口にした久家の祈りも虚しく、徳永は「そうよ」と認めた。
「幸福の定義は人によって違う。汪幽教はそれを認めた上で、利用した。実際〈世界を滅ぼす〉大戦の直後は不安定な人がいっぱいいたから、効果は高かったそうよ。そこまではよかったんだけどね」
そしてそのような人たちの安定を目指して、抗鬱薬や精神安定剤といった薬剤を多数開発してきたという背景があった。功罪どちらもあるために、野放しにはできず、監視下でがんじがらめにすることもできなかった。
「医療事故……というより自殺幇助に近いかもしれないけど、汪幽教が運営してた病院で、入院患者に筋弛緩剤投与をした事件があった。入院患者自身は延命拒否したけど、遺族はずっと延命を望んでいて、それに対して患者自身がしびれを切らしたみたいね。協力を依頼された看護師は汪幽教の信者だったから、患者の訴えを飲んだの。すべての人に幸福な生涯を、の理念のもとにね」
「……」
「私はその看護師が全面的に悪いとは思えないけど、もっと他のやりようはあっただろうし、結果として所属していた組織を壊すことになっちゃったんだから、何とも皮肉な話ね」
久家は黙って徳永の話を聞きながら自動車を走らせる。
「だからその団体がまた最近活動をしているって噂を聞いたら焦るでしょ」
「確かに」
「初日に捕まえた暴行の被疑者、覚えてる? あの被疑者を皮切りにかなりの被疑者から同じ薬物成分が検出されているの。新しい薬物みたいで、科技研も同定に困ってたんだけど、つい最近、汪幽教の動きと連動してることがわかってきたみたい」
徳永はスラスラと状況を久家に説明する。非常に端的でわかりやすい説明に聞き入っていたが、久家はふと疑問に思うことが出てきた。
「あの、徳永先輩」
「なに?」
「そういう情報ってどうやって仕入れるんですか」
オレも参考にしたくて、と言った久家に徳永は少し迷ったのち、
「隊長はじめとした人の会話をよく聞くこと」
と答えた。久家はよくよくその言葉を吟味したうえで、首を傾げながら言う。
「もしかして、盗み聞……」
「情報収集」
久家の言葉を最後まで言わせないよう、徳永が言葉をかぶせた。
「本当に私たちに聞かせたくないことならちゃんと会議室で話をするものだから盗み聞きじゃないの」
本当かなあ、と思いながら久家は危なげなく、赤信号に向けて自動車を減速させた。