息せき切って本部に戻った松本を出迎えたのは、顔面蒼白の浦志だった。志登は志登で第一部隊の状況を把握するために第一部隊執務室に戻って行った。
「状況は」
松本は短く訊ねた。浦志には悪いが、彼の状態に構っている場合ではない。舞台長として事態の把握が先だ。
「【住】地区十五番街〈オミクロン〉で不審者に職務質問をかけていた隊員が爆発事故に巻きこまれて負傷したの。今、病院に搬送されて処置中よ」
そう言って浦志はぎゅっと唇をかんだ。
「隊員の名前は?」
「……久家くん。バディの徳永さんは爆風に煽られて転倒しただけで軽傷よ。……ごめんなさい、アタシの指示が悪かった」
そう言って頭を下げる浦志を松本は止めた。謝罪をしたところで、状況が変わることはないが、松本はあえてそれを浦志に指摘しなかった。
「今はまだマコさんが謝るときじゃない。ちゃんと最初から全部聞くから話して」
何がどうなったの、と問いかけた松本に浦志は大きく息をついて話を始めた。
時間は少しさかのぼる。
いつものように警邏巡回に出た久家と徳永のもとに一つの連絡が入った。
『こちら本部。現在【住】地区十五番街〈オミクロン〉の富美山製薬倉庫にて、不審者ありとの通報を受けたので確認してちょうだい』
「――こちら〈ラムダ〉巡回チーム、了解しました。向かいます」
本部からの指示には応えたものの、指定された場所に徳永は思わず眉間にしわを寄せた。つい昨日、久家に汪幽教の話をしたばかりだったが、指定された富美山製薬というのは、以前汪幽教に協力していた会社を母体にした後継企業ではなかっただろうか。
「? どうしたんですか?」
運転をしながら徳永の雰囲気の変化に気づいたらしく、久家が訊ねる。ちらりとも徳永を見ていないはずなのに随分鋭い質問だった。
「いや、ちょっと」
「え、なんですか。教えといてくださいよ」
いざというときに動けなくて困るのはお互いなんですからね、と言う久家に徳永はどうしたものかと考える。確かに久家の言うとおり、情報共有をしておくべきだが、自分の感じたことに対して自信が持てなかった。
「私の思い違いかもしれないから、七割程度の信頼度で聞いてほしいんだけど」
「はい」
「今から行く場所、前に汪幽教に協力していた企業の後継企業の倉庫だと思う。そういう企業はたくさんあったから、覚え違いかもしれないけど」
「わかりました。慎重に行きましょう」
急ぎですけど、サイレンも鳴らさない方がいいですよね、と言う久家に徳永は「そうね」と答え、内心で成長に感心した。
(扱いやすいって言ってた副隊長の言葉の意味がわかってきた気がする)
飲みこみも早く、覚えもよい。入隊試験の成績はぎりぎりで補欠として滑りこんだことは知っていたが、今の久家を見てそれを思い出す人間は少ないだろう。
(いい後輩持ててよかったのかも)
半年前の自分からは考えられないほどの心境の変化に驚きながら、徳永は「そこの角を右に曲がった方が近いよ」と運転席の久家に指示を出した。
【住】地区十三~十六番街は物流拠点として倉庫が数多くある地区だった。【住】地区十五番街〈オミクロン〉も例外ではなく、以前も捜査対象となったことがある。
「絶対ここに常駐する隊員作った方がいいですよ。これから先も絶対に何か起きる気しかしません」
「そうは言っても、人員は有限だから三交代で見張るのは無理よ」
監視カメラはあれど、それをかいくぐって犯罪行為に走る人間はいる。まして、この地区のように人目はあっても、倉庫街であれば死角も多い。要するに非常に悪だくみに都合がよい場所である。
自動車から下りた二人は周囲を簡単に確認したが、倉庫に出入りする業者以外、特に二人の目から見て、不審な動きをしている人間はいなかった。そして、ふと不審者の情報を一つも得ていないことに気づいた。
「こちら徳永、現着しましたが、現時点で不審人物は見当たらず。しばらく徒歩で巡回します」
『こちら本部、了解よ』
「ところで不審人物の外見の特徴は何かわかりますか? 通報者はなんと?」
通報者からの情報があるかと徳永が確認すると浦志からは歯切れの悪い情報が返ってきた。
『黒い帽子に上下グレーのスウェット着用。身長は……一七〇㎝前後かしら。特徴はなさそうな言い方をしていたから、平均身長程度の男性かもしくは大柄な女性ね』
「……なんか、はっきりしませんね」
『やっぱりメイちゃんもそう思う? 通報者もはっきりしなかったのよ。断定はできないけど、内部告発とかなんかそういう訳ありに聞こえたの。だから、慎重にね。危ないと思ったら必ず戻って。久家くんも、いいわね?』
「わかりました」
本部との通信を切り、「さて」と言って改めて徳永は周囲を見回した。
「副隊長の言ってる格好だと結構な人が当てはまりますよね」
「確かに……ドライバー以外はみんな作業がしやすい服装していることが多いから困るね」
どうしたものか、と考える二人の視界の端に、さっとよぎった人影があった。そちらの方を振り向くが、もう人影は見えなくなっていた。
「追ってみますか?」
訊ねる久家に、徳永はうなずいた。
「そうね、慎重に」
腕章に気づいて逃げたのかもしれないし、と言いながら、二人はなるべく物音を立てないように移動する。
「久家、あっちから回って」
「了解しました!」
徳永の指示に久家は短く答える。倉庫街は死角が多く、隠れるのに絶好な場所だと思われがちだが、日々巡回業務にあたる第三部隊の隊員の大半は、倉庫街の地図が頭の中にしっかりと入っている。
右、右、左、直進。
ここを直進すれば行き止まりだ、というところまで追い込み、久家と徳永は通報対象と思しき人物と対峙した。万が一のために徳永は本部との通信スイッチを黙って入れる。
「来るな!」
行き止まりで覚悟をしたのだろう。上がった声は若い男性のものだった。裏返った声に徳永と久家は少し離れたところで足を止めた。
「来たら、お、お前を殺して、俺も死ぬ!」
男はスウェットのポケットから十徳ナイフを取り出して、二人に向けた。どちらが行くべきだろうか、と徳永と久家は顔を合わせたが、今回は久家に軍配が上がった。
見た目と声から久家の方が年齢が近いと推測できたこともあり、親しみやすい属性を持った方が声をかけるべき、という判断による。
「本気だ、俺は本気だからな! 来るな!」
男はぶんぶんと両手を振り回したが、久家までの距離はまだ遠く、当たる見込みはなかった。このままでは話もできないと踏んだ久家は、地面にハンカチを置いた。
「わかりました。オレはこのハンカチから一歩もそっちに動きません。これでいいですか?」
久家がそれ以上踏みこまないことにひとまず落ち着いたらしい男はうなずいた。
「これからオレがイエスかノーで答えられる質問をするので、首を振って答えてください」
久家の要望に渋々ながらも男は首を縦に振った。
「富美山製薬の従業員ですか?」
男は首を横に振った。
「オレたちを見て走ったのは、これが見えたからですか?」
久家はあえて逃げたではなく走った、と言って、腕章を指さした。男は首を縦に振る。
「あなたは今、自分の意思に関係なく、何らかの犯罪行為に巻き込まれていますか?」
この問いかけに男は一瞬、泣き出しそうに顔をゆがませてから首を縦に振った。久家は後ろの徳永を振り返る。
「こちら徳永です。対象者に接触できましたが、諸事情により本部まで同行させて事情を聞くのは難しそうです」
『本部了解。名前だけでも聞けたら聞いてほしいんだけど、できそうかしら』
「やってみます」
そう答えて久家は男に再度声をかけた。
「オレ、久家恭哉っていいます。お兄さんの名前、教えてもらえますか」
イエスかノーで答えられない質問に答えてくれるかどうかはイチかバチかだったが、ややあって男は口を開いた。
「……須藤タツヤ」
「ありがとう。須藤さんね。これで呼びやすくなった」
にこっと須藤に笑いかけた久家につられて須藤もぎこちなく笑い返した。須藤がどのような犯罪に巻き込まれているかはわからなかったが、一歩前進である。
さてこの次をどう進めようか――。そんなことを考えていると、もう一つの足音が近づいてくるのが聞こえた。その場の三人に緊張が走る。
その場に姿を現したのは、須藤とよく似た服装の男だった。帽子を目深にかぶり、マスクをしているために顔はほとんどわからない。
「……何やってんだ」
男の低い声を聞いた須藤に緊張が戻る。
「ッ、え、えっと……その、これは、」
「やっぱりしょうもねえとこから見つかるんだな。っとに役に立たねえ」
吐き捨てるように言う男に、須藤はうつむいたまま唇をかみしめた。
「ここももう終わりだ、ま、時間の問題ではあったけどな」
「どういう意味?」
二人の会話に鋭く切り込んだ徳永に男はハッと嘲笑した。
「こういう意味だよ。自警団のお姉さん」
男はそう言って、端末を取り出してどこかに電話をかけ始めた。
――その瞬間。
「危ない!」
徳永の真横にあった倉庫が轟音を立てて弾け飛んだ。あっ、と思う間もなく徳永の身体は久家によって地面に引き倒される。倉庫街のあちこちで次々に爆音が聞こえはじめ、徳永はようやく、男たちが何をさせられようとしていたのかを理解した。
(証拠、隠滅だ……ッ!)
次々に爆発を起こしたのは、どこを狙っていたかを攪乱するためであり、このままでは彼らの狙いがわからなくなってしまう。それを本部に伝えなければ、と思うが、倒れた衝撃で頭を打ち付けたようで、うまく頭が回らない。
耳元の無線機からは、無事を確認するための浦志の声が聞こえる。
だが、それに応答する気力はないまま、徳永は意識を手放した。