第五話 Good-bye to Brilliant white days -During turmoil- - 4/4

 〈中央議会所〉――アンダーラインの人事権等含め、最高決定機関に位置するそこは松本にとってあまりよい思い出がある機関ではない。
「大丈夫か」
 志登に声をかけられてハッと顔を上げる。
「大丈夫。その気になったらどうにかできるんだから気にする必要は一つもないよ」
「……それはそうなんだが、やめてくれよ。懲戒なんかになったら目も当てられねえからな」
 志登の忠告には曖昧にほほえみ、松本は「俺ね」と話し出した。
「もう〈アンダーライン〉に十七年いるんだよね。俺の人生の四分の一から五分の一くらい。そろそろいつ何があってもおかしくないし、責任が問われる場所は離れてもいいんじゃないかって思ってて」
「いつ何があってもおかしくないっていうのは」
「〈成功例〉の寿命がどれくらいなのか誰にもわからないって話。抗老化もどこまで効いてるかわからないし、ある日ぽっくり、なんてこともあるかもしれないんだって」
「随分、のんびりしてるな」
 志登がやっとのことでしぼり出した声はひどくかすれていた。松本の口調は明日の天気の話をするように軽かったが、志登にはとても軽い話には思えなかった。
「こんな見た目だけどまあまあ長く生きてるしね。もう十分だよ。そろそろ余生をのんびり過ごしても罰は当たらないと思うんだよね」
 さて、と言って松本は〈中央議会所〉の最深部である会議室の重厚な扉の前で足を止めた。
 オーク材の扉は経年によって、濃厚なチョコレートのようにつやつやと輝いている。厚みもある分、非常に重量もあるが、成人男性であれば難なく開けることができるものだ。
「失礼します」
 扉を開けて中に入ると、すでに〈中央議会所〉のメンバーはそれぞれの座席についていた。じろり、と湿度の高い視線を感じた二人は早くも辟易する。
 会議室はいわゆる円形の階段教室型であり、志登と松本は最下部の椅子に座るよう指示される。どう考えても進んで座りたい席ではない、というのが歴代の〈アンダーライン〉部隊長の見解である。
「なぜ呼ばれたかは、言うまでもありませんね」
 松本と志登の正面にいるのは現在の〈中央議会所〉の所長だった。非常に厳格なこの女性は一切の妥協を許さないことで有名だった。松本と志登はその問いかけに肩をすくめるだけである。
「言い訳はできないよな」
「そうだね」
 二人の飄々とした態度に女は眉間にしわを寄せた。
「事の重大さがわかっていますか? これはテロ行為にも等しい行いですよ。現在の汪幽教の力はそこまで大きくないことが幸いですが、このまま放っておけばいずれ国家が転覆する。現に倉庫街の被害は非常に大きく、死傷者が何人も出ています」
 咎めるよう声を硬くした女を松本はまっすぐに見つめ返した。
「わかっていますよ。わかってるからこそ、こんなところに呼ばれて無駄な時間を過ごしたくないって意思表示をしてるんですよ。言い訳はしないというのはそういうことです」
「全面的にそちらの采配に非があったと認めると?」
 女の言葉に黙って松本はうなずいた。志登も何も言わず、黙って松本を肯定した。
「そちらもその方が判断しやすくて楽ですよね」
 一刻も早く解決に向けて動かなければならない状況で、問答を続けることが無意味に思えて仕方がなかった。女は黙ったまま何も言わない。
「俺たちはその采配の過ちを取り返しに行く。機動力が重視される場で、俺たちを蔑ろにするということはそれこそ、テロ行為に加担するも同然でしょう」
 その言葉に志登は思わず松本の服の裾を引っ張った。言い過ぎている、という忠告だったが、松本は構わず続けた。
「こちらも隊員に損が出ているんですよ。その責任を取りに行くのが俺たち〈アンダーライン〉部隊長の努めではありませんか?」
 松本の言葉に場はしん、と静まり返った。その場の全員の視線が所長に向き、所長はふぅ、と息を吐いた。
「……わかりました。あなたたちが責任を取るのが妥当でしょう。ただし、」
 女の目が真っ直ぐに松本を射抜いた。負けじと松本も視線を合わせた。
「あなたに許されている範囲は厳守すること。志登隊長もいいですね?」
「了解しました」
「速やかな解決を命じます。以上」
 その合図とともに松本と志登は弾かれたように部屋を飛び出した。
「ったく、ヒヤヒヤさせるな。言い過ぎだ」
「あれくらい言わないとあの人は動いてくれないの、志登さんもよく知ってると思うけど?」
「ま、それはそうだ」
 ハハ、と乾いた笑い声をあげた志登は「そういえば」と自身がつけていた腕時計に目をやる。
「そろそろいつもの時間じゃねえのか」
「あー……うん、今日はいいんだ。志登さんと同じタイミングで俺にも連絡来たの、覚えてる? あれ、真仁さんからだったんだよね。相当無茶して連絡くれただろうから、しばらく会えないかな」
 病院からも来るなってメッセージ連絡来てたし、と松本は付け加える。
「それより今日は徳永と久家だよ。そっちを見舞いに行く」
「それもそうか。久家はともかく徳永とは話ができるといいな」
「さっき意識は戻ったって連絡があったらしいから、無理のない範囲で話してくるよ」
 松本はそう言ってひらひらと手を振った。徳永と久家が搬送された病院は、〈中央議会所〉から歩いて行ける範囲にあった。
 
「こちらです」
「ありがとうございます」
 面会時間ギリギリに滑りこんだ松本に病院側はイヤな顔一つしなかった。本来であれば面会時間を厳守するようお叱りが飛んでくるところだが、緊急事態であるためおとがめなし、ということである。
 ベッドの背ごと起こして松本を出迎えてくれた徳永は開口一番に、久家の容態を訊ねた。
「大丈夫。火傷とガラス片で切った裂傷がちょっと厄介だけど、命に別状はない。復帰までは多少時間がかかるだろうけど」
 松本の言葉に徳永は心底安心したようで、胸をなでおろした。
「よかったです、……その、私をかばって命を落とすなんてことにならなくて」
「うん、二人とも無事でよかった。徳永も今日は入院ね。明日は休みでいい。明後日からも違和感があったらすぐに医務室行くように。負傷して数日経ってからひどくなる、なんてこともあるからね」
「はい。お気遣いありがとうございます」
 ぺこり、と徳永は頭を下げた。
「ここからは余談だから、徳永が覚えている範囲でいいんだけど、」
「はい?」
「現場で何か気づいたことなかった?」
 松本の言葉に徳永は口元に手を当てて考え始めた。
「あ、」
「どした?」
「私たち、と話していた二人は……」
 どうなりましたか、という部分はかすれてほとんど声にならなかった。松本は徳永の心労を少しでも減らすため、努めて平坦な声で答える。
「即死だった」
「……そうですか。あの二人は、実行犯ではありますが、爆破の指示をしたものが確実にバックにいます。特に須藤と名乗った男は何らかの弱みを握られていたようですし」
「うん」
 彼らに指示をしていたのは十中八九、汪幽教の幹部で間違いないだろう。推測でしかないが、須藤と名乗った男ももしかすると以前汪幽教に入信していたのかもしれない。
「あとは、私たちの目を誤魔化すために無関係に爆破された倉庫も多数あると思います。すみません、すぐに伝えなければ、とは思ったんですが」
「いや、謝るところじゃない。本当に、二人とも生きて帰ってきてくれてよかった」
 松本が言うと、徳永はくしゃり、と泣き笑いのような顔をした。
「隊長のおかげです。隊長が、私たちの命を大事にしてくださっているのはずっとわかっていましたから」
「口酸っぱく言ってきた甲斐があるもんだな」
 ふふ、と笑いをかみ殺しながら松本が言ったところで、コンコン、と部屋がノックされた。面会自体は受けてもらえたが、これ以上は時間オーバーだという合図である。
「じゃあ、お大事に」
「はい、わざわざありがとうございました」
 すぐに復帰しますからね! と宣言した徳永に松本は曖昧にほほえんで「よろしく」と短く返した。
 
 ――そして翌々日復帰した徳永が見たものは、きれいに片づけられた松本の机とその上に置かれていた赤い腕章だった。