松本と櫻井が到着した現場には頭から流血した男性が倒れており、誰かにガラス板のようなもので殴られたようだった。誰に殴られたのかは不明だが、割れたガラスで頭を切ってもいたため病院へと搬送されていった。男性も意識は失っていたものの脈も呼吸も正常だったため目覚めを待って話を聞く、と松本は救急隊員に告げた。
「いやいや、ガラス板で殴るってなんだよ」
報告内容に思わず松本が言葉を漏らすと、櫻井がそうですよね、と相槌を打つ。飛び散ったガラスのかけらを踏まないよう慎重に足を運びながら松本は状況を把握していく。
「……この男の靴なんでこんな靴履いてるんですかね?」
櫻井は見せられた写真の靴を指さす。男は登山ブーツのような厚底で溝が刻まれている靴を履いていた。商業ビルが立ち並ぶ【住】地区七番街〈イータ〉にそのいでたちで来ないとは言い切れないが、登山にでも行くようなやや不自然な格好だった。おまけに靴底の溝にところどころ灰褐色の石のようなものが挟まっている。
「蛍石?」
松本は男の靴底の写真を見ながら言う。ほたるいし、と櫻井はオウム返しに言葉を口にした。
「そう。多分前に見たものと一緒だと思います。病院に連絡して男の靴を回収しましょう。科技研に鑑定してもらって、もし蛍石なら事情を聴かなければなりません」
「?」
「蛍石って、もう〈ヤシヲ〉だとほとんど採れないものです。採れるとしたら密採掘になりますからね」
「……なるほど」
副隊長、物知りですねと言う櫻井に、前の部隊でしぬほど仕込まれた、と松本は返した。ある程度の教養がないと【貴賓】地区の警備は務まらない。
「あ、櫻井さん、科技研の担当者ご存知ですか?」
科技研――科学技術研究局は様々な研究を取り扱う研究所だ。〈アンダーライン〉の一部隊につき数人の研究者が担当してつき、依頼があれば鑑定や科学調査を行っている。入局は自警団とは別個に行われており、現役の局長の判断に任されている。【中枢】地区にある国立大学を卒業した者が入局することが多い。
「ああ、それでしたら元岡さんって女性ですよ。機転もきくし、頭もいいひとです」
まあ、うちの場合隊長が隊長なので、それなりの人が相手をしてくれるんですよね、と櫻井は言った。
「なるほど」
とりあえず連絡しますか、と言って松本は支給された業務用端末を取り出し、六条院へとつながる四桁の番号を叩いた。
○
『――わかった。すぐに元岡に繋ごう。結果はこちらに送ってもらえるように手配するから、一度戻れ』
「了解しました。戻ります」
松本は通話を終了させると、櫻井を振り返った。
「目撃の情報は聞き出しましたし、このあたりの監視カメラは手に入れたので、帰ってから見ましょうか」
「了解です。ところで副隊長、本当に【住】地区の巡回初めてですか? すごく手慣れてませんか?」
松本の手回しの良さに櫻井は疑問を口にする。
「まあ、一応教育訓練機関にいろはは叩きこまれましたからね。あと【貴賓】地区ではここ以上に監視カメラもありますし、なにか異変が起きたときの調査はもっと早いんですよ」
「なるほど。俺も一回くらい第五部隊行ってみてもいいかもしれません」
「……まあ、話せないことはたくさんできますし、家も【中枢】地区の官舎に限られるので家族がいる方にはおすすめできません」
「……では、やめておきます」
今度娘が結婚するんですよ、と言う櫻井は父の顔をしていた。
第三部隊の本部・執務室に戻ってくると、すでに鉱物の鑑定結果が出ていた。迅速さに感心する。
「すごく早いんですね」
「ものによる。今回は松本が蛍石だろうと検討をつけていたから早かっただけで、何かわからないものを特定するのはかなり骨が折れる」
六条院は表情ひとつ変えずに結果を松本に見せた。端末に届いた鑑定結果を示す画像には、
――蛍石特有ノ発光ヲ確認。ヨッテ、蛍石ト断定スル。
とだけ書かれていた。
「結果は簡易なものになる。詳しい結果がほしければ元岡に連絡するといい」
連絡先はこれだ、と言って六条院は元岡の名刺を出した。元岡佐都子、と書かれた名前の横に電話番号とメールアドレスが書かれている。名刺自体は六条院の持ち物であるため、松本は端末で写真を撮った。
「承知しました。ありがとうございます」
松本が頭を下げる横で、櫻井が口を開いた。
「映像解析室を借りてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない。松本にも使い方を教えてやってくれ」
「承知しました」
櫻井は目礼すると、松本をいざなって執務室をあとにした。
「映像解析室ってなんですか?」
執務室を出た途端、興味を抑えきれない様子の松本が櫻井に訊ねる。
「呼んで文字の如くですよ。先ほど副隊長が持ち帰られた映像を解析機にかけるんです。基本的にこの国に定住する人間の顔情報は登録されていますから、もし映像に誰かの顔が写っていたらそこから割り出せます」
まあ個人情報と公共利益のはざまで揺れている制度ですけど、こういう時には手っ取り早くて助かります、という櫻井に松本は訊ねる。
「もし顔がマスクや目出し帽なんかで隠れていたらどうするんですか? あと不法入国している人間も」
「……その時は、人力で頑張るしかないです。もっと技術が進んで、骨格データベースでもできれば目出し帽やマスクでも解析できると思いますが、不法入国には打つ手なしですので」
がんばりましょうね、と微笑む櫻井に松本はひきつった笑みを浮かべることしかできなかった。――松本は端末を含む電子機器の光にも弱い。
○
「休憩!」
解析を始めて一時間後、松本が先に音を上げた。櫻井も椅子に座ったまま、背伸びをする。
「まあ、一時間やりましたし、一度休憩しましょうか。副隊長、サングラス使ってもいいんですよ」
「いや、サングラス使うと色が分からなくなるからだめです。それで見逃したりしたらいやなので」
「ああ、それならサングラスよりも程度の軽いメガネをつくってもらいましょうか。ほかの隊員もたまにかけてますよ」
「ありがとうございます。申請は自分でしますので、やり方を教えてください」
松本が礼を述べて肩を回していると、松本の端末が音を立てた。
「もしもし」
『もしもし――あ、わたくし科技研の元岡と申します。第三部隊、松本副隊長のお電話ですか?』
「はい、そうです。先ほどは迅速に対応していただきありがとうございました」
耳もとで名乗ったのは科技研の元岡だった。聞きやすい声に松本は少しホッとする。六条院に松本へ直接連絡するよう言われたのだ、と前置きをして元岡は話を続ける。
『いえ、松本副隊長が見当をつけていてくださったのでこちらも助かりました。ありがとうございます。先の解析とは別で、靴に着いていたガラス片も解析したのですが、結果必要ですか?』
「助かります。いただける情報はなんでも手掛かりになりますから」
『わかりました。では、松本副隊長の端末にお送りします』
「ありがとうございます。あ、あと」
『はい、なんでしょうか?』
「蛍石、どこで採れたものかわかりますか? なんとなく、彼から【住】地区十番街〈カッパ〉にあるデミタス鉱山のにおいがした気がするんで、検証できそうでしたらお願いします」
現場で妙な湿ったにおいがした、と松本は思っていた。デミタス鉱山自体は小さいが、昔は銀を産出していたらしく、今は観光地と化している。昔行ったときにかぎ取ったにおいが被害にあった男からもしていた。
『石の採掘場所の検証は進めています。もし密採掘ならば、ほかにもいる人足を摘発してもらう必要がありますので。ただ、デミタス鉱山から蛍石が採れるという情報は聞いたことがありませんが』
「密採掘ならどこでも可能性があると思うんです」
松本の言葉に元岡は一瞬黙りこんだが、わかりました、その線でも検証を進めてみます、と言って電話を切った。
元岡が松本へと送ってきたデータは簡潔でよくまとまっていた。ガラスは簡単に解析ができたらしく、ユウヒガラスで生産されているものだと文字が並んでいた。そもそもガラスは基本的に大きくすることが難しいが、それを技術的に可能にしたのは国内でも有数のガラスメーカーだけだった。他社のガラスからは検出されない特殊成分が含まれているため確定した、と書かれていた。
「いやでもこれだけじゃだめだな……」
ガラスだけならば一般の人間でも買える。もっと核心的な部分に迫らないと誰がどうして殴打したのかは闇の中のままだ。そして松本の胸には一つの疑問が浮き上がる。――そもそも、この事件にガラスメーカーの人間が絡んでいるのか。蛍石は、鉄などの金属の精製への使用が工業的には有名だ。企業の調達費用を抑えたいのか、あるいは。
「松本」
松本がもらったデータを手に考え込んでいると、いつの間にか背後にいた六条院が声をかけた。
「なんでしょうか?」
「病院に運ばれた被害者の男性だが、先ほど意識が戻って明日には話をしてもいいらしい。明日の勤務時に聞き取りに行ってくれ」
「承知しました」
松本は軽く頭を下げると、データに目を移した。
「……フローライト」
ぼそ、とつぶやかれた言葉に松本は顔を上げる。だが、六条院自身は独り言を拾われると思っていなかったらしく、少しだけ驚いた顔をしていた。松本はしまった、と思うものの、一度見せてしまった反応は取り消せない。
「ええ。採掘した場所がわかれば、ヒントになると思ったんですが、元岡さんに俺の考えはあまり肯定的に受け取ってもらえなかったみたいです」
「まあ、そうだろう。〈ヤシヲ〉の地理を知っている人間はまずデミタス鉱山という名をあげたりはしない」
「でも、したんですよね。あの男性から、デミタス鉱山にしみついている銀のにおい」
この国で銀が採れていたのは、そこしかない、と松本は静かに言った。もうとっくに採りつくしてしまい、今は国外からの輸入に頼るしかない状況だった。
「……そんなことまでわかるのか」
「信じがたいですよね」
松本は六条院の言葉に苦笑した。
「いや、信じよう。わたしはそなたのその能力を評価したからここに呼んだ」
「……」
役に立てば、と思って入隊を決めたが本当にこの能力を評価して使おうと思ってくれる人がいたとは思わなかった。
――大丈夫、いつかその能力を評価してくれる人が現れるよ。
そう言って松本の頭を撫でてくれた人がいる。そんな昔の記憶に松本はそっと蓋をした。
「松本?」
「いえ、ありがとうございます。まさか隊長ご自身が俺を呼んでくれたとは思ってもいなかったので驚きましたが」
てっきり南方隊長の推薦だと、と松本が続けると六条院は首を横に振った。南方は松本の元上官だった。
「南方隊長はもちろんだが、わたしも推した」
「それは、光栄です」
「そうかしこまらずともよい。とはいっても難しいだろうが」
この話し方は直せなかった、と六条院は少し悔しそうに言った。
――この人、もしかしてものすごく人間らしいのかもしれない。
松本は人形みたいに整った顔立ちをしており、近づきづらいと感じた六条院への第一印象を書き換えた。
「それはともかく、わたしからも元岡に進言しておこう。松本の考えも信じてやってくれと」
「助かります」
「部下を援護するのがわたしの仕事だからな。ひと月後からは、そなたも同じ仕事だ」
「はい」
なるほど、今から手本を示してくれるというわけか、と納得して松本はデータに視線を戻す。それならばこのひと月は松本が思うようにのびのびと過ごそう、と決めた。
「ああ、言いそびれたが」
「はい?」
「無茶をすればよい、というものではない。きちんと休養もとるように」
ただでさえ感覚が鋭いのだから、環境になれるまでは無理をするな、と言って六条院は松本に背を向けた。
「……なるほど、なあ」
悪いようにはならないと思う、と言った櫻井の顔が松本の脳裏に浮かんで消えた。