第一話 Fluorite(CaF2) - 3/6

「あ!」
「ん?」

 監視カメラの解析を進めることさらに数時間、櫻井が声を上げた。副隊長、と呼ばれたので松本は櫻井の横にキャスター付きの椅子ごと動いた。

「こいつじゃないですかね?」

 櫻井が指さした先には、ちょうどガラス板が被害者の頭上に構えられた瞬間があった。残念ながら帽子を目深にかぶっている挙句にマスクをつけており、目元も髪で見えなかった。

「写ってますけど、これじゃわからないですね」

 付近の防犯カメラの映像を片っ端から見ていき、かろうじて顔がカメラを見ている瞬間がようやく見つかったが、わかったことと言えば加害者も男で小柄だがかなりの腕力がありそうな体型をしていることくらいだった。

「振出しに戻る、か」

 椅子の背にもたれながら松本はうめいた。

「明日被害者に話も聞けますし、振出しまで戻ってないですよ」
「それ待つしかないかー……。よし、今日は申し送りして上がりましょう」

 ふう、と松本は小さく息を吐く。一部隊の勤務体系は四班三交代制である。日勤、夕勤、夜勤の時間帯に区分され、五日働いたのち二日の休日を取ることになる。一般的な企業ではもう少し休日日数も多いが、〈アンダーライン〉は人員に余裕がないこともあいまって、中々これ以上の改善は見込めそうになかった。

「そういえば、副隊長、お住まいは?」
「え? 今寮に空きがないって言われたから隊舎の一角をお借りしてます」
「なんで?」

 思わず敬語も忘れた櫻井が松本に訊ねる。

「なんで、と言われましても」
「あ、副隊長への疑問ではなく、もっと上への疑問です。普通副隊長以上は独身であっても、寮ではなく家を借りる権利があるんですが、それはご存知ですか?」
「ええ。でも、今回特に案内も来なかったので、まあそういうものかと」

 寮に入るのは基本的に隊員である。隊長、副隊長といった幹部が住むと業務外にも気を遣うことになるため、入寮するものはほとんどいない。

「……違います。それは絶対に手違いです。第五部隊は何かと特殊ですから、ちゃんと案内するように言っておいたんですが……。こちらの落ち度です、すみません」

 頭を下げる櫻井に松本は慌てて手を振る。

「こちらこそ、確認せずにすみません。とりあえずしばらくは隊舎暮らしで全然構いませんので」
「副隊長が構わなくても他の隊員が構いますのでだめです」

 うんうんと櫻井は唸っていたが、妙案は思いつけなかったようで「隊長に相談しましょう」と言って松本の手を引いた。

 執務室に戻った二人が松本の住まいについて六条院に相談すると、六条院は沈痛な面持ちでこめかみを指で押さえた。

「……松本、次に同じようなことがあればまず誰かに確認をとれ。ここは第五部隊とは違うことがたくさんある」

 寮を断られたのも当然だ、と六条院は松本に言う。寮の空きはあるが、隊長、副隊長が申請を出した場合はまず「満室です」と言って断られてしまう。

「はい……すみませんでした」
「とはいえ、松本が使っているスペースは緊急時に隊長、副隊長が仮眠をとる場所ゆえ使用自体は問題はない。そこ以外に荷物を置いている場所があり、使用料がかかるならば経費処理に回すように。経費で落とすことはわたしが許可する」

 六条院はそこで一度言葉を切り、松本を見た。

「今置いている荷物以外はありません。向こうで使っていたものはほとんどが貸与品でしたので返却しています」
「承知した。では次。仮眠スペースの使用期間はひと月とする。ひと月の間にきちんと家探しをして、自宅を設けろ。そなた、昼間にわたしが言ったことを忘れたわけではないだろうな?」

 ――環境になれるまでは無茶をするな、きちんと休養をとれ。

 この言葉はもちろん、安心して休養をとれる場所があることを前提に言ったが、まさかその場所すら用意していなかったとは、と六条院は内心で呆れる。

「どこでも休めるのも〈アンダーライン〉隊員の適正に含まれるが、一番のセーフハウスはもっておくべきだ」
「……はい」
「それと、隊舎で私生活も過ごすのは、公私が曖昧になるゆえ推奨されない」
「はい」

 滔々と語られる言葉は正しいことばかりで、松本は「はい」と返す以外にない。まるで返事のピッチングマシーンになったようだ、と思いながら真面目に聞いていると、六条院はため息をついた。

「なお、斡旋物件もある。明日総務に問い合わせてみるといい」
「……何から何まですみません」

 松本は六条院に深々と頭を下げた。六条院は、申し送りを済ませて上がれ、と声をかけて自身も席を立った。

「お疲れ様でした」

 松本と櫻井が挨拶をすると、六条院はふたりを振り返り「そなたたちもよく休め」と柔らかな声でもってねぎらった。
ぱたん、と部屋の扉が閉まる。

「……優しい人、なんですね」
「ええ」

 そうなんですよ、と言う櫻井の声も同じように優しい響きをしていた。

 翌日、松本は総務からの斡旋物件の情報と、元岡からの情報を一緒に見る羽目になった。

「……忙しい」
「そりゃそうですね」

 独り言を櫻井に拾われる。通常であれば部隊が変わる際に済ませておくはずの住居の移動が住んでいないのだから道理である。

「昨日聞きそびれましたけど、今総務に出してる住所はどこなんですか?」
「……俺が、ここに入るまで世話になってた人の家ですね。もちろん【住】地区ですけど」
「それで通す総務には俺からきっちり苦情を言っておきます」

 ベテランの櫻井は苦い顔で言った。〈アンダーライン〉の隊員は【中枢】地区に住まうのが義務だ。入りたての隊員は実家の住所を書いているが、これは配属が決まるまでの暫定措置である。

「いくら副隊長がお若いからってこれはさすがにないです。ナシ!」
「……ありがとうございます」

 本気で怒っているらしい櫻井に松本は礼を言う。

「とはいえ、だからといって勝手に隊舎に住むのもないです」
「それは、申し訳ありませんでした」

 隊舎には仮眠室もあり、大浴場もあり(汚れた現場に行ったあとに使用する隊員が多い)、ランドリースペースも食堂もある。衣食住のすべてが賄える隊舎は住居としてかなり魅力的だと松本は本気で思っているが、これを口にした瞬間櫻井と六条院に怒られることは明白だったため、口をつぐんでいた。

「あ、元岡さんから追加の情報来ましたよ。分析、終わったそうです」

 櫻井が端末を見ながら声をかける。

「――副隊長の考え通り、デミタス鉱山で間違いないそうです」

 被害者の靴はまだ科技研にある。石以外の土の成分から他と比べて特徴的に多い銀が検出されたとのことだった。

「……俺もまさかと思いましたけど、あっててよかったです。あと、もう一つ気になっていることがあって」
「なんでしょう?」
「あの現場のガラスってカモフラージュの可能性、ないですか? そもそも蛍石って鉄やアルミなんかを製造するときに加えられているものでしょう。あまり目立たない役割ですが、工業的にはこちらでの使用量が圧倒的に多いと思います。特に鉄は、すべての産業において使われますから」
「鉄鋼業界を疑う必要があるということですか?」

 櫻井の問いかけに松本は首を縦に振った。

「密採掘をするメリットがあるのはおそらくそちらだと思います」

 松本は元岡のデータの最後に書き加えられている言葉を櫻井に見せる。
 ――近年は人工のホタルイシ合成も進んでおり、ガラス製造においては人工ホタルイシが使用されることが増えているため、密採掘のメリットは大きくないと推測される。

「いずれにせよ、被害者に話を聞かないとわかりませんね」
「……素直に話してくれればいいですが」
「しばらく〈アンダーライン〉で匿ってもいいでしょうし、そのあたりの交渉は俺がしますので、副隊長は援護射撃を頼みます」
「了解」

 面会の時間まではあと三十分。そろそろ準備をするか、と言って松本は腰を上げた。