第一話 Fluorite(CaF2) - 4/6

 松本と櫻井が案内された病室は真っ白かと思いきやパステルカラーで彩られており、病院のイメージを覆す内装だった。ガラスで切った傷と、脳震盪を起こしていたことから一晩強制的に入院させられた、と不貞腐れたように話す被害者に松本は苦笑した。搬送されたときは気が付かなかったが、よく見るとまだ少年といっても差し支えない顔立ちの被害者は自らをシュウ、と名乗った。どうやら若い見た目の松本に心を開いてくれそうだ、と判断した櫻井は松本の後ろに控えることにした。

「……住んでいる場所も教えてくれるか?」

 松本が訊ねるとシュウは知らない、と首を横に振った。

「おれたちが住んでいたのは、窓のない建物だったから、知らない。住所なんてきかれたこともないし、教えられたこともない」
「……そうか」

 おれたち、と言ったのを松本は聞き逃さなかった。確実にシュウ以外にも同じような環境に捕らわれている人間がいる。

「年齢は?」
「……それも、わからない。多分、十七くらいって」
「誰かに言われた?」

 松本の問いかけにシュウは首を縦に振った。しかし、その誰かの名前は迂闊に口にできないものなのか、ぎゅっと唇をかみしめていた。

「言えないことは、言わなくていい。でも俺はシュウに話を聞くのが仕事だから質問は続ける」
「……うん」
「シュウは、なんで昨日あの場所にいたの?」

 シュウはしばらくぎゅっと唇を引き結んだまま黙っていたが、ちらり、と松本を見た。

「……おれの話、言わないでくれる?」
「ああ」

 〝誰に〟という目的語が抜けていたが、松本は違うことなく理解した。言わないよ、と約束をしてシュウに続きをうながすとようやくシュウは重たい口を開いた。

「おれ、家族も頼れる人もいなくて、ずっと〈カイ〉にいた。〈カイ〉にまともな仕事なんてないし、そもそも汚い人間ばっかりだったんだけど、ある時、そいつが来たんだ」

 【住】地区二十一番街〈ファイ〉以降の【住】地区は治安が良くない。〈アンダーライン〉では四部隊が六地区ずつ担当して治安維持にあたっているが、呼び出しは圧倒的に二十一~二十四番街での事件が多い。おそらくこの少年は【住】地区二十二番街〈カイ〉で生まれ育ったのだろう、と検討をつけて松本は話の続きを促した。

「そいつは、若い人間を探して仕事を与えているって言ってた。おれ、スーツなんて着てる人、初めて見たから、」

 ――信用してついて行ってしまったのだとシュウは言った。
 だが、シュウが連れて行かれた先は新たな地獄だ。目隠しをされてトラックに乗せられ、日中は暗い鉱山の中で働き、また目隠しをしてトラックで帰り、夜は窓のない家で眠る。そんな生活をしていれば遅かれ早かれ人間の神経は狂う。かろうじて給金は出ていたというが、それを使う暇もない。――こんな生活を続けるくらいなら、いっそ死ぬことを覚悟で抜け出そう。
 そんな決意をしたシュウがそこを抜け出すまでにはあまり時間がかからなかった。

「採れたものを運ぶための地下道があったから、それをたどって出た先があそこだった」

 つまり偶然〈イータ〉に出てきたのだと言うシュウに、なるほど、と松本は相槌を打った。どうりであの場所にそぐわない格好をしていたわけだ。

「ところで、これ、君の?」

 シュウの話がひと段落したのを見計らって櫻井がシュウの靴の写真を見せながら訊ねる。科技研の報告ではシュウの靴にはGPS端末が巧妙に仕組まれていた。おそらく脱走をしても位置を把握するためだろうが、地下道を通ったおかげで地上に出るまで、位置が割れなかったのだろうと推定される。

「うん」

 うなずくシュウに松本は思わずため息をつく。ものを知らない少年たちをさらい、勝手に働かせて管理をする――なんて卑怯で姑息な手段だろうか、と憤りを抱きかけ――慌てて鎮火させた。

「シュウ」
「……?」
「シュウがこれまでにやってきたことは資源の密採掘――簡単に言ってしまえば犯罪だ」

 やはりか、という顔をするシュウに松本はそんな顔をするな、と笑った。

「だけど、何も知らない少年をただ同然で働かせて、勝手なことをしたその大人はもっと悪い。必ず俺たちが捕まえるから、シュウに協力をしてほしい」
「協力?」
「退院したあと行く先あるか? なければしばらく俺と住むってことでどうだ?」
「松本副隊長!」

 櫻井の声が叱責の色を帯びる。家も決まっていない人間がなにを言うのか、という響きに、松本はいいだろう、と言った。

「あなた隊舎に住んでいるのにそこに住まわせてどうするんですか!」
「いや、年もいいころだし見学でもなんでも言えばいいじゃないですか」
「機密事項もたくさんあるんですよ……」

 引き下がらない櫻井に、松本はよし、と言って端末を取り出す。

「俺の決定で不服ならば隊長の力を借りましょう」

 隊長が許可を出せばいいだろう、と言って松本は六条院へと電話をする。そういう問題ではないが、櫻井に松本を引き留めることはできなかった。
数分して戻ってきた松本は晴れやかな顔をしていた。電話の向こうの六条院の苦労がしのばれる、と櫻井はこめかみを押さえた。

「隊長から許可が出た。明日俺がまた迎えにくるから、しばらく一緒に暮らそう」
「……いいの?」
「まあ、もてなしてはやれないし、この事件が解決したあとまでは面倒見てやれないが」

 松本の言葉にシュウは少し考えて「ありがとう」と礼を言った。松本は傷の付近を避けてシュウの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 

「まったく、何考えているんですか」
「……申し訳ない。でも、こうするしかないと思ったんです。このまま放置したらあの子の命に危険が及ぶし、一番よくて元の場所に戻るだけですから」
「隊舎には機密も多いんですが」
「それは、おそらく大丈夫です。あの子は字が読めないと思いますから」

 【住】地区二十二番街〈カイ〉地区の人間の識字率はおよそ四割。だがそれは元々別の地区に住んでいた人間の識字率であることがほとんどだ。

「だから、俺たちが話すことに気をつけてさえいれば、大丈夫です」
「何かあった時にあなたの首だけじゃ済まなくなっちゃいますよ」

 櫻井の声は純粋に心配の色を帯びており、松本は罪悪感を抱く。

「そうですね。……でも、俺は俺の手が届く範囲で出会ってしまったあの子どもを見捨てることはできません。俺も、似たような境遇で救ってもらえたから、俺じゃない誰かにその恩を返すことが、俺にできる唯一なんです」

やっとできる地位になった、と言う松本に櫻井は一言だけ、

「……わかりました」

と返した。

 松本は約束した通り、シュウを隊舎に迎え入れて一緒に過ごすようになった。昼間はシュウを使っていた人間を洗い出すため、鉄鋼系メーカーの社員とガラスメーカーの社員の写真(鉄鋼系メーカーが本命だが念のためガラスメーカーも入れられているせいで膨大な量になっていた。これらは櫻井が映像解析室のデータベースから引っ張ってきたものだ)を端から端まですべて見せている。長い間地下と暗い空間で過ごしてきたシュウの集中力は長く続かない。三十分もすれば、明るさに耐えられなくなって休憩、という調子であるため、中々確認作業は進まなかった。

「……ごめん」
「何が?」

 冷やしたタオルを目の上に乗せられながらシュウは小さな声で謝罪をした。松本はその謝罪にいつもの調子で返事をする。

「時間、かかってて、困ってるだろ」
「いや。ほかの事件に比べたらスムーズで助かるよ。もっと手がかりが少ない事件なんてたくさんある。おまけに俺も光には弱いから休憩をもらえて助かってる」
「……」

 松本の言葉にシュウは何も言い返さなかった。

「松本、さん」
「別に呼び捨てでもいいよ」

 松本がそう言うと、シュウは慌てて首を横に振った。

「よくない! だって、松本さんえらい人なんでしょ?」
「階級上は、な」

 少し年が離れた兄貴みたいな感じで接してくれていいのに、と松本は思いながらシュウの頭を撫でる。

「本当にいいんだよ。俺の部下ならまだしも、そんな気は遣わなくていい」
「……でも、おれを助けてくれた人を呼び捨てにするのは、よくないと思うから」

 シュウの答えに松本は少し驚いたが、なるほど、と独り言ちる。素直なこの少年にどうか未来の光があってほしい、と思いながら松本はシュウの頭を撫で続けた。

「休憩、もう少しいるか?」
「ん、大丈夫。おれ、がんばれるよ」

 シュウはちらり、とタオルの下から目をのぞかせた。

 

 そこから幾度かの休憩をはさみながら写真を見ていると不意にシュウが「あ、」と声を上げた。

「これ……こいつだ、おれに声かけてきたのは。あとこの写真の横のやつになぐられた!」

 興奮したように写真を指さすシュウに松本は慌てて訊ねる。

「間違いないか?」
「おれに声をかけてきたときは、もう少し年食ってた気がするけど、そう。こいつだ」

 シュウが反応したのは小さな鉄鋼系メーカーの人間だった。平尾優紀《ひらおゆうき》――所属は調達部と書かれており、松本の中で一本の糸がつながる。推測通り、調達先もしくはコストに困って、自家調達を考えたのだろう。おそらくもっと大きなメーカーであれば自家調達は選ばない。生産量が桁違いだからだ。

「ありがとう。シュウのおかげで俺たちも動ける」
「……そうなの?」
「あとは、お前の仲間たちが働いているところをおさえれば解決だ」

 それは俺たちじゃなくて別の部隊がやるけど、と言って松本はシュウの前に表示していた写真にチェックをつける。

「そうなの?」
「ああ、あくまで俺たちの仕事は警備と治安維持だからな。こういうところで調査や証拠集めをするのは、別部隊だ」

 長期で対応する必要のある案件は、自警団と並列で運営されている別組織〈ミドルライン〉が担当する。なお〈トップライン〉も存在するが、そちらは【中枢】地区の要人警護――つまるところSP業務が主だ。〈アンダーライン〉が担当するのは大体一週間程度で済むような事件が多い。文字通り、都市国家〈ヤシヲ〉の〝下線〟部分を支える組織だ。

「……じゃあもう、松本さんとはお別れ?」
「はは、なんだ、寂しくなったか?」

 シュウに松本が問いかけるとシュウは首を縦に振った。ああそうなのか、と松本は思わずシュウの頭を撫でる。

「ずいぶん俺に懐いてくれたなあ。大したことしてねえのに」
「だって、」

 まともに世話を焼いて話をしてくれた人間なんてこれまでにいなかったんだ。
 そう言ったシュウはぎゅう、と拳をにぎりしめた。

「ねえ、松本さん」
「ん?」
「今から、おれみたいな人間でも、どうしようもない人間でも、やり直せるかな」

 今度はちゃんと、いろいろ知って、騙されずに堂々と働きたい、と言うシュウに松本は二枚の名刺とA4サイズの紙を手渡した。

「? おれ、よめないよ?」
「お前みたいに、教育を受ける機会を逃した人間を受け入れる機関の名刺と俺の名刺。保護厚生施設を兼ねてるから、ここからやり直せ」

 本来ならば司法の裁きを受ける必要があるだろうが、無知な彼らから労働力を搾取した方が圧倒的に悪だ。被害者でもあり、犯人逮捕への協力をしたシュウには、懲罰を受けるより、早くやり直しの機会をやりたいという松本のエゴもある。明日にも、〈アンダーライン〉と懇意にしている司法関係者と書類を作れば、シュウの行き先は決まるだろう。そして、ガラスで殴られた分の治療費と慰謝料が彼の元に行くはずだ。

「この、紙は?」

 シュウはぺらり、と紙をつまみ上げた。

「お前の顔から照合をかけたら、きちんと戸籍があったから取り寄せておいた。東風周だってよ。いい名前じゃねえか」
「これ、おれの名前なの」

 シュウは紙に書かれた自分の名前を物珍しそうにまじまじと見つめた。

「ありがとう、大事に持ってる」
「ん? あ、待て待てその書類は施設に入るときに必要だから、お前の手元には置けないんだ。今書いてやるから待ってろ」

 松本はそう言って、手元のメモ用紙にシュウの名前を書きつける。松本の字は角ばっているが、丁寧に書かれたそれをシュウは嬉しそうに受け取った。

「……もっときれいな字がよければ隊長に書いてもらうけど」

 教養レベルと日常の所作の優雅さや文字もきれいさは六条院の方が圧倒的に上だ。だが、シュウは首を横に振った。

「ううん。おれ、松本さんに書いてもらったものがいい」
「それなら、いいけど」

 ちょっと恥ずかしいな、と言いながら松本は照れたように笑った。そして椅子から立ちあがってぐっと背伸びをする。

「よし、隊舎に戻って飯食うか」
「うん」

 時計を見ると午後六時。松本の定時からは一時間ほどすぎていたが、不思議とあまり疲れは感じていなかった。