六条院はしばらく玄関の方角を見つめていたが、持って帰ってきた鞄を慌てて掴んでもう一度家を出た。松本が姿を消してから数日は、敢えて彼の移動記録を追っていなかったが、こうなってしまっては調べるしかない。【住】地区の区界および【中枢】地区への出入りについては記録を追うことができる。無許可の閲覧権限を持つのは副隊長以上のため、六条院は本部へ向かいながら稲堂丸に連絡をいれた。彼は一連の事件に動きがあった場合の待機要員として、ひとり本部で待機していた。
「もしもし」
『おう、どうした?』
なんか、慌ててねえか、と訊ねる稲堂丸に簡単に経緯を説明すると、鼓膜が破れんばかりの勢いで怒鳴られた。
『ばかやろう何考えてやがる! どうして確保しなかった!』
「すまない。だが、確保したところで彼の身体能力では逃げられるのが関の山だ」
『だからって行かせていい理由にはならねえだろうが』
苦言を呈する稲堂丸に六条院は謝罪を重ねた。
「だが、これ以上話す時間が惜しい。今すぐにわたしももう一度本部に向かうが、その間に松本のここ三日の移動記録と今の移動記録を調べてもらえぬか」
『……わかったよ。志登がまだ残ってるから調べさせとく』
「この三日で松本は【住】地区のほぼ全域を回ったうえで【中枢】地区に戻ってきているはずだ。その中で松本が、最後に滞在した場所、もしくは滞在時間が一番長い場所に〈ノライヌ〉が潜んでいる可能性が高い」
【住】地区の区界および【中枢】地区への出入りは生体認証であるが、それは人間に限った話だった。動物の記録は個体識別のためのチップをつけているものだけ――つまり人間に飼育されている動物のみだ。そのような条件でのみ移動記録が取られている現状、〈ノライヌ〉は人間とは違うと認識されて記録されない。
『了解。他の部隊の人間たちにも召集をかける。各地区の監視カメラデータもリアルタイムで見られるように整える。とにかくお前は安全に気をつけてすぐに来い』
いいな! と念を押され、六条院がわかった、と言おうとした瞬間に通話は切られていた。六条院は苦笑して、端末を鞄にしまうと走り出した。彼の家から本部は走った方が早く着く。
「……必ず見つける」
〈アンダーライン〉で見つけるまでどうか無事でいてほしい、と六条院は強く願った。
○
「誰だ」
【住】地区二十三番街〈プサイ〉の一角、廃れた建物の中に足を踏み入れた松本にぎゅっと尖った視線が向く。松本は目視で四人いることを確認した。
そのうちのひとりが再度口を開く。
「……誰だ」
その声に松本は肩をすくめ、平坦な声で言う。
「同胞《きょうだい》を忘れたのか? 薄情なやつだな」
「同胞《きょうだい》? そんなものが俺たちの関係性か?」
喉奥で唸るような声で発せられた言葉に松本は考える仕草をした。
「……俺とお前らでは決定的な差がある。お前たちは同胞《きょうだい》だろうが、俺は違うな」
――俺は〈成功例〉で、お前たちはまぎれもない〈欠陥品〉だ。
松本の言葉に相手の怒りの気配が濃くなると同時に動く音がして、松本の前に拳を振り上げたままのひとりが姿を現した。松本は敢えて避けずにその場に立っていたが、その拳が松本の頬を捉えることはなかった。
「ヨト、落ち着いて。すぐ頭に血が昇るのがあなたの悪い癖だ。正当防衛を狙われていることくらいわかるでしょう」
「放せよ、サン」
「あなたが拳を下ろしたら放す」
サン、と呼ばれた女がヨト――最初に松本に話しかけてきた男だ――の腕をつかんで止めていた。瞬発力だけを見ると、自分以上だと松本は思った。
サンは言葉通りヨトが拳を下ろすと同時に彼の腕を解放した。そして、松本を見つめる。
「でも、あなたも悪い。三十二も、謝って」
「断る。俺は事実を言ったまでだ」
松本がすげなく断ると、サンは残念そうな顔をした。
「それに俺がここに仲良く昔話をしに来たと思うか? ――俺は、お前たちに対して猛烈に腹を立てている」
松本は静かにそう言った。その声に呼応するように横から二つの声が重なった。
「ニンゲンを殺したから?」
「おれたちが三十二の暮らしを脅かしたから?」
平和に暮らせるはずなんてないのに、という声が重なる。いっそ幼いといっても過言ではないその声に、松本は頭を抱えた。――たしかにあの実験には幅広い年齢層が参加していた。
「その質問にはどちらもイエスと答えておく。お前たちは今でこそ人間として認識されないが、元は人間だ。そのお前たちが他の人間を殺して、他の人間の安全を脅かしている。俺は、その行いを許さない」
松本のその言葉に、少年たちはふうん、と興味なさそうな返事をした。
「三十二だって、ぼくらに説教できる立場じゃないでしょう? ねえ、ヘータ」
「ショーの言う通りだね。おれたちは〈世界を滅ぼす〉大戦に出ていないけど、三十二はそこで何人殺したの? おれたちに説教するなら、まず三十二の話からでしょう?」
にこにこと無邪気な笑みを浮かべたまま、少年たち――ヘータとショーは松本に問いかける。松本は少年たちの問いかけに対して質問で返した。
「さて、何人だったかな。お前たちは何人だと思う?」
「質問に質問で返すのはずるいよ」
「そうだよ」
文句を言う少年たちを松本は「子どもの屁理屈に付き合ってる暇はない」と切り捨てた。子どもじゃないよ、と二人は唇を尖らせたが、松本から見ればその仕草自体が子どもだ。
「俺が〈世界を滅ぼす〉大戦で何人殺したかなんて今は関係ない。今ここで俺が知りたいのは、お前たちがなぜ殺人を犯したか、それだけだ」
「それを知って三十二はどうするの?」
松本の言葉にサンが問いかけた。
「どうもしない。俺がお前たちの言葉を聞いたからといってお前たちの罪が軽くなるわけでも、まして消えるわけでもない。ただ、今までずっとおとなしくしていたお前たちがなぜ今活動を始めたのか、それだけが知りたい」
「ふうん。三十二は不思議なことを知りたがるのね」
サンは心底不思議そうに松本を見つめた。松本は三十二と呼ばれるのがただひたすらに不快だ、と思いながら彼女の言葉を聞く。サンはそこで口を閉じ、代わりにヨトが話し始めた。
「お前が今さら人間の中で生活をはじめて、俺たちのことなど歯牙にもかけず、のうのうと生きているからだ。まさか、自警団〈アンダーライン〉に入っているとは思わなかったが、そんなお前に俺たちの存在を手っ取り早く知らしめる方法がこれだった」
「……やはりお前たちは決定的に〈欠陥品〉だな」
松本は吐き捨てるように言った。そんな下らない理由で四人も殺したのか、と抑えていたはずの怒りがまたふつふつと沸き上がってくる。彼らは松本の特性を間違うことなくわかっていて、利用したことが理解できた。松本のせいでこの殺人がおきた、と言えば松本が必ず悔やむと思われたのだろう。
「でも、〈欠陥品〉だろうが、なんだろうが、ひとつだけ理解してやれることがある」
松本はそう言うと、じり、と右足を後ろに引いた。
「――お前たちはずっと、寂しかったんだな。だからこんなことをして、俺の気を引こうとしたんだろう? 可哀想にな」
こんな方法しかとれなかったお前たちを俺は心の底から哀れんでやる。
松本の言葉に、ヨトが顔を歪めた。
「お前の哀れみなんて必要ない」
「お前が言ったんだろうが。『自分達の存在を手っ取り早く俺に知らせたかった』って。それを哀れんでやらずに他にどうしたらいいんだ?」
松本は引いた右足に力を込める。
「大丈夫。安心しろ、お前たちは俺がちゃんと殺してやる。もう人間ではないお前たちは、今の法で裁けないかもしれないからな」
お前たち四人の相手くらい、容易いさ、と言って松本は右足で地面を蹴った。
○
「何かつかめたか?」
六条院がアンダーラインの隊舎に着き、息せききって映像解析室に入ると、志登に出迎えられた。六条院が連絡をしてからというもの、志登とその場にいた隊員たちは各地区の監視カメラのリアルタイムデータを見ていた。数は膨大だが、やらないよりは松本の足取りをつかむヒントになるだろう、と稲堂丸が采配をしてくれたらしい。その本人は食事に一度抜けているとのことだった。
「まだです。松本、監視カメラの位置全部把握しているんじゃないかってくらい上手にカメラを避けていて全然足取りがつかめません」
「……この一年であちらこちらに行かせたからな。調査のついでに覚えていたのだろう」
「各地区に結構な数を設置してますよね……」
記憶力や学習能力も高いことは六条院も十分すぎるほど知っていた。重宝されたその能力が完全に仇となっている状況には苦笑するしかなかったが。
「敵に回したくないってまさにこういうことなんでしょうね。ただ、移動ログだけは先に出力しておきましたからどうぞ」
そう言って志登は六条院にデータを渡した。
「助かる。わたしもこれから松本の足取りを追ってみよう」
「よろしくお願いします」
六条院は早速預かったデータに目を通し始めたがすぐに頭を抱えるはめになった。
「……どの地区の滞在時間もほとんど均等だな」
「そうなんですよ。俺もあいつがそんなに抜け目のないやつだと思っていませんでした。脱帽です。星野教官なら何かわかったりするんでしょうかね?」
「どうだろうな。星野教官も離れていた期間が長いだろうから……志登!」
六条院が志登の見ていた画面を指差す。少し巻き戻してほしい、という六条院の言葉に数秒データを巻き戻して停止する。
「そこ、右下に白色の何かが映った。――今日の松本は白色のパーカーに灰色のパンツをはいていた。松本の上背を考えると今映ったものは着衣の可能性がある」
「! そこ、盲点でした。今日の松本の服を知っているのは六条院隊長だけでしたね」
解析かけます、と言って志登はすぐさま【住】地区二十三番街〈プサイ〉に設置された他の監視カメラデータを洗うように指示した。
「あ!」
志登の横でデータを見ていた別の女性隊員が声をあげる。映し出された静止画には間違いなく松本の顔が写っていた。さすがの彼も廃ビル内の監視カメラまで把握できていなかったようだ。
「六条院隊長、ここです。【住】地区二十三番街〈プサイ〉の廃ビルです!」
住所、出します! と言って彼女は住所を表示した。東十四南八、と出たその住所は現在第三部隊が巡回をしている付近だった。
第三部隊の本部に戻るのももどかしく、六条院は〈プサイ〉巡回に出ているチームの車両に搭載されている端末に直接通話を繋げた。
「至急至急、第三部隊本部より〈プサイ〉巡回チームへ。東十四南八に松本らしき人物がいることを発見。先日の〝ノライヌ〟事件の被疑者たちを発見して、一緒にいる可能性が非常に高い。自身の安全を最優先に状況確認を頼みたい。すぐに本部からも応援を派遣する」
『〈プサイ〉巡回チーム、了解!』
ここ数日の体調不良、という言い訳はどうやら隊員たちも薄々怪しいと思っていたのだろう。隊員たちは疑問を口にすることもなく、六条院の指示を聞いた。
「志登、わたしは救急の手配をしてから現場に向かう。場所の移動や、状況の変化があれば迷わず連絡をしてほしい」
「了解です。お気を付けて。隊長には俺から状況を説明しておきます」
六条院は映像解析室に詰めている第一部隊の隊員たちに向けて頭を下げて、部屋を出ていった。部屋に残された隊員たちは、驚いたまま六条院の背中を見送った。
「……誤解されやすいけど、丁寧な人なんだよ」
志登はそう補足して、さて、と腕まくりをした。
「こちらの仕事をやりますか」