最終話 Good-bye our sweet stray dogs 後編 - 3/6

【住】地区二十三番街〈プサイ〉へと向かう自動車には六条院と櫻井が乗っていた。櫻井は松本の一大事かもしれない、という話を聞いて、休みにも関わらず飛び出してきた。櫻井は、緊迫感を漂わせていたものの、緊張はしていなかった。

「隊長、どうして松本副隊長のことを教えてくれなかったんですか」

隊員たちも隊長が言うことだからとりあえず信じていましたけど、おかしいって感じていましたよ、と櫻井は言った。その苦言に、六条院は苦笑しながら答えた。

「行方がわからなくなったのは、松本自身の意思だった。それを不用意に伝えたくなかった……いや、なによりわたしが信じたくなかった」
「……それは……そうですね、惜しみたくもなります。松本副隊長、今までで一番長くこの部隊で副隊長を務められましたもんね」

必要以上に委縮することなく、堂々と六条院に接するのは難しい。隊長と副隊長という立場は階級上一つ離れているが、実際にはほぼ対等に仕事をする相手だ。事実、副隊長には隊長指示への拒否権も認められている。

「貴重な人材を無くすのは惜しい。だが、この状況で松本に何らかの処分が下されるかもしれない」

それは避けたいと六条院は思った。

「そうならないように、俺たちが行くんですよ。きっと大丈夫です」

櫻井はそう言って、なめらかにハンドルを左に切った。もう夜も深く、周りにはほとんど他の自動車は走っていない。緊急車両であることを知らせるためにサイレンを鳴らすか、と櫻井は六条院に訊ねたが、不用意な音は鳴らすと警戒されるからやめるように指示をされた。

「……それを言うなら、俺たち自動車で向かっていますけど、エンジン音で気がつかれる可能性は考えていますか? 全員副隊長並みの聴覚があるってことですよね?」
「いや、さすがに今それには気がつかないはずだ。先ほど〈プサイ〉巡回チームが近くに着いたらしいが、警戒される反応はゼロだそうだ。ただ、」

六条院はそこで言いづらそうに言葉を切った。

「廃ビルの中から人が争うような声と音がすると報告が来た」

六条院は端末のメッセージを見つめながら言う。先に行かせた〈プサイ〉巡回チームも様々な可能性を考慮して、現場付近についてからは、通話や無線ではなくすべて端末を使ったメッセージで状況を報告していた。

「松本がそう簡単にやられるとは思わないが、おそらく無傷ではないな」

六条院はそう言って、ちらりと後ろを見た。こちらもサイレンは鳴らしていないが、救急車両と他の応援車両がついてきている。

「急いだ方がいいかもしれませんね」

櫻井はそう言って、ぐっとアクセルを踏みこみ、自動車のスピードを上げた。

「ッ、あー……やるな」

松本は鼻血を乱暴に拭うと、再び拳を構えた。全身が痛い。おそらく肋骨は数本折れているだろうし、足も変な痛み方をしている。だが、その程度では〈成功例〉の身体は平然と活動できてしまう。

「ありがとう」

唯一立っているサンは松本の賛辞を軽く受け流す。がれきが散乱した廃ビルの床にはヨト、ヘータ、ショーが意識を失って転がっていた。一番小柄なヘータとショー、松本以上の動体視力を持っているが攻撃が単調なヨトについては、簡単に昏倒させられたが、サンには苦戦を強いられていた。
〈欠陥品〉が〈欠陥品〉と呼ばれる理由の一つに能力向上の偏りがある。松本の能力値は五感、筋力ともにバランスよく向上している。しかし、サンは、五感こそ通常の人間と同程度だが、筋力だけに焦点を当てると、松本よりも高い向上率を示す。瞬発力はもちろん、一撃一撃が重たい。松本の動体視力をもってしても避けきれず、数発喰らってしまっただけで全身が痛んだ。

「ねえ、三十二。せっかく二人だけになったからもう少しお話しよう」
「俺は話すことねえよ」

松本が断ると、サンはくすくすと笑った。

「三十二は三十二って呼ばれるの、嫌いなんだね」
「それはお前だっていい気分はしないだろ。だから今は違う名前を名乗ってるんだろうが」
「それは、そうだけど。じゃあ、私は三十二をなんて呼べばいいの」

その問いかけに松本は口を開きかけて――思い直す。
「いや、お前たちからは三十二でいい。今の俺の名前はお前たちに呼ばせるための名前じゃないからな」
「ふうん」

サンはつまらなさそうに言った。松本はそんな彼女に問いかける。

「ところで、俺はそろそろこの不毛な戦いをやめたいんだが、やめる気あるか?」
「いいえ。私がここで三十二を再起不能にすれば、私たちの勝ち」

私ひとりでそこの三人を担いで逃げられるよ、と言ったサンの言葉に嘘はないのだろう。彼女の脚が生きている限り、それは可能だ。

「俺がそれを許すと思うのか」
「思わない。でも、三十二は私たちを本気で殺そうなんて思っていないでしょう」

殺して、私たちと同じになるのが嫌なのね、とサンは笑った。

「ああ、そうだ。俺は、お前たちと同じには、ならない」

必ず戻れと言ってくれた人間の顔を脳裏に浮かべる。そして、サンの脚に狙いを定めた。脚を潰して動けないようにすれば、松本の勝ちだ。

「……お前を殺さないまでも、俺が勝つ方法はあるからな」

約三十分後、現場に到着した六条院は先に〈プサイ〉を巡回していた隊員と合流した。

「お疲れ様です」

声を潜めて挨拶をする隊員に、状況を訊ねると隊員は困ったような顔をした。

「それが、五分前からまったく音が聞こえなくなってしまって」
「……聞こえない?」

だが、音が聞こえないからといって突入を決断するわけにもいかず、応援が来るのを待っていたとのことだった。
その言葉を聞いて六条院は考える。

「もう少しわたしと櫻井で近づいてみよう」
「え、それは危険では?」
「だが、それ以外に方法がない。もし、松本が動ける状態であの中にいるのならばわたしと櫻井の足音を確実に聞き分けて出てくるはずだ」

六条院の言葉を聞いた櫻井は冷静に場の想定を口にする。

「……逆の場合もあるんじゃないですか。単純に考えて一対四でしょう」
「だとしたら、わたしたちが到着する前に逃げない理由がない。おそらく彼らであれば、簡単にこの場の人間を蹴散らして逃げられるだろう。どちらにせよ、行く、一択だ」

六条院はそう言って、緊急事態に備えて携行してきた拳銃を手にした。櫻井も同様に拳銃を手にし「わかりました」と六条院の指示に従った。

「五分経ってもわたしたちが戻らなければ、全員本部に戻れ。身の安全が第一だ」
「……でも、」
「隊長命令だ。従え」

絶対に残るな、と念押して六条院はようやく廃ビルへと足を踏み入れた。

 

 

「……ひどいな」

廃ビルの中は埃とがれきにまみれており、とてもではないが人間がいるとは思えなかった。だが、櫻井が懐中電灯で床を照らせば、埃の上にくっきりと足跡が残っていた。

「これを荒らさずに行くのは無理ですね」
「そうだな」

慎重に二人は階段を上がる。人の気配のないビルの中に足音は存外響く。夜であればなおさらだ。

「ここか」

足跡が途切れている扉の前に二人でたたずむ。

「……入っていいんですかね」
「入るしかないだろう」

拳銃を構えたまま、二人でドアを開ける。途端に埃と汗と血の混じったにおいが鼻をついた。だが、ドアを開けた先の空間は二人が想定していたよりもがらんとしており、そこに人間が潜んでいたとはとても思えない空間だった。

「ッ、隊長……!」

空間の広さにばかり目を奪われていたが、ふと床を照らせばゴロゴロと無造作に人間が転がっていた。素早く目視で五人、と数えその背中もしくは腹が動いていることを確認して六条院は端末に手をかけた。

「救急、ならびに応援がほしい。五人を運び出せるだけの人員を頼む。全員命はあるが、身動きが取れる状況ではない」

六条院はそれだけ言うと、通話を切った。とりあえず、想定していた最悪の事態で
はなかったことに安堵する。床に無造作に転がされている人間たちには目視だけでも曲がってはいけない方向に曲がっている脚や、頭部からの出血が認められた。六条院はかろうじて上半身を壁に預けて座った状態を保っている人間――松本に近づいて声をかける。

「生きているな?」

その言葉にうめきながら松本はうっすらと目を開けた。

「う、全身、すごくいたいです……」
「……だろうな。ひどいぞ」

全身に残るだろう打撲痕、呼吸をするたびに大きく上下する肩、頭部からの出血もひどかった。

「でも、なおるんですよ。おれたちはそういう生き物だから」

普通ならこれで死ぬと思うんですけどね、と松本は諦めたように言った。

「松本、」

六条院の呼びかけに、松本はなんですか、という視線を向けた。

 

「よく誰も殺さずに、生きていてくれた」

 

いたわるように唯一無事だと判断できる松本の指先を六条院はなでた。祈るようにも見えたその行為に、松本はこの優しい人に心配をかけてしまったのだと正しく理解した。だが、触れられたそこに覚えておきたいと思った手の熱さはなく、思わず言葉が口をついて出た。

「? て、つめたいですね」

六条院は微笑んだままそれにはなにも答えず、救急隊員に声をかけた。怪我の所見を伝える声に耳を傾けながら、松本はうとうととした眠気に身を任せた。