最終話 Good-bye our sweet stray dogs 後編 - 4/6

――一週間後。

ピッピッ、と規則的な電子音が聞こえて、松本はぼんやりと意識を取り戻した。
――あー……また生き延びたか。
規則的な電子音、消毒のにおいが不快な上に全身が痛い。特にみぞおちと足が猛烈に痛い。
どうしてこんなところにいるんだっけ、俺は何をして生き延びたんだっけ、と松本は考え――サンとの泥仕合を思い出した。

――一週間前。
サンも松本が脚を潰しにきていること自体は比較的早く気がついた。だが、足は全身で一番筋肉量が多く、強烈な一打を繰り出そうとすれば必然的に使うことになる。松本の今の状態では避けることが精いっぱいで、そこから彼女を捉えて反撃に持ち込むことは難しかった。

「チッ」

松本は小さく舌打ちをして、考える。諸刃の剣ともいえる手段に出るしかないのか、と覚悟をして、次の彼女の一打を待つために完全に動きを止めた。

「?」

彼女も突然松本が動きを止めたので、いぶかしげに首を傾げたが、好機と見たのだろう、攻撃を止めずに突撃した。
――かかった。
松本の狙い通り、サンはとどめの一撃をくらわそうと右足を使ってきた。狙いは松本のみぞおちだろう。その動作を見逃さず、松本はサンの足が自らのみぞおちを捉えた瞬間にかろうじて彼女の足を掴んだ。ゴキ、と嫌な音が自らの胸部から聞こえたのも、呼吸をするたびに苦しいのも、今は無視する。

「ッ! 放せ!」
「放すわけ、ないだろうが。……こんな見え見えの罠に引っかかるお前が悪い」

松本はサンの足を掴む手に力を込める。

「やっぱりお前たち、戦場に行かなくて正解だったな」
「……ッ」
「これじゃ、いくら命があっても足りない」

松本はそう言うと、サンの右足首をいとも簡単に折った。その場に彼女の絶叫が響くが、松本はただ、うるさいと思うだけだった。

「クソッ、」

サンは悪態をつくと、松本の手から無理やり足を引き抜いた。移動を試みようとしたが、足首から先を地面に着くたびに激痛が走るのだろう、そのまま地面に座りこんだ。

「……お前たちの負けだ。観念しろ」
「…………」

刹那、ヒュッと空間を切り裂く音がした、と思った松本が自身の足に痛みを感じたのはすぐあとだった。刃渡り十五センチはあろうかというナイフが松本の大腿部に刺さっていた。この状況で隠し持っていたナイフを投げたのか、と松本は驚き、狙いはもちろんだが、投擲動作をほとんど感じさせなかったサンに舌を巻く。そして散々慢心と読みの甘さを相手に解いておきながら自身もこのざまであることに臍を噛んだ。

「……私たちは三十二に勝てないけど、負けたつもりもないの」

これで、引き分けね、と笑うサンの声を聞きながら、松本は部屋の隅に移動した。ナイフは抜かないまま、ひとまず足の付け根を縛るために着ていた服を脱ぎ、応急処置だけを終え――そこから先は記憶がなかった。

――どうやって、ここまで戻ってきたんだ?
松本が記憶を巡らせていると、病室の扉が開いた。そちらに視線をやると、星野が驚きに目を見開いた状態で立っていた。

「山次?」
「……お、さん」

まだその名前で呼んでくれるのか、と思いながら呼びかけてくれた星野に返事をする。星野は安堵の表情を浮かべて松本が横たわるベッドの横にある椅子に腰かけた。

「一週間も目を覚まさんやったんで、肝冷やしたぞ」

先生呼ぶぞ、と言った星野を松本はぼんやりと見つめた。
松本の意識回復はすぐに担当医に伝わったらしく、数分もしないうちに病室に顔を出し、バイタルチェックを行った。驚異的な回復力ですね、と言う医師に松本も星野
も苦笑した。

「とはいえ、満身創痍という言葉が相応しい状況ですので、しばらくは入院ですね。全治数か月は見込んでおいてください」
「……はい」

よろしくお願いします、と星野が頭を下げた。医師はなにか異変があったら、ナースコールを押してください、と言って部屋を出て行った。その背中を見送って星野は松本を振り返る。

「もう休むか?」

問いかけにわずかに首を横に振る。医師の診断が終わったら話したいことがあった。

「……また、しねなかった」
「何言っとる。あいつともっと仕事がしたいって言ったんやろう。治さんと戻れんぞ」
「……もどれる?」

本当に? と目線で訊ねる松本に星野は頭を縦に振った。
だが、松本の中に〈アンダーライン〉に戻る選択肢はなかった。もう自らの正体も割れている。〈プサイ〉での一件もきっと〈中央議会所〉で審査される。その結果がいいものだとはとても思えなかった。

「おれがうしろゆびさされるのは、いいけど、おれがいることで、あのひとがうしろゆびさされるのはいやだよ」

だって、せっかく自由なのに、と松本は言った。ほろり、と涙が流れる。拭えない涙は流れたそばから顔に巻かれた包帯に染みていく。

「だから、だめ。もどらない。ここでおしまいだ」
「……それがお前の結論か」

星野の言葉に松本はうん、と答えた。星野はため息をついて、病室の外に声をかけた。

「聞いとったか?」
「ええ。まったく、好き勝手ばかり言うな」

その場にいないと思い込んでいた六条院の涼しい声がして、松本は思わず身体を起こしかけ――激痛にうめいた。実際身体はほぼ動いていない。

「みきおさん、」

なぜ六条院もここにいると言ってくれなかったのか、と松本は恨みを込めた視線を送る。星野は黙って微笑んだ。六条院は松本の近くまで歩み寄ると口を開いた。

「まず、現状を伝えておく。そなたが〈プサイ〉からここに運ばれたのが一週間前だ。ことごとく監視カメラを避けていたそなたを探すのは骨が折れたが、あの廃ビルの中にまでカメラが仕掛けられていたのが幸いして探し出すことができた。志登以下第一部隊の隊員に足を向けて寝られぬぞ」
「……う、」

本当に〈アンダーライン〉の人間にはひとりとして知らせるつもりもなかった松本だが、まさかそんなところから己の居場所が割りだされているとは思わず、己の甘さを反省するとともに悪運の強さに感謝した。

「なお、あの場にいたほかの四人も閉鎖病棟にいるが、ひとまず命に別状はなく、回復を待って逮捕に至る予定だ」

殺人事件の遺体に残っていたDNAこそ鑑定ができなかったが、噛み痕から歯型の照合を行ったところ彼らのものと一致した、と六条院は言った。

「次にそなたの処分だが」

松本は死刑宣告を待つような気持ちで、じっと六条院を見つめた。

「休養三か月、その後の復帰は体調の回復次第だと〈中央議会所〉で結論が出た。単独行動は褒められたものではないが、他の人間がいくら行ったところで壊滅していたことが予想できる。ゆえに、なるべく咎めないようにするということでこの対応になった」
「……おれに、あますぎませんか?」

松本の言葉に六条院は首を振った。

「これはわたしの口添えだけではない。隊員やほかの隊からの総意だ」

松本が第三部隊の副隊長になってから約一年。他人に心を砕き、弱いもののために行動し、六条院の補佐を含め、他の部下も細かく気にかける松本を慕う隊員は多かった。そして、志登を筆頭にほかの隊からもなるべく処分という形にならないように、と嘆願した結果だと六条院は言う。

「そなた自身が、掴んだ結果だ。それにわたしももう少し優秀な副官を手元に置いておきたい」

戻ることを考えてほしい、と重ねて六条院が言えば、松本はわずかに首を縦に振った。

「わかりました」
「幸い時間はたくさんある。ゆっくり考えてほしい」

六条院はそう言うと、腕時計を確認して顔をしかめた。

「どうか、しました?」
「いや、そろそろ戻らねばならない時間だ。また、見舞いにくる」
「……ありがとうございます」

松本は礼を言って六条院の後姿を見送った。そして、傍らでずっと黙って待っていた星野を見る。

「みきおさん、」
「どうした? 疲れたなら早う寝え」

意識を取り戻してすぐに大量の情報を入れられた松本の顔には疲労の色が濃く見えた。

「ありがとう。おれをにんげんにしてくれて。――いきてて、よかった」

あんな言葉をかけてもらえるとは、思ってもいなかった。戻ってもいいと六条院だけではなく、他の人間からも手放しで言われるようなことができたのだと知って、胸の内に一つともしびが灯ったような心地を知った。

 

――大丈夫、いつかその能力を評価してくれる人が現れるよ。

 

遠い昔、そう言って松本の頭を撫でたのは、星野とその妻のユリだった。その言葉は確かに、松本の人生を明るく照らすきっかけだった。

「そんな大層なことはしとらん。俺も、ユリも」

星野はそこで言葉を切って松本の頭を撫でた。撫でる力が若干強く、痛いな、と思ったが、星野の照れ隠しを感じ取った松本は黙って撫でられていた。

「お前が、がんばった結果やろう?」
「おれも、がんばった結果」

松本はそう言って笑うと、ありがとう、ともう一度星野に礼を言った。

 

 

そしてその後、数か月に渡る入院を余儀なくされた松本の病室には見舞客が持ってきた土産類があふれかえり――「俺ひとりじゃ食えないし腐るし、花も活けられないから助けてください」と六条院に連絡を取ることになるのだった。