Case2:とりかえばやの匣 - 3/5

「ここか?」

 小学校から車で五分とかからず着いた場所は立派な門が構えられた家だった。古くから人が住んでいる場所では往往にしてこのような家が建ち並んでいる。江角の横の春木が「あ、なるほど、福祉協会の青戸さんの孫かな」とつぶやいた。

「よくぽんぽん人間関係が出てくるな、お前」

「道ばたで声かけられることも多いから鍛えられたよ。まあ、遠慮なくて頼ってくれていいから」

 ふふん、と得意げな顔をする春木の頭をひっぱたきたくなったが、江角はなんとかこらえた。

「ん?」

「今度はなんだよ」

「あれ、明理姉さんの車だ」

 春木が指さした方向を江角が見ると、真っ赤なコンパクトカーが駐車されていた。一般的には田舎に分類されるこの地域で赤い車は非常に目立つ。

「派手な車だな」

「いや今気にするのはそこじゃないから」

 というかあの人運転なんかできたのか、とさらに余計なことを江角は考えたが、口にせず飲み込んだ。しかし、春木からつっこみが入る。

「姉さんが来てるってことはあんまりよくないことになってるんじゃないかって話だよ。姉さん、仕事だって言って家出てたし」

「利生、明理さんの仕事ってなんだっつったっけ?」

「え、民間療法と加持祈祷とカウンセラーを足して三で割ったような仕事だけど」

「……明理さんの今日の仕事内容知ってるか?」

「知らない」

 すげなく言い切った春木に江角は悪態をつく。

「なんでだよ、役に立たねえな!」

「たいちゃんだって美里ちゃんに仕事の内容話さないでしょ!」

「そりゃそうだろ、妹なんかに話せるか! 機密事項ばっかりだっつの!」

 ああもう、と頭をかいて江角は家のインターホンを押した。ごめんください、の一言で入ることもできるが、ご近所さんとしてではなく、国家権力を手にした立場での来訪においてそれは避けたい。

 ピンポン、という軽快な音が鳴ったのち、ゆっくり人が近づいてくる気配があった。玄関の引き戸がからり、と音を立てて開く。

 顔をのぞかせたのは、脂っけのない髪を無造作に束ねたやせた女だった。女からはおよそ生気というものを感じられず、どこか得体のしれなさが漂っていた。若いようにも見えるが、年寄りのようにも見える女に、言い様のない警戒心を抱いた江角は右足のかかとを数ミリ後ろに下げた。

「どちらさまでしょうか」

 かすれた声で訊ねる女に、江角は手帳を取り出して見せた。

「警察です。和泉唯さんのことでちょっとお話うかがいたいのですが」

 お嬢さん、というべきかお孫さんと言うべきか迷って実名を出すことにした。その途端、女はかたかたと小さく震えだした。

「大丈夫ですか?」

「……ってください」

「え?」

「帰ってください! うちの娘は至って問題ございませんから! 帰って!」

 金切り声で帰れと繰り返す女に(どう考えても問題がありまくるだろう!)と思いながら江角と春木は女をなだめにかかったが、女はますますヒートアップするだけだった。

「どうしたの、何を揉めているの」

 玄関でもめること数分、ついに家の中から他の人間が顔をのぞかせた。儀式のための艶やかな化粧こそ施され、仕事用と思しき仰々しい装束を身にまとっていたが、見覚えのある顔に江角と春木はホッと胸をなでおろす。

「あきれた。何やってるの、二人とも」

 心底軽蔑したように言う明理に、江角と春木はどちらからともなく顔を見合わせた。

「姉さん、その、」

「私が上手く納めるから大丈夫。そこにいて」

 言い訳をしようと口を開いた春木の言葉を遮り、明理はサッと身をひるがえして家の中に入ってしまった。玄関にはすっかり黙ってしまった女と江角と春木の三人が残される。

「そこにいて、って」

「無茶言うなあ……」 

 よその家の玄関にいつまでも立ち尽くしているわけにはいかない、と江角が戸惑っていると、女は「お知り合いでしたら上がってください」とぼそぼそ言った。その言葉に甘えて上がらせてもらうことにする。

 古い平屋の家はよく手入れされていたが、廊下を歩くと時々床板がぎしり、と音を立てた。女に案内された先は一等の客間と思しき部屋だった。襖を開けると、冷たい風とともに、焚かれた香が濃く漏れ出てきた。その強い香りに一瞬江角は眉間にしわを寄せる。ちらり、と隣を見ると春木も同じようにいぶかし気な表情をしていた。

 客間には布団が敷いてあり、布団の上には子どもが寝かされていた。子どもの枕元には江角が県警本部で見たのとそっくりな箱が置かれていた。

「ッ……⁈」

 ――あの匣は一つだったはずだ、いったいどうして。

 その疑問を見透かされたかどうかは不明だが、子どもに寄り添っていた明理が後ろを振り向いた。髪についていた飾りがその動きに合わせてシャランと音を立てて揺れた。

「この手の匣は増える。いくら泰地くんたちが有能だとしても、怪異対策班《あなたたち》の手には余る。だから本来は泰地くんが手を出すようなものじゃないよ」

「……知ってますよ、そんなことは」

 国屋が無理やりねじ込んできたのだということは伏せるが、江角とて好きで手を出したわけでも、まして春木をまきこんだわけでもない。

「なまいき」

 明理は軽く江角をにらむと、子どもに向き直った。ぶつぶつと低い声で何事かを唱えたかと思うと、子どもが魘されるような声を上げ始めた。

「あ、の……」

「黙ってて、静かにしないと命の保障ができない」

 声をかけた女を見もせずに、明理はぴしゃりと言い放った。その有無を言わせない響きに女はこぶしを握り締めて黙り込んだ。

 しばらく明理が何事かを唱えていると、徐々に子どもの頭上に白い靄が渦巻き、明確な形を取り始めた。彼女がつぶやくのをやめたときに、ようやく白い靄が大蛇であると江角は気づいた。と同時にそれが人智の及ばない存在であるという畏れも確かに感じ、背中を冷汗が伝っていった。

『儂を呼ぶのは誰じゃ』

 靄が口を開いた。明理はそれに怖気づくこともなく、淡々と言葉を返す。

「私よ」

『ふん。礼儀がなってないな。名乗りもせんのか』

「礼儀を尽くしていないのはどっちなの?」

 会話を聞きながらごくり、と江角は唾を飲みこんだ。

「人間のルール違反よ。勝手に人間の子どもをさらっちゃだめ」

『勝手に、ではない。その童《わっぱ》が儂に贄として自分を差し出したのじゃ』

「契約内容を最初に提示していないのなら、詐欺っていうの。とにかく子どもの中身をちゃんと返して」

『返してもよいが条件がある』

 大蛇の言葉に明理は目を細めた。

「なあに?」

『代わりにお前が贄となれ。儂は贄を欲しておる』

「……そんなこと言っていいの?」

 明理はうっそりとほほ笑む。

「私、すでに伴侶がいて契っている身だけど」

 そう言って明理は手のひらを大蛇に見せた。大蛇はギョッとした様子で明理を見る。江角も同じく横にいる春木を見たが、春木は顔色を変えた様子もなかった。

『うぬは何者だ……⁈ 人間の小娘ではないのか』

「伴侶より格下のあなたに開示する必要ない。それより自分の心配をした方がいいよ」

『チッ、仕方あるまい。童は返してやる。それで此度の無礼は手打ちにせよ。よいか』

 渋々といった態度で大蛇は言った。明理はそれに対してかしこまって頭を垂れた。

「ええ。そして御身のおわす場所は把握できましたので、お祀りの支度をいたしましょう」

『ふん、酒はたくさん用意するがよいぞ』

「ええ、用意させましょう」

 明理はもう一度かしこまって頭を垂れ、懐に入れていた扇を取り出した。その扇で靄を扇ぎ消す。その場の靄が晴れたと同時に、子どもが大きく咳き込んで目を開けた。

「……だれ……?」

 明理はそれには答えずに、子どもの額をひと撫でして、振り返った。

「これからしばらく休養すれば、じきにこれまでと同じ生活に戻れます。支払いは手はず通りお願いしますね。それと、この箱は私がお預かりします」

 明理の言葉に女は畳に額を擦り付けて何度も礼を言った。明理はそれには目もくれず、枕元の匣を拾い上げる。

「りーくん、たいちくん、行くよ。ここにはもう何の用もないからね」

「……さっきのは、」

「あとでね。早く帰ろ」

 明理は立ち上がってすたすたと歩き出した。江角と春木も慌てて立ち上がって後を追いかけようとして――江角は足のしびれに呻いた。

「何してるの、たいちゃん! 早く行くよ」

「ッ、お前と一緒にするな……!」

 江角はしびれる足をさすりながら文句を言い、よろめきながら立ち上がった。

「お騒がせしました。また後日、お話うかがいます」

 江角は子どもを抱きしめて泣きじゃくっている女に頭を下げて言う。女に聞こえているかはわからなかったが、決まり文句として言っておくべきだろう、という判断だった。

 家の外に出ると、熱風が吹きつける。家を出て数歩のところで春木が「あ」と声を上げた。

「なんだよ」

「……セミの声が聞こえる」

 さっきは聞こえなかった、と言われて江角も気づく。ミンミンミンミンツクツクホーシとやかましく鳴くセミの声は確かにさっきまで聞こえなかった。

「ここさっきまでは、私たちの住む世界とは別空間だったのかもね」

「……」

 ――その異常に気づかなかった自分たちこそ危なかったのではないか。

 一瞬考えたが、江角はその考えを追い出すように頭を振った。