第二話 Who is the monster? - 1/5

二、

 ――その日は夏前の肌寒い雨の日だった。
 出勤した久家と徳永を待っていたのは殺人容疑で逮捕された被疑者の取調べだった。日勤のシフトで出勤してすぐに受けるには重たい事件であり、久家はげんなりとした顔をしたが、徳永は涼しい顔で「わかりました」と取調べを引き受けた。聞けば逮捕されたのは四十代の女性らしい。
「なんかオレたちが引き受ける事件って被疑者か被害者が女性のこと多くないですか?」
 久家がぼやくと徳永は呆れた顔をした。今ごろ気づいたのか、と言いたげな徳永に久家は首を傾げた。
「女性への取調べを行う時は原則女性隊員が同席するように決められているの。ちゃんと携行手帳にも記載されているからもう一度よく読んでおいて」
 女性隊員も年々増えているとはいえ、全体の三割程度だ。このうち交替班に入っている女性隊員は更にその三分の一程度――つまり全体の一割と少ないため、一人も女性隊員がいない班も存在する(そこが携行手帳に〝原則〟と記されたゆえんでもある)。
また、女性隊員は警邏巡回中でも取調べの原則に従って、本部に呼び戻されることが多々ある。久家は特に不満を覚えることなく、素直に徳永に付き合っていたが、不満を訴える隊員も少なくないという。
「他に交代できる人がいない仕事ができるってかっこいいと思うんですけど」
「みんながあんたみたいに単純じゃないって話」
 女と組んだせいで効率よく警邏巡回ができない、と表立って言う隊員はいないが、無言の圧力を感じることはあった。それは徳永に限った話ではなく、女性隊員であれば誰もが一度は感じたことがある、と答える程度には日常茶飯事だ。それならば女性隊員同士で組ませればいいのでは、という声も上がったが、女性だけでは対処が難しい案件もあるため実現には至らなかった。
「まあでも、気分は軽くなった。ありがとう」
「どういたしまして?」
 やや不思議そうな顔をする久家に笑いがこみあげてくるが、徳永はぐっと堪える。二人でバディを組んで数か月経ったが、当初予想したよりは問題なく仕事ができていた。最初こそ徳永に反発した久家だったが、厳しくも正しい指導をする徳永の言うことを素直に聞いている。
「おはようございます」
 第三部隊の執務室に二人で顔を出すと、隊長席に座っていた松本が軽く手を挙げて応えた。
「二人とも朝から悪いな。俺も外から取調べの内容を聞いておくから何かあればフォローする」
「いえ、仕事ですから」
 頼まれたことはきちんとやります、と言って徳永は白い腕章を左腕に装着した。それにならって久家も慌てて腕章を装着する。
「記録は任せるけど、大丈夫ね?」
「はい。段々わかってきたので大丈夫です」
 任せてください、と久家は胸をたたいたが、残念ながら徳永の視界には入っていなかった。
 
 
 取調室の中は空調がきいていて静かだった。しとしと雨が降っている音が格子のついた窓の向こうから聞こえ、わずかな空調設備の音がそれに混じる。
「おはようございます。取調べを担当します徳永と、記録を担当する久家です」
 取調室に入った徳永が第一声を発しても、女は顔を上げなかった。
 ほっそりとした色白の顔は何の表情も浮かべておらず虚ろだが、それでもなお人目を引く美しさがあった。ブルーのサマーニットを着ているために、相対的に肌の白さが目立つ。ほつれた髪が数本顔にかかっており、かえって美しさを引き立てている。女の色香でもあり、凄味でもあるように見えることに対して、腹の底が冷えるような心地を徳永は覚えた。美しい顔の下に抑圧された感情があることがありありと伝わってくる。
「お名前と職業を教えていただけますか」
 徳永の問いかけに女は顔も上げず、答えもしなかった。しばらく待ってみるが、女は何も答えない。しかたなく、徳永は女に別の話を振る。
「雨が続きますね」
「……」
 世間話にも彼女は答えず、じっと自分の膝に置いた手ばかりを見つめ続けている。自分の意思で黙っている女の口を割らせるのは至難の業だ。
「これに見覚えがありますか」
 徳永は世間話を切り上げて、事件の証拠写真を女に見せた。女の目線は写真に向いていたが、表情は変わらなかった。まるで面をぴたりと貼り付けているようだ、と徳永は思った。
「こちらは?」
 徳永は次々に写真を出したが、それでも女はまったく口を開こうとせず、暗い光をその瞳に宿すばかりだった。
「もしかして、私の声、聞こえていませんか?」
 あまりに反応されないため、もしかすると聴力がよくないのか、と訊ねてみる。そこでようやく女は徳永に目を合わせた。
「聞こえますが、あなたの問いかけには答えたくありません。代理人でもない人に話をしても無駄だから」
「……この取調べの記録は裁判にも使われます」
 それが心証にもつながるため、できるだけ取調べには素直に応じてほしい――というのが取調べを担当する者の願いだ。
「だからどうしましたか? 私の態度が少し悪いくらいで、あなたたちが想定している私の罪が軽くなるとでも思っているならおかしな話でしょう」
 女の言葉は何かを噛みしめるように、一言一言が重かった。
「私はこれ以上、あなたたちの問いかけには答えません」
 そしてその宣言通り、女はそれ以降何を訊いても声を発することはなかった。
 
 
「……完全に失敗しました。すみません」
 今日これ以上の取調べは不可能だろう、と女を留置所に帰したあと、第三部隊執務室に戻って来た徳永は応接用のソファで項垂れていた。その様子を見ながら浦志は苦笑する。
「あれは仕方ないわねー。あんなに頑なにしゃべらない人だとは思わなかったわ。最近見かけなかったけど、やっぱりああいうタイプの人もまだいるのね。それがわかっただけでもありがたいわ。お疲れ様」
「フォローありがとうございます……」
 浦志のフォローも虚しく、うなだれる徳永に、久家が言う。
「でもあの人、なんでそんなに話をしたくなかったんですかね。徳永さんに担当されるのがいやだから話をしなかったようには見えなくて」
「どういうこと」
 女と正対していた徳永ではなく、記録員として少し離れた場所にいた久家の見解は第三者的である。彼の印象も貴重な情報だ。
「あの人最後に『あなたたちの問いかけには答えません』って言ってましたよね。オレたちが〈アンダーライン〉隊員である限り話をしてくれないんじゃないかなと」
 久家は手元のメモに目をやりながら言う。
「それってこの組織に何か不満があったってこと?」
 徳永の言葉に久家は困ったように浦志を見上げた。新人にそこまで考えろ、というのは酷だろうと判断して浦志は助け舟を出す。
「そうねえ、想像は悪くないわ。過去に何か事件に関わっているのかもしれないわね」
「……調べてみます」
 女の顔はわかっており、名前もすでに調べてある。女本人が事件に関わっていなくとも、身内や親しい友人などが関わっている可能性もあった。
「それがいいわ。わかったところでもう一度取り調べに呼ぶのがいいわね。二日以内を目安に動いてほしいけど、できるかしら」
「ええ、やってみます」
 警邏巡回のカバーができるようにローテーションを変えておくわ、と浦志は音がしそうなウインクを飛ばしながら言った。
「久家?」
 調べに行くよ、と声をかけようとした徳永だったが、資料を熱心に読む久家に首を傾げた。
「あ、すみません。取調べを担当したのはいいんですが、実はオレ、ちゃんと事件概要がわかってなくて」
 申し訳なさそうに言う久家に呆れたが、確かに急な話でフォローもできていなかった、と徳永は思い直す。事件概要がわからなかった、と素直に言えるところも久家の長所の一つである。
「歩きながら簡単に説明するから、とりあえず資料閉じてついておいで」
「はい」
 久家はホログラムディスプレイに表示していた資料を閉じておとなしく徳永の後についてきた。
「今回の被害者は二十代前半の男性三人。死因は三人とも一酸化炭素中毒だった」
「一酸化炭素中毒」
 おうむ返しに言う久家に徳永は「そう、火災現場でも多い死因ね」と付け加えた。
 徳永にとって今や当たり前となっている死因やその特徴も、久家にとっては初めて出会うものである。
「三人とも空き家で倒れていたし、横には練炭が焚かれた形跡があったから最初は自殺だと思ったんだけど、彼女が監視カメラにうつっていたことと、練炭を焚いた七輪に指紋が残っていたことが決め手になって自殺に見せかけた他殺だって判明した」
「監視カメラにさっきの女の人がうつっていたんですか?」
「そう。空き家から出入りする様子がうつってた。この国のカメラには顔の認識機能が搭載されているから、普通罪を犯そうとする人間は顔を隠す。でも彼女は顔を隠していなかった」
「カメラに気づかなかったとか?」
 久家の言葉に徳永は首を横に振った。
「カメラに気づかなかった人間はわざわざカメラの方を向いて顔をさらしたりしない」
「そうですね……」
「だから最初に話を聞いた時からちょっとおかしいな、と思ってはいたんだけど……」
 そこまで言って徳永は、ハア、とため息をついた。
「さて、ここで一つ久家に考えてほしいんだけど、どうして彼女は顔をカメラに向けたと思う?」
 徳永から出された問題を久家は考える。難しい想定をすることなく、至極単純に考えることは久家が得意とするところであり、日々複雑な事件を担当することが
「もしかして、逮捕してほしかったからですか? あの人は罪を逃れようとは思っていない?」
「大体正解。彼女は自らを逮捕してほしいと思っていた。大体こういうときは、背後に困窮した事情を抱えているか、何か私たち〈アンダーライン〉職員や世間に言いたいことがあるかの二択ね。人間がとる手段は多くないから」
「はい」
「まあこれは眞島さんからの受け売りだけど」
「眞島さん?」
 突如出てきた人名に久家は首を傾げた。
「あ、知らないか。前に〈中央議会所〉からの派遣職員として第三部隊で副隊長してた人で、今は大学で犯罪心理学専攻しながら博士号取得を目指しているらしい。これからも協力依頼することがあるから、覚えておいて損はないよ」
「はい」
 覚えておきます、と久家は言った。気づくと過去事件を格納しているアーカイブ室の前にたどり着いていた。
「……三人も手にかけようと思った理由はなんでしょうね」
「それを今から調べるんだよ。こんなこと言ったらよくないとは思うけど、」
 ――私たちに非がないと思いたいね。
 そう言って、徳永はアーカイブ室のドアを開けた。