第三話 Ennui Twins - 2/6

六条院から男の名前が明かされたあと、電話向こうで六条院を呼ぶ声がした。

『すまない、またかける。そちらにひとり応援が行くゆえ、よろしく頼む』
「え、待ってください俺まだなにも事情を――」

聞いていない、と抗議する声はぷっつりと切られた通話によって遮られてしまった。ツーツーツーと軽い音を立てて終話を告げる端末を黙らせる。

「副隊長、とりあえずそれ、戻してきてください。見つかると厄介です」

櫻井はそれ、と言って松本の手にある拳銃を指さした。万が一にもこの部屋で起きたことが外に漏れてはならない。松本は机上に拳銃を置くと、常仁に向かって頭を下げた。

「大変失礼をいたしました。私の処分でしたら、あとでいかようにも……」

してください、と続けるはずだった言葉は常仁によって遮られた。

「いや、今回のは確実に私たちが悪いからね。松本くんに咎はないよ。そりゃ自警団の一部隊の隊長が別人かもしれないってなったら焦るよね。まあ、本当はもっとバレない予定だったんだけど」
「……寛大なお言葉に感謝します」
「それから、そんなに堅苦しく話さなくていいよ。真仁に話すみたいにしてくれたらいい」

六条院と同じ声であるはずなのに、口調が違うだけでこうも不思議な響きをまとうのか、と松本は思う。いつもと違う音に松本は酔いそうだった。
「……とりあえず、戻してきます」

松本はそう言って、逃げるように執務室を出ていった。その後ろ姿を見送って、常仁が口を開く。

「悪いことしたかな」
「……いえ、お気になさらず」

松本が昇進してから約半年。六条院と共に指示を飛ばした事案は数知れず、松本もずいぶんと仕事に慣れて六条院との関係も良好だった。松本はもともと自分の才を評価していた六条院に対して好意的であった上、職務を通してますます懐いた、というのが言い得て妙だと櫻井は思っている。
「珍しく真仁が部下の話を出したから気になったんだけど、やっぱり今までの部下とは少し違うみたいだね。私と真仁を初対面で見分けた人間も身内をのぞけば初めてだ」

面白がるような口調で松本を評価する常仁に櫻井は訊ねる。

「そんなお話をされたんですか?」
「そうだね。今回のことを運ぶにあたって、真仁がずっと心配していてね、だからこそ私も会ってみたいと強く希望を通したんだけど」
「……なるほど」

その希望のかなえ方としては最悪の初対面だっただろうと櫻井は思った。これ以上会話は続けられないぞ、と思いながら櫻井がじりじりとしていると扉が開いて松本が戻ってきた。

「すみません、戻りました。あと、隊長がおっしゃっていた応援、わかりましたよ」

松本がどうぞ、と言って男性を部屋内に招き入れた。松本よりも少し背の高いその男性は軽く目礼をして、部屋に入る。

「――第五部隊隊長の|南方玄左《みなかたげんぞう》です」

こげ茶の髪に、鳶色の丸い目が印象的な男性だった。
ゆったりとした声に、松本の雰囲気がどことなくやわらぎ、同時に緊張感をはらんでいた場の空気もなごやかになった。

「俺の元上官です」
「今回の事の事情説明役と応援にあたる。イレギュラー中のイレギュラーの対応なので、僕の存在はくれぐれも秘密で」

しーっと人差し指をくちびるに当てて、南方は茶目っ気たっぷりに微笑む。

「……基本的には【貴賓】地区から出られないはずですよね?」
「まあ、それ言うなら六条院が【貴賓】地区に戻っているのもイレギュラーだな。今回はイレギュラーだらけだ」

南方は肩をすくめると松本と櫻井の方に向き直る。

「至急この四人で会議ができる場の確保を頼む。なるべく知られる人数は少ない方がいい。他、誰かこの部屋に立ち入った人物は?」
「いえ、いません」

櫻井が答える。櫻井以外の日勤のみで働くメンバーは二人いるが、今日はたまたま欠員の補填のために二人とも現場に出ていた。

「では、隊長室を使いましょうか。広くはありませんが四人くらいなら入れます」
「目隠しは?」
「ブラインド下ろせますし、立ち入り禁止の施錠処置は可能です」

南方の問いかけに松本はきびきびと答えていく。六条院に対しても仕事は早い松本だが、南方へは少しだけ自律の響きがある。

「わかった、じゃあ六条院には悪いが使わせてもらおう。常仁様がいれば不法侵入には見られませんよね?」
「そうだね。真仁から好きに使っていいと言われているし」

にこにこと答える常仁に松本は思わず頭を振る。別人だと分かっているが、視覚的に訴えられる外見に惑わされそうだ。

「隊長室はあちらです。俺は飲み物を準備しますので先にお入りください」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えて」

南方はそう言って常仁を先導するべく、立ち上がった。

 

「さて、今回は至極シンプルな話だ」

松本が淹れたコーヒーが松本以外の三人の前で湯気を立てている。松本自身は飲めないので、麦茶をひとり別で用意していた。

「数日前、六条院家に常仁様を害することをほのめかす脅迫文が届いた。通常であれば専属護衛たちで対処をする案件だが、今回は六条院に白羽の矢が立った」

南方の説明に松本は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「要するに、腕が立つ隊長を家に戻しておけば万が一があっても大丈夫ってことですよね?」

松本の言葉に南方はうなずく。
〈ヤシヲ〉に存在する貴族の家は全部で四つ存在している。二条院、三条院、六条院、八条院の名を冠し、それぞれが国の文化保護、基礎研究の実施、資料蒐集などを一手に引き受ける場になっている。
おおよそ二条院は自然科学、三条院は人文科学、六条院は芸術全般、八条院は応用科学を担当している。それぞれの条院家は世界各国への独自ルートを持ち、研究の推進や研究内容の売買、資料の蒐集および貸出などを行って生計を立てている。この家に生まれるということは、スペシャリストとして生きていくことが決められているようなものだった。

「その脅迫文にはほかに何か書いてあったんですか? いつ実行する、とか」
「三日後だ。手厚く警備されている【貴賓】地区にどうやって入ろうとしているのかとか、実際は虚偽ではないのかとか、疑えばきりがない。最悪の想定は、」
「――〈アンダーライン〉第五部隊の中に実行しようとしている人間がいる。もしくは犯罪の手引きをしようとしている人間がいる、ですよね?」
「そうだ」

南方の言葉にますます松本は苦い顔をした。

「……いやですね」

自分の元同僚たちを疑わないといけない状況は松本にとっては望ましくない。

「だが、仕方がない。僕たちの仕事はそういうものだ」
「……はい」

不本意だ、と言わんばかりの松本の顔に、南方は苦笑した。

「大丈夫だ。向こうで待ち受けるのは六条院だからな」
「それは心配していないんですけど、こっちは大丈夫なんですか」

松本はそう言って、ちらり、と常仁を見た。

「もし、脅迫文を出した人間が彼らが双子であることを知っていたら、この作戦は絶対に見抜かれていると思います。だとすると俺はここで彼を守れる自信がないです。地の利が悪すぎます」

【貴賓】地区は人の出入りが制限されており、比較的警護はしやすい立地だ。だが、ここは〈アンダーライン〉の本部で、人の出入りも激しい。
そんな松本の抗議を南方は涼しい顔で聞き、口を開いた。

「だから僕と松本がいるんだよ」

南方はじっと松本を見つめて言う。これまではこうやって【貴賓】地区の警備を請け負ってきた。入隊してからの半分以上の期間世話をされた隊長のお願いに逆らうすべを松本は持ち合わせていなかった。
南方の視線に根負けした松本はわかりました、と言って白旗を上げた。

「ここから三日、僕と松本と櫻井さんで三交代の警護ローテーションを組みます。常仁様は常に誰かと一緒に過ごしていただくようになります。ご自宅には帰れませんので、申し訳ないですが、仮眠室への寝泊りをしていただきます」
「うん。それも真仁から聞いているよ。私も大抵の事には動じないようにしつけられているからね、大丈夫」
「お気遣い、痛み入ります」

南方は常仁に頭を下げる。

「基本的には、松本が日勤、櫻井さんが夕勤、僕が夜勤で回るようにしよう。日勤のみの勤務体系の櫻井さんには申し訳ないが、松本がいないと日勤の際の本部が機能しなくなる」

松本は内心で少し困った、と思うが仕方のないことだと腹をくくる。本部機能と彼の護衛を同時にできるかについては不安が残るが、白昼堂々〈アンダーライン〉の隊舎にやってくる部外者も限られているだろう、と推定してようやく飲みくだした。

「しばらくよろしくね、松本くん」
「……はい」

三日を終えればまたいつもの日常に戻れるはず――それが現時点での松本の唯一の希望だった。