その日、屋敷の外に出た瞬間から、ねばつくような嫌な視線を感じた。六条院はちらり、と視線を後方にやる。一、二と視線を数えて、
「……いるな」
傍にいる当主護衛を務めている二人の人間にだけ聞こえるようにつぶやくと、彼らも小さくうなずいた。
「どうされますか」
「しばらく泳がせる。このまま通常通りに歩いてほしい」
「かしこまりました」
会議の場所までは歩いて十五分ほどだが、歩みを進めるほどに視線は強くなる。やれやれとため息をつきたくなるのを六条院は懸命にこらえていたが、十分ほどで限界が訪れた。
「……次の曲がり角で止まる。わたしの合図に合わせて確保を頼む」
「承知しました」
六条院の指示に二人は素直に従った。角を曲がったところで歩みを止めた六条院に二対の目が遠慮なく向いた。
――六条院の指がパチン、と鳴った。
二人の護衛がそれぞれ六条院の後方に向けて素早く走り出す。後方をつけてきていた二人組は泡を食って逃げ出したが、百メートルも行かないうちに護衛によって取り押さえられた。取り押さえられたにも関わらずジタバタと暴れる二人組を護衛たちは容赦なく殴りつけて制圧をする。当主護衛に手加減という概念はない。
「甘いな」
当主がひとりになるタイミングを前方で待ち構えていたのだろうもうひとりは六条院によって、一瞬で地面に這いつくばることになった。常仁には武術の心得がないことはおそらく知られているのだろう。六条院に取り押さえられた男は大声でわめく。
「クソッ、お前誰だよ!」
「……第五部隊の人間はわたしの顔も知らぬのか?」
六条院の言葉に男はぴたり、と動きを止めた。
「当たりか。カマをかけてみただけだったが」
六条院は携帯していた手錠を男にかけると、男の背に腰を下ろしたまま端末を取り出した。
「どこに連絡する気だ!」
「一つしかないことは理解しているはずだろう。それなのに質問をするのか?」
六条院はそう言って男を黙らせると、端末に登録されている南方の電話番号を呼び出した。
珍しく昼間の隊舎へと顔を出した南方に六条院から電話がかかってきた。
「ああ、やっぱりな。僕も最近少し挙動がおかしいと思ってたんだ。何事かが起きる前に捕まえられてよかった」
時刻は六条院の予告通りだった。どうやら脅迫文を送った人間たちはずいぶん素直なようだ、と松本は思った。
「……うん、じゃあ夕方には戻るってことか。わかった。僕もそれと同じくらいに戻ることにする」
今後の段取りを簡単に決めると南方は終話して松本を振り返り、こちらは無事に終わってよかった、と言った。
「そうですね。あんまり一緒にいる時間はなかったですけど、久しぶりに一緒に仕事ができてよかったです」
「僕も。松本がしっかりと副隊長の仕事してるとこ見られてよかった」
あの時多少無理しても松本を推しておいてよかった、と南方が言う。
「ありがとうございます。俺もそう言ってもらえると、嬉しいです」
「これからもがんばって」
南方が差し出した手を松本は握る。握手を交わせることが素直に嬉しかった。
「じゃあ僕は櫻井さんに連絡してから帰り支度をしようと思う。六条院が返ってくるまでもう少しよろしく」
じゃあまたいつか、と言って南方は本部を出ていった。六条院が戻ってくるまでまだ時間はたっぷりあるが、どうやら常仁に気を遣ったらしい、と松本は察した。この数日もの言いたげに松本を見ている彼の視線には松本自身も気が付いていた。
――最後まで無視し通したかったなあ……。
内心でそんなことを思いながら、改めて、今回の事件を振り返る。六条院家の当主が双子であることを知っていれば、入れ替わることも予想がつくはずだが、彼らは【貴賓】地区の六条院を襲った。第五部隊の人間は【貴賓】地区を出られない制限がかけられていることを考えると妥当かもしれないが、多少無理をしても――。
「俺なら絶対に入れ替わった方狙うな」
「一般の人には私たちが双子だというのがあまり知られていないからね。現に松本くんも知らなかったでしょう」
独り言を拾われて松本は思わず姿勢を正す。
「……今のは、ひとりごとですので」
「そういうことにしてあげようね」
常仁はそう言って松本ににこり、と微笑みかける。数日間共に過ごしたが、この笑顔にだけはどうにも慣れず、見かけるたびに顔を引きつらせてしまう。
「そんなに私の笑顔が苦手?」
「俺の身体が混乱するんですよ」
頭では六条院ではないことがわかっているが、身体が一瞬反応してしまう。常仁はそんな松本の様子をおもしろそうに眺めて口を開く。
「真仁が戻り次第、私も戻ることになりそうだから、その前に松本くんともう少しお話したいんだけど、いいかな?」
「構いません」
「ありがとう」
常仁はそう言うと、なにから話そうかな、と少しだけ迷うそぶりを見せた。
「松本君は、真仁がどうして家を出たか知ってる?」
「いえ。でもそれはあなたからではなく、隊長の口から聞くべきだと思っています」
常仁の言葉を松本はきっぱりと遮る。常仁は虚を突かれたような顔をした。
「……本当に? 私からも聞いておかなくていいの? 人間はどんなに客観的にしゃべろうとしても、自分の主観が入るよ」
「はい」
「松本くん、結構頑固なんだね」
「はい。よく言われます」
松本の答えに常仁は笑った。邪気のない笑い声だった。
「松本くんくらい私に意見を言うことにためらいがない人間だと、真仁のそばにいるにはいいのかもしれないね」
おもねらず、媚びず、へつらわず。自分の正しいと信じることを実行しようとする松本には常仁も好感が持てる。組織の中で大きく出世をしていくタイプではないが、敵を作らず、最終的に誰しもから慕われるタイプだろうと思わされた。
「私の横にも松本くんみたいな人間がいてくれると助かるんだけどね。もし、ここ辞めることがあったら、私のところで働くの、考えてみてくれないかな?」
「……考えるだけなら」
「考える気ゼロだね」
常仁はおかしそうに笑って、冗談だよ、と言った。
「真仁のことをこれからもよろしく」
あの子に信頼できる部下がいるみたいでよかった、と常仁は言った。
「俺にできる範囲でがんばります。あんまり期待されすぎても困るんで」
「え、ここは謙遜するの?」
常仁は松本の言葉に笑い、松本の肩をたたいた。
「いつか、六条院の家にもおいで」
「冗談ですよね?」
「冗談じゃないよ。今度は仕事抜きで松本くんと会ってみたい」
「お言葉だけ、ありがたく受け取っておきます」
やっぱりこの人との会話は苦手だ、と松本は目の前で楽しそうに笑っている上司の兄に向けてため息をついた。