帰宅の準備を終えた南方が常仁を連れて【貴賓】地区に戻ってから約一時間後、松本の耳に聞きなれた足音が飛び込んできた。執務室から廊下に出ると、まだずいぶん遠くにいる六条院の姿が目に入った。遠くからでも、苦笑している雰囲気が松本に伝わる。
「おかえりなさい」
声が届くところまで六条院が近づいたタイミングで松本が声をかけた。六条院はまた少しだけ苦く笑うと「忠犬だな」とつぶやいた。
「忠犬ですよ」
だからちゃんと気づいたんです、と松本が言えば六条院は厳しい顔をした。
「……だからといっていきなり一番上の凶器を持ち出すな。わたしが止めなければ今頃クビだぞ」
「はい。もうしません」
今回は特例中の特例の恩情で松本にお咎めはないが、一歩間違えば先ほど六条院が確保した男たち以上にひどい道をたどる羽目になっていた。
「ところで、隊長を襲ったのって誰だったんですか」
「……機密だ。そなたには教えられぬ」
「そんなところで変に気を遣わないでくださいよ」
副隊長以上であれば知ることは容易な情報だ。六条院は難しい顔をして、首を横に振った。
「わたしが教えたくない」
「……それなら、これ以上『誰』については聞きません。でも、『なぜ』そいつらがこんなことをしたのかは教えてください」
この松本の要請に六条院はわかった、と返事をした。
「ただ、これもそなた以下の階級の人間の耳には入れたくない話だ」
「……はい」
「まず前提として、条院家が〈ヤシヲ〉の文化基盤を支える研究や文化保護を生業にしているのは知っているな?」
「ええ。おかげで第五部隊にいたときは、条院家――の補佐? みたいな人にあれこれ教えてもらいました」
松本と話をすると時折、教養の高さを滲ませるときがあるのはこれが要因か、と六条院は納得した。
「そしてもう一つ前提がある。今回の狙いはわたしでも常仁様でもなかった。本命は清塚――六条院家の当主の世話をしている男だ。今年でもう、八十が近い男だが、その知識と教養、そして判断能力は群を抜いている。とても優秀で頭のいい男だ。当主に危害を加えると言えば必ず清塚が何かしら動くからそこを狙いたかったと彼らは言った」
「……清塚、さんって何者なんですか」
「〈世界を滅ぼす〉大戦の影の立役者だと言えばわかるか?」
今から五十年前、今とは違う形をしていた世界は〈世界を滅ぼす〉大戦によってまったく違う世界になった。とある国として成立していた場所は〈世界を滅ぼす〉大戦によって都市国家〈ヤシヲ〉へと姿を変えた。
「影の立役者?」
「当時の清塚は三十歳前後で、とある研究でずっと脚光を浴びていた。清塚は今でこそ六条院家にいるが、その当時は八条院家で医学系の研究者として当主の補佐をしていた。その時の清塚の研究は『抗老化医学』や『超回復』といった人間の基本的能力の制限をなくそうとするものだ。一歩間違えば研究倫理に触れて、永遠に凍結されてしまいそうなテーマが、〈世界を滅ぼす〉大戦によって注目を浴びてしまった」
「……」
「そして、奴らは、清塚の研究テーマをどこかで知り、内容を知りたいと願った――それが今回の事件を起こした動機だそうだ。まあ、正攻法で教えられるような内容ではないゆえ、このような手段に出たのだろうな。その当時の人間でまともに話せるのは清塚しか残っていない」
六条院の話に、松本は深いため息をついた。
「ばかだなあ」
「そなたの言う通りだ。もし清塚の研究が今から世に出てしまえば今度はそれを巡ってまた、争いが起きる。人間は、人間の力を超えてはいけない……そう、わたしは考えている」
「……そんな力あったってロクなことにはならないですよ。俺がいい例です」
「そうだな。だが、それは持たないものからすれば嫉妬の対象になる。嫉妬は強い感情であるがゆえに、諍いの種になりがちだろう」
六条院の言葉に松本は力なく同意し、もう一度深いため息を吐いた。
場に重たい空気が満ちるが、それを打ち砕きながら松本は次の問いを六条院に投げかけた。
「もう一つ、訊きます。今回のこと以外に隊長が俺に話したいことってなんですか」
帰ったら話す、と六条院は松本に言った。それを松本はきちんと守って待っていた。
六条院は松本の問いかけに大きく息を吸い、少しだけ止めてから吐き出した。緊張しているのだ、と松本も気が付いた。緊張している六条院を見るのは初めてだった。
「わたしが、六条院家を出た理由だ。……今まで、誰にも話したことが、なかった」
――聞いて、くれるか。
囁くようにこぼれた声を松本の耳はきちんと拾う。
「聞きます。隊長が話してくれることなら、全部ちゃんと聞きます」
松本はまっすぐに六条院の目を見つめて言いきった。六条院が小さく安堵の息をはいたのがわかった。
「――今から、十二年前、六条院家の先代が病によって鬼籍に入った」
先代、という単語が六条院の父を意味するのだと松本は一拍遅れて理解した。六条院はどこまでも六条院家に限りなく近い男として話をする。
「先代の跡を継いだのは当時十五歳だった六条院の嫡男だ。一卵性双生児の次男とどちらを継がせるのか、いろいろ揉めたようだが、最終的には嫡男になった。そして、次男は八条院家に次期当主の護衛候補として出されることになった」
「どうして、六条院家ではなかったんですか」
「同じ家にいると、支障が出ると判断された。遺伝子上同ひとり物であるがゆえに、だ。……だが、次男はそれを拒んだ」
六条院はそこで言葉を切って松本を見つめた。どうしてかわかるか、と問いかけられているのだとわかったが、黙って首を横に振った。
「彼の兄は、八条院家の次期当主――志々雄様のことが好きだった……のだと思う。それが恋慕だったのか、憧憬だったのか当時の次男にはわからなかったが、兄を差し置いて自分が彼の一番近くに侍ることになるのがどうしても許せなかった」
松本は六条院の話を聞きながら先ほど六条院自身が口にした『嫉妬は強い感情であるがゆえに、諍いの種になりがちだ』という言葉を思い出していた。
「……隊長は、聡くて優しい人ですね。お兄さんの幼い思慕も、自分との仲も守れる道を選んだ」
「結果的にはそうなったが、わたしがイバラの道を選んだせいで、兄にはずいぶんと迷惑をかけた」
六条院の語りは当事者のものに変わった。その声が懺悔の響きを含んでいるような気がして、松本は声をかけた。
「……ここに入ったこと、後悔されているんですか?」
「いや。当主になってすぐの兄に迷惑をかけたのは申し訳ないと思っているが、ここに入ったことを後悔したことは一度もない」
誰かの日常を支え、守り、慈しむ。
そんな仕事に携われることに感動し、ずっとその感動を胸に生きてきたのだ。現場に出ることが少なくなった今も、その気持ちは変わっていない。
「ただ名前を変えなかったことでこんなにも目立つとは思わなかった。元岡が少し羨ましい」
「――え?」
「? 知らなかったか? 元岡の旧姓は八条院で志々雄様の妹だ。昔から優秀だったが、家ではなく科技研での研究継続を希望して家を出た」
「それ、普通なら俺には開示されない情報でしょう?」
松本が指摘するが、六条院はどこ吹く風といった態度のままだ。松本は諦めて話を戻す。
「それで、隊長が名前を変えられない理由はおよそ予想がつくんですが、その通りなんですか」
「……そうだ。わたしは常仁様になれる」
まるで呪いだ、と松本は思った。遺伝子上、同じ人間が二人いるという呪い。その呪いは、家を出てまでも六条院を蝕む枷だと。
「……厄介ですね」
「だが、わたしはできる限りここに居続けられるように努力をする。……今回のこともその一環だった。が、そなたに黙っていてすまなかった」
六条院の謝罪を今度は素直に受け取ることができた。
「もう、怒ってません。隊長に事情があったのも理解はしていました。なんで俺には教えてもらえなかったのかって少し悩みましたけど。機密の開示範囲外だったんですよね?」
松本の言葉に六条院はうなずく。機密の範囲外だと抑えつけてしまうことは簡単なのに、それをせずに謝罪をするのが六条院だった。
「次回からは副隊長以上に開示できないかかけあってみよう」
「……これ以上いろいろかけあったら隊長の立場、危うくなりませんか?」
恐る恐る問いかけた松本に、六条院はにこやかに言う。
「そのために六条院という名前はある」
使えるものは使う。
そう言い切った六条院の横顔は凛々しかった。松本はその生真面目な顔がつぼに入って笑い出す。
「俺、一生隊長にかなう気がしませんよ」
「そうか?」
「はい」
ずっと目の前にこの人が立っていてほしい、と思いながら松本は六条院に手を差し出す。
「これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ」
松本の手を六条院が取る。
ぎゅっと力を込めて松本の手を握るその手の温度は、最初と変わらず熱かった。
【第三話 Ennui Twins END】
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