地下に集められた人間は全部で八人。普段ならば使うことがない部屋を松本は物珍しそうに眺めた。若干埃っぽくはあったが、防音がしっかりと整えられた部屋であることがわかる。機密性の高い会話をするにはおあつらえ向きの部屋だ。中央には円卓が用意されており、十二時の位置に稲堂丸、そこから時計回りに志登、第二部隊の隊長、副隊長……という順番で座るようになっていた。松本は部屋の雰囲気に気おされたまま、恐る恐る用意された席に着いた。
全員が着席したのを確認して、稲堂丸が口を開いた。
「突然の開催になって悪かった。緊急かつ極秘で耳に入れたいことがある」
普段は顔に見合わない柔らかい雰囲気を見せることがある稲堂丸だが、今日は厳めしい顔をしたまま、硬い声で話を始めた。円卓中央にある電子ボードからホログラムの映像が立ちあがり、事件の資料を移した。
「このところ続いている通称〝ノライヌ事件〟だが、事件を起こしている者たちの基本的な情報が割れた」
その言葉と共に稲堂丸は六条院に目礼をした。公平な采配とはこのことか、と松本は納得する。
「――遡るのは五十年前、〈世界を滅ぼす〉大戦の最中だ」
〈世界を滅ぼす〉大戦がなぜ起きたのか、明確な理由は今でもわからない。おそらく理由などない。だが、いつの間にか、各国が競うように自国の技術力を見せるようになり、結果として世界は一度滅んだ。〈ヤシヲ〉も都市国家としてかろうじて再生し、現在に至っているが、元の国家の面影はほとんど残っていない。元の国家を知ることができるものがあるとすれば、一部残った条院家に保管されている記録と〈世界を滅ぼす〉大戦を経験して生き延びた者の話だけだろう。
「とある研究機関にて、人体の能力向上の研究が行われていた。その研究は人体の細胞を後追いで変化させ、能力を飛躍させるものだ。当時は特殊な条件下であったため、能力向上の中に戦闘能力強化も含まれた」
「……つまり?」
第四部隊の隊長である八島《やしま》が稲堂丸に続きを促した。稲堂丸はホログラムの映像を切り替えると、箇条書きにされたそれをその場の全員に見せた。そこには、研究の結果もたらされた能力向上が種類ごとに記されていた。主なものを簡単に示すと四つになる。
・五感能力の向上(特に視覚、聴覚、嗅覚)
・再生能力の向上(多少の怪我ならばすぐに完治する)
・身体能力の向上(必要な休息時間が短く、活動可能時間は長い。筋力向上、抗老化もここに含まれる)
・命の危機に際するとさらに能力向上し、身に危険を及ぼすものをすべて排除しようとする。
全員が目を通したことを確認して稲堂丸はホログラムを消し、話を続けた。
「大戦中に実験に関わることになったのは全部で四十人の人間だ。そのうち成功例が五人、成功しなかったと記されているものが残る三十五人。成功例はひとりをのぞいてすべて大戦中に失われているが、そのほかの者の生死はすべて不明になっている」
「ッ、待ってください! 成功例のひとりはどうなっているんですか⁈」
稲堂丸の言葉にいち早く気がついた第二部隊副隊長の三雲《みくも》が訊ねる。〈アンダーライン〉内部において女性初の副隊長である彼女は、頭の回転が非常に早い。何度か助けられたな、と思いながら松本は次の稲堂丸の言葉を注意深く待った。
「――なんのために、この国家に〈地下街〉があると思っている?」
「……」
稲堂丸の答えに三雲は黙った。要するに、隔離場になったのだと察することは容易だった。争いのために生み出されてしまった兵器は、争いの終結とともに速やかに隔離されなければならない。そのため、〈地下街〉の詳細は一般人および〈アンダーライン〉の一般隊員には知らされておらず、〈アンダーライン〉の中でもごく一部の人間と【中枢】地区の上層部――政府の人間だ――のみが立ち入りの権利を有している。
「……そんなことのために、」
「そうだ。だから一部の人間にしか知らされず、ずっと箝口令が敷かれてきた」
普通に考えれば人権侵害だからな、と疲れた口調で告げる稲堂丸に、彼もこの事態を好ましく思っていないのだとその場の全員が理解した。
「だが、このような事態が起きた以上、〈地下街〉を調査する必要が出てくる。立ち入り権限は隊長にのみ付与されているため、交代で二人ずつ調査をする。その間もう一組は、【住】地区において〝ノライヌ〟の潜伏場所を調査する……なんせまだ人数規模も掴めていねえからな。最低四人以上ってことだけだ」
稲堂丸はそこで一度言葉を切る。第二部隊長の末永、六条院、八島の三人が是と答えた。続いて稲堂丸は視線を副隊長に移した。
「隊長不在の間、通常の業務の指揮権はすべて副隊長に与える。本来であれば隊長采配になるところもすべて委ねるつもりだ」
「……わかりました」
志登が答える。松本を含んだ残りの副隊長も口々に承諾の意を口にした。稲堂丸はそんな四人に礼を言う。
「やだなあ、お礼なんてやめてくださいよ、隊長。隊長たちがいないんだから当然でしょう。俺たちだって伊達に〈アンダーライン〉に勤めてないんですよ」
志登の言葉がその場の空気をわずかに軽くする。この場においてためらいなく口を開けるところが志登の長所だな、と稲堂丸は思い、
「見くびったように聞こえたか? 悪かった」
と謝罪した。志登は首を横に振った。
「謝罪も必要ありません。――俺たちは俺たちのやるべきことをやる。それだけです」
「そうだな。じゃあよろしく頼む。……これでどうだ?」
おどけたように訊ねる稲堂丸に、志登は笑顔でうなずいた。
「はい。がんばります!」
志登の元気に響く声に、追従する声がその場に響いた。
その声を聞きながら、六条院はちらり、と横に見える松本の顔色をうかがった。声は元気でも、松本の顔は会議が始まってからずっと白いままだった。会議が終わってから少し話をする必要があると判断し、六条院は会議の終了を今か今かと待ちわびた。
「松本」
会議の後、すぐさま隊舎に戻ろうとする松本を六条院は引き留めた。松本は浮かせかけた腰を椅子に下ろし、六条院を見つめた。稲堂丸はそんな二人を見て「鍵を渡すから施錠して返しに来てくれ」と告げ、六条院に鍵を預ける。この会議室のカギは第一部隊の隊長が管理することになっていた。
ぱたん、とドアが閉まる音がして部屋には二人だけになる。
「顔色が悪い。この数か月ずっとだ」
「……」
「業務に支障が出るならば追求するという言葉はひるがえさぬぞ」
本人が言いたくないことを無理に言わせたくはない、と六条院は思っている。そして松本の意思が固いことも知っている。なるべくならば、松本の口から話が出るのを待っていたかったが、この部屋を使える時間も限られている。
「そなたが言わないのであれば、わたしから訊く。先ほどの会議、途中からずっと拳を握っていたな。そなたは緊張すると、その癖が出る」
「……」
「今もだな」
六条院の言葉は優しく響いた。松本はいっそ泣きたいくらいの気持ちになりつつ、真正面から自分を見つめる六条院の目を見た。
「何が、そんなにそなたを追い詰める?」
六条院の中には一つの仮説があった。おそらくほかの人間の脳裏にも少しだけよぎっていただろう。だが、それを示す証拠は一つもない。
二人の間に静かな緊張が満ちる。一秒が永遠にも感じられる感覚の中で、先に緊張の糸を切ったのは六条院だった。ぽん、と松本の肩を軽くたたく。
「立ち入ったことを訊いたな。すまなかった」
「……いえ」
松本の心臓はまだ痛いくらいに跳ねていた。握りしめた拳は接着剤でくっつけたかのように硬く閉じたままで、開くことができなかった。
「元はと言えば、俺が」
言えないのが悪いのだ、と続けようとした言葉は、六条院が首を横に振ったことで遮られた。
「そなたの責任で黙っているうちは、わたしも核心まで追わぬ」
謝罪は不要だ、と言い切った六条院に、松本は救われたような気持ちになり、黙ったまま深く頭を下げた。
――そして、その翌日。
出勤してきた六条院の机に置かれていたのは、角ばっているが丁寧な文字で書かれた松本の『退職届』だった。