翌日、昼。
松本は志登とともに〈中央議会所〉に訪れていた。対峙する相手は為石だ。ローテーブルを挟んで、向かい合ってソファに座る。
「――訪問の理由はおわかりですね」
厳しい声色で口火を切ったのは松本だった。
「今回の騒動のからくりがわかったから答え合わせをしにきたのだろう」
「ええ、ご推察の通りです。一つずつこちらからお話します。違っている部分があれば訂正してください。またこの会話はすべて記録されます」
「いいだろう」
「ではまずわかったことからお話します。あなたの補佐官・乾みちると現在重要参考人として行方を捜している神在潤の個人識別IDが一致しました」
眞島の情報を元に、特別囚人が収容されている監獄に訪れた神在と、為石の補佐官として働いていた乾の個人識別ID(各地区へのゲート通過時に記録されるIDだ)を調査したところ、両者が合致した。個人識別IDの付与は政府権限であり、〈中央議会所〉の手が及ぶ範囲にはない。そのためこのIDだけは偽造ができなかったのだろうという結論に至った。
「あなたは、彼女が神在であると知っていた。そのうえで自分の手元に補佐官として置いていた」
「そうだ」
黙秘されるかと思ったが、意外にも為石はあっさりと認めた。松本は話を続ける。
「そしてもう一つわかったことをお話しておきます。例の特別許可証ですが、あれは所長さんではなくあなたの独断で作成された書類でした。先ほど所長さんご本人に確認を取ってきました」
特別許可証を見せられた中央議会所長は驚いていた。自分はこのような許可を出していない、と言った彼は嘘をついているようには見えなかった。所長不在の際には副所長に所長権限が下りるため、為石も角印は持っている。偽造書類を作ることは容易だ。
「それも認めよう。それは私の独断だ」
「よかった。前提がひっくり返ると大変ですから。そしてここからは我々の推測が多分に入ります。最初に言いましたが、間違っている箇所があれば訂正してください」
松本の言葉に為石は黙って息を吐いた。
「今回の騒動、根底にはあなたと神在の思想が一致したことがあると推測しています」
松本はそう言って、空中ディスプレイにデータを映す。データ内容にさっと目を通した為石は目を細めた。
「あなたも、米澤博士に師事したことがあったんですね」
改めて為石を含めた今回の関係者の過去を洗い出したところ、為石が若い時分に一時的に米澤に師事していたことが判明した。それは三十年ほど前であり、眞島が生まれる直前であることもわかっていた。米澤の研究に魅了された彼は、なんとかして彼女の研究を存続させたいと考えた。
「たったその数年の接点だけでそう考えるのかね?」
「いえ。それだけではそう考えたりしません。ですが、このデータが氾濫する世の中です。あなたの書いた論文を見つけることに苦労はしませんでした。これらの論文を読めば、あなたが米澤博士の研究に魅了され、心酔していたことはすぐにわかります」
松本は端末を操作して映す内容を変えた。為石が執筆をした論文の数々だ。米澤の研究を踏襲した内容になっていることは元岡が確認をしている。
「あなたと神在がどこで会ったかは我々にはわかりませんでしたが、あなたたちの気が合わないはずがない。意気投合したあなたは、彼女を自分の近くに置くことにしたんですね」
「そうだ」
「彼女が違法行為――例の特別監視下にある囚人に会うこと以外に手を染めていたのもご存知でしたね?」
「黙秘する」
「わかりました。では次のお話に移ります。現在、〈アンダーライン〉第三部隊長の行方がわからなくなっています。ちょうど二日前、〈中央議会所〉を訪れたのが最後の目撃情報です」
「……」
黙った為石に松本は言葉を重ねる。
「俺と隊長を引き離すことがあなたたちの目的だった。つまり、理由をつけて俺を〈アンダーライン〉ではなく、〈中央議会所〉の監視下に置きたいと思っていたのではありませんか?」
この推論を導き出すにあたって、松本は以前虚口が接触を図ってきたときのことを思い出した。虚口の言葉を要約すると、米澤博士の研究結果そのものである松本自体を観察・研究の対象としたい、ということになり、おそらく米澤に心酔している為石と神在も同じことを考えるだろう、という推論だ。
「半分は当たりだ」
「半分というのはどういうことだ」
為石の言葉に即座に反応したのは志登だった。返答次第ではただではおかない、という気迫とともに吐き出された言葉に為石は笑いをこらえながら話を再開させた。
「お前たちは科学者というものをわかっていない。科学者というのは自分の理論の実証に一番の喜びを覚えるものだ。理論の実証には実験が必要になる、というのはわかるな?」
「まさか、」
「彼女は私よりもずっと優秀な科学者だ。まあ、彼が命を落とすようなことにはならないはずだ。早く見つけた方がいいとは思うが――」
ね、と最後の言葉を為石が口にするより早く、松本がローテーブルを乗り越えて為石の胸倉をつかんだ。左足にハンデがあるとは思えないほどの速さに志登の反応も一瞬遅れた。
「何の権利があってお前たちが人の命を踏みにじる! 今ここで俺に説明をしろ! 人の尊厳をなんだと思っているんだ! 答えろ!」
普段からは考えられない松本の怒鳴り声に、志登もようやく我に返った。
「おい、やめろ、映像で全部記録されてんだぞ!」
志登は胸倉をつかんだまま為石を揺さぶる松本の腕をつかんだ。一瞬志登を見た松本の目は怒りと悲しみに揺れており、志登もそれに動揺する。
「――他の人間と違う身体をもって、違う生き方をするのがどれだけ苦しいことがお前たちにわかるか。法やあの人がお前たちを許しても、俺は絶対に許さない」
「お前に、許されないから、なんだと、いうんだ」
為石は首を締めあげられながらも言葉を発した。
「あの人の美しい研究を、国が勝手に封じた。それを、私たちの手で守り、慈しみ、次世代に繋ぎたいだけだ。私たちの気持ちは、お前たちにはわからないだろう」
「そんな身勝手な言い分が通るか! お前たちの研究には誰の人生が必ず犠牲になる。そんな研究のどこが美しいんだ! お前たちが踏みにじった誰かの一生は、二度と元には戻らない。そんな人生を誰が望むと思っているんだ!」
――お前たちも、一生かけて償え。
しぼりだすようにそれだけ言うと、松本は為石から手を離した。為石が咳き込む音だけがその部屋に響く。志登が記録媒体の稼働を止め、記録が正常に行われているのを確認して、松本を振り向く。
「ったく、手を出すなっての。そうしたくなる気持ちはわかるけどな。でもこんなクソ野郎どもでも、手を出した方が悪いって世の中なんだよ」
「……」
「子供か」
不貞腐れたように何も言わない松本に呆れたように志登は言う。
「さて、とりあえずあんたは文書偽造で罪に問われることになる。余罪はもっと出てきそうだが、それは追々な」
志登はポケットから手錠を取り出し、カチャンと音を立てながら為石の両手を拘束した。松本に締め上げられたことにより体力を消耗したらしい為石はおとなしく床に座りこんだ。
志登はやれやれ、と言いながら為石を連行の応援を呼ぶために〈アンダーライン〉本部にいる雷山へ連絡をする。現在、〈アンダーライン〉本部では雷山が第一部隊と第三部隊を同時に監督していた。志登は雷山と二言三言交わすと、松本を振り返った。
「おい! 六条院隊長見つかったってよ! たった今!」
雷山からの速報を伝える志登に、松本は弾かれたように顔を上げた。
「あ? 待て待てゆっくり話せ、なんだって?」
志登は端末をローテーブルに置いてスピーカーホンに切り替えた。松本も志登の横で雷山からの報告に耳を傾ける。
『発見場所は松本副隊長がおっしゃったとおり、【住】地区三番街の空きビルでした。近くにいた女は今から〈アンダーライン〉本部に連行する予定です。六条院隊長に意識はありませんが、脈拍、呼吸数ともに正常範囲だそうです。ただ、』
「ただ、何?」
先をうながす松本に通話の向こうでためらう気配がした。
「俺には言いにくいことなのはわかった。でも言って」
『……未知の薬物を点滴で投与された痕跡が残っていましたので、救急にて緊急搬送されました。意識が戻るかどうかは、現時点で不明です。内容物については女に訊ねていますが、黙秘をされています』
雷山は極力事務的に淡々と報告を続けた。それが雷山のできる最大限の配慮だということが痛いほどわかった。
「了解。報告ご苦労さん。悪いけどさっきの応援、もう一人寄越してくれ。俺と松本はこのまま六条院の搬送先に行くから、病院も教えてほしい」
「志登さん、」
「このまま帰っても仕事にならねえだろ、特にお前が」
こういうときに法的なしばりが効くんだろうが、と言って志登は松本の左胸ポケットを指さした。そこには松本の身分証が常時携帯されており、家族構成もきっちりと記載されている。
『了解しました。こちらは大きな問題もありませんので、おまかせください』
「お、雷山もわかってきたな」
『無茶を平然とこなす隊長に鍛えられましたので』
では二十分後に到着するように応援を手配します、と言って雷山は通話を終わらせた。
「ひとまず、安否がわかってよかったな」
「……うん」
松本は大きく安堵の息を吐いた。昨夜からずっと続いていた緊張がほぐれ、今になって手足が震える。その震えをしずめるように松本はきつく拳を握りしめた。