最終話  The pale light of dawn - 6/8

 事件解決から三日後の朝、眞島が出勤すると〈アンダーライン〉第三部隊執務室には松本が既に出勤していた。
「おはようございます。もう有休消化はいいんですか?」
「おはよう。ずっと病院にいてもやることないから、今日からは出ることにした。昨日の夕方に一旦隊長の意識も戻ったしね」
「そうですね」
 六条院の意識が戻った、というニュースが第三部隊に伝わった瞬間、わっと歓声が上がったのを本人たちにも見せたかった、と眞島は思う。
「意識が戻った後は安定しているんですか?」
 続けて眞島が訊ねると、珍しく松本は顔を曇らせた。
「いや。すぐに激しい頭痛がするって訴えたから、また鎮静剤を投与されたよ。意識が戻っていた時間は五分くらいだったかな。まあでもこれをみんなに伝えても士気が下がるかと思って敢えて黙ってたけど」
「……それは賢明な判断だと思います」
 松本の発言から、病院にいてもやることがないのではなく、実際のところは働いて気を紛らわせていた方がいいのだろう、と眞島は推測した。
「そしてこのタイミングで申し訳ないんですが、私からも一つお話がありまして」
 眞島の打診に、松本は少し驚いたような顔をしたが、どうぞ、と続きを促した。
「組織が安定したタイミングで、職を辞そうと思います。〈中央議会所〉も辞めるつもりです」
「うん。わかった」
「驚かないんですか?」
「ちょっと予測はしてた。眞島くんがこれからの人生を全力で走るために必要な場所に行くだろうって」
 そこまで予想されていたのか、と思いながら眞島は、今後の予定も松本に伝えた。
「大学に戻って、もう少し自分のできることを磨いてこようと思います」
 神在のプロファイリングができなかったことが眞島の中では引っかかっていた。あそこで自分が簡易的なものでもできていれば、事の顛末は少し違ったものになっていたのではないか。考えても仕方のない〝もしも〟はいくつもあったが、それを一つでも払しょくできる道を選びたいと思った。
「応援するよ」
「ありがとうございます」
「まだお礼を言われるには早いよ。隊長が復帰するまではいてもらうつもりだからね」
 さて、今日も頑張ろうか、と言う松本に眞島は「はい!」と元気よく返事をした。

 それから一週間後。眞島は一時的に業務を抜け出して、特別監獄を訪れていた。もう二度と訪れることがないようにと祈っていたが、どうしても訪れてサンと話をする必要が出てきた。
「あら、カオル。また来てくれたの」
「はい。今日はさよならを言いに」
「そうなの。カオルはこの職業を離れることにしたのね」
「ええ、〈中央議会所〉も辞める予定です」
「……そんなこと私に言っていいの? 他に言う人いるんじゃないの?」
「他に言うべき人には言いましたよ。でもあなたに情報を届けていた神在はもう来られない。だから直接伝えておこうと思いまして」
 眞島の言葉にサンは笑った。
「カオルは真面目で頭がいいのね。あーあ、カオルみたいな人に四十年早く出会っていたら私の人生も違っていたかも」
「生まれてませんよ」
「さっきの発言を撤回するわ、ばかね! そういう話じゃないのよ。ところで今の仕事も前の所属も辞めて今度は何をするの」
「もう一度大学に戻ります。戻って自分の技術をもっと確立しようかと」
「ふうん。じゃあもうここには来られなくなるのね」
「はい」
 実際に〈アンダーライン〉を辞める時期は決まっていなかったが、時間を取るのは早い方がいいと判断して本日の訪問となった。
「カオルは変な人ね。私にそんなコミュニケーションを取ろうとする人なんて初めてよ。まあでも、悪い気はしないかな。人間扱いされている感じがする」
 サンはアクリル板越しに眞島に向かって微笑みかけた。
「バイバイ、カオル。元気でね」
 手を振るサンに、眞島は軽く頭を下げた。二人の道がこれから先で交わることはないだろうとお互いに確信があった。

 ――その日は、冬の寒さが厳しくなった日だった。

「どういうことですか、これは」
 〈アンダーライン〉第一部隊執務室に呼ばれた松本は志登から一枚の紙を受け取った。その紙の内容に絶句したのちの第一声だった。
「どうもこうもねえよ。そういう決定だ」
 俺も納得できないところはあるけどな、と言いながら志登は松本から紙を取り上げて、ため息をついた。
 ――来年年初ヲモッテ 〈アンダーライン〉第三部隊長ニ 松本山次ヲ任命スル
 と書かれたその紙は間違いなく、〈中央議会所〉から正式に発行されたものであり、松本の辞令であった。
「六条院隊長は長欠扱いになる。いつまでも人員を補填しないままでいるわけにはいかねえ、っていうのが決定の理由。悪いが、その考えには俺も賛成だ」
「……」
「この決定が六条院隊長の快復を願っているお前たちの心を折るんじゃないか、って俺もずいぶん考えた。でも、組織としてはそうするしかなかった」
「うん」
 結局、六条院は一度意識を取り戻して以降、未だ意識が戻らないままだ。そんな人間をいつまでも待てない、というのは組織として出す結論としては妥当だ、と松本も理解はしている。だが、
「……悔しいな」
「そうだな」
 ぐい、と目元を擦った松本を志登は見ないふりをした。松本は志登からもう一度辞令が書かれた紙を受け取ると、拝命するけど一つだけお願いがある、と言った。
「なんだ?」
「引継式はやらないでほしい」
「……わかった」
「あくまで俺は、隊を預かるだけだから」
 時が来たら万全の状態で返せるようにする。今の松本にできるのはそれだけだった。
「あと、もう一つだけ。さすがに支部の運営までは手が回らないから、一度支部の運用は完全に停止してほしい」
「それも了解。試験設置だったからすぐに決裁が下りるはずだ」
 志登は淡々と言った。その静かな態度がかえってありがたいと松本は思った。
「副隊長の目星はついてるの?」
「一旦、櫻井を戻す。知ってるやつでベテランだと何かとやりやすいだろ。眞島もそろそろ本人が行きたがってる道にやりたいし」
「ご配慮どうも。でも助かる」
 櫻井なら適任だと松本も思う。自分の右腕としても、隊の安定としても優秀な人材だ。
「松本」
「ん?」
「これからもよろしくな」
 差し出された志登の手を松本も握り返す。
今回の辞令を伝える際に、志登は一度も松本に対して謝罪の言葉を口にしなかった。それは志登が間違ったことをしていない、と確信して今回の事を運んだからだと松本も理解をしていた。そしてそんな志登の信念を松本も信頼していた。
「あとは隊員にどう説明するかだが、俺からした方がいいか?」
「いや、大丈夫。俺からするよ。俺がどういうつもりで引き受けたかも一緒に話しておきたい。もしかしたら異動や退職を言い出す隊員もいるかもしれないけど」
「ある程度その可能性は考慮して人員を新しく採ろうとしてる」
「まあ、そうか。そのあたりまで全部考えてくれてるよね」
 松本が〈アンダーライン〉第三部隊に異動して七年。
 ずっと部隊の先頭に立っていた六条院の座が松本に譲られた瞬間だった。