――何もお話することはございませんわ。皆様がご覧になったものが事の顛末。ああでも、もう少し遅く来てくださっていればよかったのに。わたくしから皆様に申し上げることはそれだけです――
逮捕後の取調べに対して神在が答えたのはこれだけだった。彼女がどこで虚口と知り合ったのか、なぜ違法行為を犯してまで、米澤の研究を継続させようとしたのか。知っているのは、神在と話した六条院だけだが、誰もそれを確認できなかった。すべては藪の中だ。為石が松本たちに語ったことから推測するほかなかった。のちに彼女たちが起こした一連の事件は、国家の重要機密として厳重に取り扱われることになる。
○
久しぶりに訪れた病院は変わらず消毒液のニオイがした。松本自身も二度、世話になったことがある場所であり、今でも定期的に検診で通っているため、すっかり顔見知りになってしまった職員たちも多数いる。受付の職員には、松本の主治医は休みだ、と言われるほどだ。
「隊員の見舞いに来たこともあったんだけどな。そんなに自分の治療で通った回数が多くなってたっけなあ」
集中治療室へと向かう廊下を歩きながら松本がぼやく。
「お前の場合、怪我の理由が理由だからみんなの印象に残るんだろ」
「病院全体に箝口令敷くことになって申し訳なかったと思ってるよ」
六条院は集中治療室に入れられているため、面会は叶わないが、外から病室内を見るのは構わない、ということだった。部屋の中で、忙しなく動き回る医師と看護師をガラスの外から見つめる。
「……俺も心配かけてたんだな」
「今頃わかったか」
挿管され、多数の機器を繋がれている六条院を見た松本の発言に、志登が呆れたように言う。
「今だから言うけど、あんまり見ていられる状態じゃなかったぜ。あの時の六条院隊長」
「意識が戻ったら改めて謝ることにする」
「そうしろ」
「で、そのあと俺もちゃんと怒るよ。怪我だけならまだしも、得体のしれない薬物打たれて命を危険にさらす方がよっぽど性質が悪い」
全身に回っていると推測される薬物を透析のような形で抜いて回復を待つしかない、意識が戻るかどうかは本人の体力と運次第、という医師の説明を松本は黙って聞いていた。
「……そうだな、そっちもそうしろ。お前には怒る権利があるし、六条院隊長は怒られておくべきだな」
うん、と松本は首を縦に振った。もしこのまま意識が戻らなかったらどうしよう、と一瞬でも考えたことを振り払うように。
同日、夕刻。
「あれ、眞島さん。どうしたの」
〈アンダーライン〉第三部隊執務室に詰めながら、第一部隊と第三部隊の指揮を執っていた雷山のもとに眞島が顔を出した。
「起きたら〈中央議会所〉に戻される辞令がいったん凍結になっていたので、こちらに顔を出しにきました。人手も足りないだろうと思いましたので」
夜通し歩いて自宅に帰ったのち、泥のように眠っていた眞島のもとに辞令を一度凍結する、という連絡が来たのは数時間前のことだった。そもそもの人事辞令が無効であるという知らせに眞島は「やはりそうか」と納得したが、他の情報取得のためにも〈アンダーライン〉に顔を出すことを選んだ。
「とても助かる! ありがとう!」
「それは何よりです。ところで、現状についても教えていただけますか。私の辞令が一度凍結されたということはおそらく解決していると予想していますが」
「さすが。一応解決、したにはした……かな。眞島さんが持ってきてくれた情報が決め手になったって言ってたよ。眞島さんもお疲れ様」
オールクリア、とまではいかない。雷山は六条院発見と、首謀者逮捕が叶ったことを眞島に伝えた。
「……やはり副所長が絡んでいましたか」
「ええ。残念ながらそこはひっくり返らなかった」
だが、眞島には一つだけ腑に落ちたことがあった。彼が眞島の母とパートナーシップを解除した時期がちょうど米澤に師事をした直後だったことだ。はじめから眞島と為石の道は分かたれていたことが、少しだけ救いになった。
「松本さんは?」
「今はうちの隊長と一緒に六条院隊長の入院先に行ったよ。法的なパートナーだし、しばらく帰ってこないんじゃないかな。まあ、二人とも有休消化しろって労務にせっつかれてたし、いい機会だと思って消化させる方向で」
「と、いうことは私たちが頑張るしかないということですね」
眞島の確認に雷山はニヤ、と口角を上げた。
「当たり。頑張ろうな」
「ええ、とりあえず私は荷物を置いてきます」
眞島はそう言って、ロッカールームに向かった。心残りがあったこの現場でまた働けるのが嬉しい、と足取りはとても軽かった。配属が決まった時は全く異なる心境に、自分でもおかしくなるほどだった。
同日、夜。
八条院家当主の部屋で、プライベート用の端末が着信を告げていた。ディスプレイに表示された名前を見て、八条院は目を細める。
「もしもし」
『こんばんは。事件が解決したのでご連絡しました。お時間は大丈夫ですか』
「もちろん大丈夫だよ。連絡ありがとう、松本くん」
以前自分が言ったことを覚えていてくれたのか、と八条院は素直に感心した。
この事件を起こすに至った動機と、彼女の目的。根っこの部分に八条院家が絡んでいることであり、当主たる自分は知らなくてはいけないことだと八条院は考えていた。
『ありがとうございます。彼女の目的は米澤博士の研究継続と発展。動機としては尊敬していた博士の研究が不本意に打ち切られることが受け入れられなかったのでしょう』
「それは、彼女自身が語った言葉かな」
八条院の問いかけに電話の向こうの松本は『いいえ』と答えた。
『彼女は一切こちらの問いかけには答えずに黙秘を続けています。彼女の協力者となった人物の話から推測をしているだけです』
「そうか」
『おそらく、彼女の答えを知っているのは真仁さんだけだと思うんですが、こちらも会話ができる状態ではありませんので』
松本の言葉に、八条院は思わず椅子から立ちあがった。
「何があった?」
『神在によって成分不明の薬物を投与されました。現在意識不明で入院中です』
「……それは、」
何も言葉が出てこなかった。慰めも励ましも、今の松本に届くとは思えずその場に立ち尽くす。するとふっと電話の向こうで松本が緊張を緩めた。
『すみません、今のは八つ当たりです』
「いや、当たられて当然だ」
『あなたが悪いわけではありません。俺が言うのもどうかと思いますが、無理にすべての責任を取ろうとしなくてもいいのではないですか』
「そうなのかな」
『もっと厳しい言い方をするなら、一個人が取れる責任の範囲なんてたかが知れているんですから、それ以上の範囲に手を伸ばしたところで他人の責任の横取りです』
松本の言葉に八条院は苦笑した。
「それは厳しいな。だけどおかげで少し目が覚めたよ」
『それは何よりです』
「ただそれでも、何かしたいと思うのはボクのわがままかな」
電話の向こうで松本は言葉に詰まったようだった。八条院はじっと松本の言葉を待つ。
『……では、これから先にしてほしいことを言ってもいいですか』
「? もちろん」
『現在、投与された薬物の成分・効果効能の解析をしています。解析ができたら、その薬物がどうやって作られたかを解明してほしいと思っています』
「わかった。それは確かにボクらの仕事だ」
八条院の承諾に、松本がほっとしたように息を吐いた。軽口をたたいているようにみえて一番精神的に消耗しているのは彼だというのが八条院にも痛いほどわかった。名前のない薬物は毒と同じである。精製方法、管理方法を適切に管理できる誰かが必要になり、その誰かは、医学・応用科学分野の基礎研究、資料蒐集などを一手に引き受けている八条院家が担うのが妥当だった。
『ありがとうございます。よろしくお願いします』
「うん。……松本くんも休めるときに休んでね」
最後の八条院の言葉に松本が答えないまま、通話が終了した。この調子だとおそらく休まないな、と推測して八条院はやれやれ、とため息をついた。ただ、六条院を案じ、そばに居ようとする人間がいてくれてよかったと思う。彼のことを昔から知っているだけになおさらそう感じた。
「さて、こちらも準備をしておかないとね」
八条院は端末を操作して、八条院家のコネクションの中でも特に薬学に明るい専門家たちを選定する準備を始めた。彼は自身の研究もあるが、当主である以上、様々な研究をサポートすることも仕事だ。適任と思われる研究者を選び、声をかける。
「……これを言ったら不謹慎だって怒られちゃうかな」
だが、未知の薬物の精製法の解明を任されて胸が躍らないはずがなかった。松本にも六条院にも悪い、と思う心こそあるが、彼もまた科学者であった。