第四話 Eternal Dolls - 4/8

「すみません、もうお帰りになるところでしたよね」

約十分後、全力疾走をしてきたのだろう元岡が第三部隊の執務室に現れた。

「それはそれ、これはこれです。優先順位を違えるつもりはありませんからご安心ください。元岡さんこそ時間外にありがとうございます」

松本は給湯室に常備されているウォーターサーバーから紙コップに水をそそいで元岡に手渡した。半分ほど一気に飲み切った元岡はまだせわしなく呼吸をしていたが、端末を取り出して、机の上に置いた。

「五分後に兄から連絡が来る手はずになっています。私から連絡を取るのは難しかったんですが、兄が自分のわがままという形で無理を通してくれました」
「!」
「私を通してもいいが、できれば直接真仁さんとお話したいと」
「……なるほど、それが志々雄様の意思だな」
「はい」

ようやく元岡の息が整ったところで、彼女の端末が着信を告げた。通話ボタンを押して相手に声をかける。

「もしもし、」
『――佐都子だね』

元岡が呼びかけると電話の向こうからは松本の想像よりも明るい声が聞こえた。訪問をすげなく断られたため、厳格な声音を想像していた松本は少しだけ息を吐く。

『真仁くんは?』
「ここにおります」
『あ、あと松本くんもいる?』

え、俺? と松本は無言で自分を指さす。六条院は目でうなずき、松本を近くへと手招いた。松本も端末の近くに顔を寄せ、松本です、と名乗った。電話越しに「初めまして、八条院志々雄《はちじょういんししお》です」と名乗ったあと、そのまま彼は話を続けた。

『常仁くんから聞いてる。面白い子が真仁くんの下にいるよって。初見で二人を見分けたって聞いて驚いた』
「筒抜け……」

小声で松本はぼやく。先日六条院から聞いたことは嘘なのかと思うくらいの情報が筒抜けであることにあきれた。箝口令を敷いておくべきだったか、と一瞬考えるが、条院家の間の情報交換の仕組みなど松本の想像を超えているだろう、と諦める。

『おっと、こんな話をしている場合じゃなかった。ボクも時間が限られていてね、この通話時間もかなりタイトなんだ。ここからはボクが一方的にしゃべらせてもらってもいいかな』

許可に見せかけた命令なのは明白だった。本当に時間がないのだろうと察して六条院が答えた。

「もちろんです。志々雄様の時間が残れば、こちらからも質問をさせていただきます」
『真仁くんにそう呼ばれると、なんだか気恥ずかしいね。……端的に言うと、ボクの通話時間が限られているのは、先代を含めた人間たちに協力の制限をされているからだ』
「兄さん、それって」

――不当な当主の権力制限じゃない、と続けた元岡を八条院が遮った。

『佐都子、今はそのまま聞いてて。この通話もどこまで繋がるか怪しい。ボクがだいぶ無理を言って叶えたようなものだからね。本当は、常仁くん……というよりは真仁くんだね、君の要請に応えたかったんだけど』

八条院家は当主こそ志々雄に代わっているが、先代――八条院の母に当たる――は存命だった。要するに当主の座を退いて隠居の身になっている。

『佐都子から聞いたことを元に回答すると、例の研究には八条院の二代前――ボクたちの祖母と清塚、あともうひとりが主力としてその研究に関わっていたと推測される。米澤ミサトという女性だ。清塚は君も知っているとおり、その道を退いて六条院家に勤めているが、米澤は八条院家の勤めを辞して以来、行方がわかっていない。だが、祖母の口ぶりからすると清塚よりも米澤の方がメインで研究に関わっていたようで、彼女の尽力が大きいとも言っていた』
「志々雄様、一つだけ確認を」
『なに?』
「米澤は、医師免許を持っていて、先生と呼ばれていましたか」

先に見ていた手記の内容を確認するために六条院が訊ねた。八条院は少し黙ったのち、再び話し始めた。

『……呼ばれ方はわからないけど、医師免許を持っていたことはたしかだったよ。先に米澤のことを調べて真仁くんにデータを送ったからあとで確認してほしい。経歴や研究内容もあるから、取り扱いは極秘で頼むよ。特に、研究内容の方』
「承知いたしました」

六条院が返事をした途端、相手の声にノイズが混じり始めた。

『もう、限界か――あまり役に立てなくてごめん――また――…………』

また、の後の音は聞こえることなく、通話は終了した。その場には無言の三人が取り残される。

「兄の言っていた資料に補足があります」

初めに口を開いたのは元岡だった。

「申し訳ないですが、閲覧は六条院隊長のみに制限されています。もちろん、閲覧後に松本副隊長に内容を口頭で共有するのは構いません」
「……わかった。わたしがこの内容を見られるのも特例だな?」
「はい。六条院の名があるから見られる、とご理解ください。私でも内容は見ることができないくらい厳重なんです」
「無理をさせたな」
「いえ。私がしたくてしたことです。研究は研究で意味のあることですが、私はそれを目の前の誰かの役に立てたい。それが私の選んだ道ですから」

元岡は紙コップに入っていた水をすべて飲み干すと、にこり、と微笑んで「ごちそうさまでした」と松本に礼を言った。

「では、私はこれで。もし資料になにか気になる点がありましたら、送信元に直接連絡を取っていただいて構いません。おそらく、六条院隊長との連絡用に用意されたものだろうと思いますので、今は制限を受けていないと思います」
「わかった。時間の問題だな。なるべく早めに資料に目を通す」

六条院の言葉に松本はちらり、と彼を見る。

「……もの言いたげにわたしを見るのはやめろ。わたしだってわかっている。この間労務に怒られて懲りた」
「だったらいいんですけど」

二人のやりとりを見て、元岡がくすくすと笑う。

「じゃあ、本当にこれで。あとをよろしくお願いします」

元岡は二人に対して深々と頭を下げて、執務室を出て行った。

「資料、いつ見るんですか?」
「今から見る。研究内容は後回しだが、米澤本人の情報があれば、明日以降の調査指針にする」

六条院の言葉はいつもと変わらず凛と響いた。

「もし、情報の中に米澤の現住所があれば明日そなたと櫻井で訪ねてくれ」
「わかりました」

松本は承諾の答えを返し、再び椅子に座った六条院の正面に腰かけた。

「……? 終業時間は過ぎたぞ。仕事がないなら帰れ」
「待ってます。どうせ同じところに帰るじゃないですか」

当初は同じ住居に帰ることに抵抗感もあったが、今やその感情は霧散していた。

「……待たずともよい。無駄な労務費を発生させるな」

シッシッ、と追い払う仕草をされて、松本は渋々腰を上げた。そこで、一つだけ言い損ねたことを口にする。

「八条院家の御当主は、優しくていい方ですね」
「……そうだ。おまけに聡明でもある。そなたも聞いたことがないか? 某生物学賞に一番近いのは志々雄様の研究だ」

そう言って六条院は世界的に有名な賞の名前を上げた。

「え、そうなんですか?」
「いや、志々雄様のというと少し語弊があるな。八条院家で引き継がれてきた研究テーマの一つだが、ここでようやく一つ成果を発表できると聞いたことがある」
「へえ……知りませんでした」

松本が感心していると、六条院はさらりと付け加えた。

「一般人が知る機会はあまりないことだからな」
「……また俺、知らなくてもいいこと知っちゃったじゃないですか」
「志々雄様と直接言葉を交わしておいて今さら何を言う」

言葉を交わす方がよほど関わらなくともよいことに関わっているぞ、と笑う六条院に松本ははあ、とため息をついた。

「とりあえず、先に帰ります。何かあれば端末に連絡をください。もしくは、家のドア叩いてもらってもいいんで」
「わかった」

気をつけて帰れ、と言って六条院は手元の端末に視線を落とす。その視界からすでに松本の姿は消えていた。

「――お疲れ様でした」

小声でつぶやいて松本は隊舎を出る。
もうすでに日が落ちて久しい。足元から這い上がってくる冷気を振り払うように、松本は小走りで自宅への道をたどった。