松本を帰らせたあと六条院はひとり執務室に残って、端末に送られてきたデータを開いた。まとめられたデータを見ながら八条院の人柄を思う。饒舌に見えて書くものは簡潔にまとまっているのが彼の特徴だった。
「……なるほど」
八条院が渡したデータは米澤の個人情報と米澤の研究内容が詳しく書かれていた。研究内容については、六条院も素人であるため、八条院が下線を引いてくれた部分を拾い読みしていく。
『――米澤らが『抗老化医学』の検体として用いたのは中央病院に入院していた十五歳以上の男性。当初は進行性の難病の対症療方法として用いられたが、途中で〈世界を滅ぼす〉大戦が起きたことにより研究の方針が変わる』
「……」
端末をスクロールする手を一瞬止めた。この下を見るのは覚悟がいるだろう、と少し逡巡したのち再びスクロールを開始する。
『〈世界を滅ぼす〉大戦開始以降は、感覚、筋力、再生力強化――つまり人体強化を主とした研究に移行し、再び人体を用いて実験を実施する。検体番号一~四十の記録が残っているため、四十人の被検体が実験に関わっていると推測される。そのうち、成功例は検体番号六、十、十七、二十五、三十二。〈世界を滅ぼす〉大戦にて検体番号三十二以外は戦死したと記録されている(補足:三十二についての現時点の生死は不明)。ほかの検体番号については成功しなかったと記載されているのみであり検体の生死は不明である』
六条院はその下にもざっと目を通し、最後に記されていた情報に目を止めた。
『現在の米澤は【中枢】地区東一南二にある独居老人用マンションの七〇七号室に住んでいる』
「……調べがついているのに隠すとは、人が悪い。いや、言えなかったのか」
電波妨害をするならばおそらく盗聴もセットでついているだろう。それくらい八条院家の妨害は激しかった。よほど触れられたくないことが出てくるのだろうと予想し――資料に続きがあることに気がついた。
『彼女に会うか会わないかは真仁くんに任せる。今回、ここにメスを入れてくれるのが真仁くんでよかった。どうか、よろしく』
六条院は電子で表示されたメッセージを軽く指でなぞる。八条院がかなりの危険を冒してこのデータを送ってくれたことがよくわかる。
「任されました」
六条院は届かないと知りつつ八条院に向けた返事をする。六条院の意思はこのデータを見る前から決まっていた。明日は松本と櫻井に調査に行かせる、と。
そこで鬼が出るか蛇が出るかはわからないが、自ら死を選んでしまった十人のためにも、これが六条院にできる〝最善〟だった。
○
翌日、松本と櫻井は八条院のデータにあった【中枢】地区東一南二区域のマンションを訪れていた。八条院のデータに加え、〈タウ〉の空き屋に残っていた足跡がひとりは女性のものだと判明したことが訪問を後押しした。
「……米澤さんってどんな方なんですかね」
共用エントランスのオートロックを管理人に開けてもらい、エレベーターで七階まで上がる途中、櫻井が訊ねた。
「さて。隊長の口ぶりだと、穏やかな老婦人に感じられましたけど」
「国家の第一線の研究に関わるくらいだから、きっと俺よりすごく頭がいいんでしょうね。……俺、会って大丈夫でしょうか?」
やや緊張した櫻井が松本に問いかける。松本はもちろん大丈夫だ、と答えた。
「人の命を奪うことに加担したならば、頭がどれだけよかろうと等しく罪を償う必要があります。その罪について調査するのが俺たちの仕事ですから。櫻井さんは、櫻井さんの仕事をいつも通りにすればいいんです」
米澤という女性は仕事を懸命にする人間を蔑んだりしないだろう、という確信が松本にはあった。彼女も仕事に懸命に取り組んだが、その結果を時勢に翻弄されただろうから。
「……そうですね。ありがとうございます」
「それに、普段あまり意識していませんけど、元岡さんだって相当頭がいい方ですからね。元岡さんと話すつもりでいきましょう」
「なんだか、元岡さんに失礼なこと言っていませんか?」
櫻井のツッコミを軽く流して松本は、エレベーターから降りる。ホテルのように絨毯が敷かれた廊下を歩いて七〇七号室を目指した。
「ここだ」
松本が呼び鈴を鳴らすが、部屋の中から物音は聞こえてこなかった。数回鳴らしてみるが、反応はない。
「……留守?」
「お手洗いの中で単純に聞こえてない、という可能性もありそうですね」
うーん、と考えこんだ松本の目が、ドアに取り付けられた郵便受けで止まった。その視線の先を追った櫻井は慌てて松本に待ったをかける。
「だめですよ! 女性の部屋ですから! 俺たちがのぞいたらそれこそ通報されます」
「……なんか嫌な予感がする」
俺はいやですよ、〈アンダーライン〉の副隊長がのぞきで通報されるなんて! という櫻井の非難を無視して松本は郵便受けを指で部屋の中の方へ少しだけ押した。わずかに隙間ができたその途端、
「う、」
松本は慌てて郵便受けから指を離して、腕で鼻を覆った。一連の動作を見ていた櫻井には何が起きたのかさっぱりわからないままだ。
「どうしたんですか」
「……死んでる」
「え?」
「おそらく米澤が死んでいます。今すぐ管理人室に戻ってマスターキー借りて来てください。俺は救急と科技研に連絡をします」
常人では嗅ぎ取れないわずかな死臭が松本の鼻腔を満たしていた。それを簡単に説明すると櫻井は弾かれたようにその場をあとにし、非常階段を駆け下りて行った。
松本はその場に座り込むと腕で鼻を覆ったまま、呼吸を繰り返した。嗅ぎなれた自分の衣服のにおいを吸っていくうちに、少しずつ鼻腔の死臭は薄れていく。
「あー……」
第三部隊に配属されたあと、何度か遺体には接したことがあるが、どれも心構えをしたうえで対面している。今回のような不意打ちの死臭はひどく感覚をざわつかせた。
松本はポケットからハンカチを取り出し、腕の代わりにハンカチを鼻に当てる。そして、携行バッグの中から端末を取り出して、元岡と救急へ連絡をした。続いて、六条院へも連絡をする。
『なにかわかったか?』
「……それが、残念ながら」
部屋の中で起きているだろうことを報告すれば六条院はやはりか、と言った。
『手記の中に〝ひどい仕打ちを施してしまった、と涙ながらに謝罪をされた。センセイは、私の同胞たちを集めては、最期を迎えるための手伝いをしていると言った〟と書かれている。自分の行いを後悔した人間が最期にどうするか、ある程度予想はしていた』
「――自らの命も、罰として絶つということですか」
『そうだ』
「そんなことをしても、贖罪にはならないのに」
『本人の気は済むだろうからな』
六条院の言葉に松本は閉口した。そんな理由で命を絶つのか、と米澤を揺さぶってやりたいと思うが、死人に口なしだ、と諦める。